岳行ノート
錫杖ケ岳 676m/津市

2007.3.21(水)江南7時45分発 
            快晴 6℃
往路:1時間40分  (小休止含)
復路:2時間00分


錫杖湖より錫杖ケ岳を望む



 テレビが、明日は快晴と告げています。『よし、展望のいい山だ』時期的にも良く、ひよこさんも短時間で登られるのでこの山を選びました。

 登山道はいくつもありますが、低山のため周回して変化をつけたい。ガイドブックを見て下之垣内道(シモノカイト)で登り、落合道で降るコースにします。

 このコースは、以前にも辿りました。多くの登山者とすれ違ったことを覚えています。陽気がいいので人出はいかがでしょう。


 教科書は、山と渓谷社刊「分県登山ガイド 三重県の山」です。
駐車場周辺図




登山口

尾根分岐

ベンチ

錫杖ケ岳

休憩所

鉄塔

下山口




※色線は実測ではありません。

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」






会社で東京の方からガムをいただきました。
噛むと汗腺からバラの香りが発散されるそうです。風船ガムのような噛み心地。
ハンパじゃない加齢臭でお悩みの私に待ってたホイの商品。

もし山でバラの香りのする男性とすれ違ったらそれは私です。
さて行楽日和の亀山パーキングエリアは車で充満。
観光バスが止まりました。少年たちが、笑顔で降りてきます。
日帰りでも遠出は楽しい。そんな躍動する子供たちがまぶしい。
 
 山下達郎の名曲“♪パレード”を聞きながら、私たちもウキウキ心で山へ向かいましょう。
 錫杖湖を過ぎ、安濃川右岸にある駐車スペースに着きました。10台ほど停められギリセーフです。歩き出しは少し戻って橋を渡ります。
(10:00)
 橋から右折すれば大きな標識。電柱に[1]の数字があり、頂上の[10]でゴールとなります。
(10:05)
 足慣らしで林道を行けば、次第に車も通れない荒れ道になってきました。そしてこの[2]から登山道です。頂上まで1450Mの目標値を頭に刻みます。
(10:25)

杉林を溝道、山腹道、木の根跨ぎ‥そして
 ちょっとした滑滝風の沢を渡り、また杉林です。
 植林の世界に稜線が見えれば、待望の尾根分岐。関・福徳からの道と合流しています。開放された気分でそこから少し降り。
(11:00)
 ところが根っこづかみの急登が待ち構えてました。安心の足場を求めて必死のひよこさん。
 ピークに着いたら休まずにはいられません。
(11:15)
 少し進むとベンチが見え、帰路予定の落合道との合流地点です。4年前、ここでひよこさんが万歩計を落としました。今日探してもやはりありません。
(11:25)

[9]の数字で残りは+[1] ですが、最後の急斜面に向かいました。
 6〜7分登れば[10]の最終数字がぶら下がる休憩所です。ここは山頂直下であせびの花が春のベルを鳴らします。
 そして大岩の集まる頂上は、完璧360度のパノラマです。次から次へ笑顔が登頂してきます。
(11:40)

四周の中、やはり錫杖湖は歓喜の眺望です。

カーブする名阪国道、亀山市街、その遠景に鈴鹿の山々‥。
この絶景を缶詰にして持ち帰りたい。
 休憩所に戻り、幸運な残り場所でランチにします。食事中、二人のご婦人が柵を跨ぎ下山しました。私たちは『え、登山道あるの?』

 気になって仕方がない。ひよこさんが珍しく『行ってみようか‥』と積極的な発言。落合道で帰るのを止め、あのお二人に続くことにしました。
(11:55)〜(12:25)
 5分ほど降りると岩場で先ほどのご婦人がランチされています。地図を広げてルートを尋ねました。

 『このまま行けば、落合道の下山口あたりに降りられますよ』と言われ、鉄塔の注意点も教えていただきました。
 道は、単純明快で踏み跡もきっちりあります。しかし痩せ尾根の岩場に手こずるひよこさん。
 落合道は、以前降ったとき階段が多くて閉口しました。こちらは雑木林の下、変化のある道で面白いルートです。

