岳行ノート
霊山 766m/伊賀市

2007.3.30(金)江南7時15分発 
            曇り 14℃
往路:1時間00分  (小休止含)
復路:1時間00分


アセビ群落を東海自然歩道で行く



 前夜の天気予報は、朝は雷雨、午後より曇りのち晴れと告げています。回復の早い西の山を見るとまだ未踏の山がありました。

 調べるとアセビと山寺の桜が有名とのこと。好展望でもあり、ちょっと時期は早いけどこの山に決めました。

 周回コースで辿ろうと“たたみクン”を積込み、自転車置き地の霊山寺に向かいます。


 教科書は、山と渓谷社刊「名古屋周辺の山200」です。参考書は「伊賀の国/お知らせバックナンバー/伊賀探訪7つのウォーキングコース/霊山ウォーキングコース」にお世話になりました。
駐車場周辺図



登山口

ベンチ分岐

尾根分岐

霊山


ベンチ分岐

コテージ




※色線は実測ではありません。

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」







この霊山寺は、なんと平安時代に山頂に創建され江戸時代ここに再興されたそうです。
桜の名所でもあり450本の満開を見てみたい。
でもまだ1週間以上時間が必要でしょう。

本堂右の県天然記念物オハツキイチョウ
樹齢300年、周囲4.2m、これも葉がないのが残念です。

田代池から登ってこの霊山寺に下山し
自転車で駐車地付近まで戻る予定でした。
 お寺から林道を反時計回りに走ると白藤の滝があります。道路から少し沢に降りれば、15mの高さで水量タップリの滝が見えました。
 また車に乗り、少し走るとニ位の滝です。他にも親子滝三宝滝が続いています。

 この下見で自転車周回は、多くは下りですが上りが2km以上もあり諦めました
 田代池の堰堤の手前に駐車します。農業用貯水池ですが、周囲4.3kmとビッグスケール。曇り空ですが午後からの晴れを期待してスタート。
(10:35)
 池に沿った東海自然歩道を山頂まで進みます。高低差の無い遊歩道は、足慣らしにいい具合です。
 青少年野外活動センターが見えてきました。そこから若者達の声が聞こえます。あの階段は上らず、もう少し先へ歩きました。
 そして遊歩道が終わる頃、車道に上がります。道標を見て登山開始です。
(10:50)

東海自然歩道と言えば階段。そしてアセビのアーケード。
この群生地は、さすが県天然記念物と思わせます。
が、少し花の時期には早かったようです。
 霊山寺への分岐まで来ればもう山頂は近い。すぐ9合目の展望地があり、アセビの花が目立つようになりました。
 鈴なりの花、淡紅色はアケボノアセビ。葉に毒があるのでさすがの鹿も食べられません。
 アセビを愛でつつ石段をあがると‥

『わぉ〜』と思わず声が出る爽快な展望。
(11:35)


伊賀盆地、笠取山のレーダーや青山高原のクルクル回る風車

そして先週の錫杖ケ岳も望めます。
 土塁に囲まれた珍しい山頂です。石塔、石室そして案内板。読むと800年代にここに大伽藍があったそうです。


 現代は建設省の電波中継所。
 一等三角点にタッチしてランチにします。好天の期待は裏切られ、黒い雲が空を占めてきました。ウインドヤッケを着込みます。

 ここで雨に降られても大丈夫、この石室がある。
 幸い雨には降られませんでした。アセビ山を後にします。
(12:20)
 ちょうどその群落が終わった所に一息ベンチです。右の往きで登った階段道を避け、左の尾根に道筋があるのでそこを降りました。
(12:40)
 なだらか道を進めば、下にキャンプファイア地が見えてきます。「第2ファイア場」です。
 「こもれび広場」を抜け、写真左から車道に出ました。入口の表示が「コテージ」、ここは田代池の北端です。あとは池沿いを歩けば駐車地に戻ります。
(12:50)

堰堤に着き、東端の眺めの良い所まで行って見ました。
山歩きが終わったところで太陽が覗くタイミングの悪さ。
でも危険な所も無く、今日は安らぎの山行でした。
(13:20)
 霊山の写真を撮ろうとIGAゴルフ場の近くに来ると猿軍団がいます。おびただしい数で数えると30匹ほど。棚田で何かつまんでいます。人里でこれだけの大群を見たのは初めてです。車中から近距離で崖側の猿も撮れました。「うっとうしいぞ!」と言う顔をしています。

 下柘植インター前に霊山をパチリ。中央のピークを双眼鏡で見ると無線中継所が見えました。
ひよこさんが『あの猿は秋に稲を食べるのかな‥今度桜の咲いたとき来たい』と思いをはせる。
先入観念で階段道は単調と思って来たのですが、色々ひっくるめ楽しい山旅でした。





 
    一年生の春の嵐

 6歳の頃の記憶は