 地形図の450mあたりで尾根が二股になりました。一瞬『?』となりますが、左に直角に折れる道筋があります。
やっとお二人に注意された鉄塔まできました。ここで一息入れます。
鉄塔を潜らず手前を降りてください』と言われました。

その手前の道が見えないので尾根をまっすぐ行くと、はっきりした踏み後が延びています。
鉄塔は潜ってないし方向性は違うけど、こちらでも行けそうなので進みました。
(13:35)
 しかし、車の音が聞こえるようになると道が怪しくなります。でも尾根芯を外さなければ歩けるので杉林を降りました。
 川の堤防にポン!『あ〜ヤレヤレ』

 明らかに聞いてた場所とは違う終了地点。鉄塔で方向を変えなかったので私達は山の尾まで来たようです。
(14:15)

 安濃川沿いを駐車地まで歩きます。何と下之垣内集落で下山してきたあのお二人にばったり。

 何処で間違ったのか写真(右)を見てもらいます。私達は、手すり右側の階段で山から鉄塔に降りました。正解は、手すりの左側を降りていけば良いとのこと。

『そうか左側か、わかりませんでした』
『いずれにせよ下山できてよかったですね』
『いや〜ちょっと遠回りしたようです。でもあの休憩所から降りていかれたのには驚きました』
『何回も登ってあの降り口を見つけたのですよ』

 思わぬ教科書外のルートが歩け、充実した登山になりました。お二人にお礼とご挨拶をして今日の山ともお別れします。
(14:25)

芸濃インターに向かう途中、“椋本の大ムク”に寄りました。
国の天然記念物で県道からの入口には「霊樹大椋」の看板があります。
樹高18m、周囲8m、樹齢1500年以上、落葉期なのが残念です。タッチも出来ません。





 
    ミミ叔母さんのジョン

 
若くて多感な時期、私の中にはいつもビートルズがいましたデビュー以来ずっと彼らの音楽を追い続けます。活躍時期とオンタイムだったことは本当に良かった、宝物です。彼らを通じ個性、独創、変化、そんな言葉があることを知りました。歌を夢中で全部覚えたものです。

 彼らのことは何でも知りたかった。出版物もあれこれ読んだのです。20歳の頃彼らの成功物語の本を買いました。そこに幼少期のことが紹介されています。ジョン・レノンは両親が離婚し、5歳から母の実母“ミミ叔母さん”に育てられたのです。

 彼はビートルズとして大成功を手にします。そして育ての親、ミミ叔母さんへ大邸宅を贈ったのです。成功物語の著者が叔母さんを訪問しインタビューしました。
ジョンが大スターになり、素晴らしいお屋敷もあり幸せですね』と尋ねれば
『Oh,イエス』と応えると思ったのです。ところが違ってました。

『何を言うかね。一番幸せじゃったのは、ジョンがまだちっこくて手がかかってしょうがない頃じゃよ。ワシがいなければ、あの子はな〜んも出来ない。いつもワシのそばを離れずくっついていたんじゃよ。貧しくても毎日が充実した日々、あの頃が最高じゃ』

 若い私は「成功の頂上に幸せがある」と思っていました。「登頂より山登りの最中が一番幸せ」との考えは新鮮でしたが、なにせ20才。その本のことは、いつか忘れます。

 やがて私も結婚して子供を持ち、団地から今の家に引越したのです。部屋で段ボール箱を整理しているとその本が出てきました。ぱらぱら読むとあのミミ叔母さんのインタビューの章が目に留まり、そのときその意味がやっと理解できたのです。

 当時、小学生と幼稚園の子供がいたので親としての充実期にいることを認識しました。良かった、もう少しで危うく過ぎ去ってしまう所でした。それからは、心を改め一日一日惜しむように子供と接するようになったのです。

 その5年後、江戸東京博物館に行き、あの長屋に展示されていた素焼き玩具に涙したというわけです。
⇒松尾寺山<道草-江戸東京博物館の涙> でも男の私は、育児の一部しか担ってません。朝から一日中育児にかかわっているお母さんが一番大変だ。

「子供は、生まれたことが親孝行」という言葉がありますが、しみじみそう思います。
※自慢の写真は、フレンドリーなビートルズと私&アビーロード横断中の私
2007.03.25.00:24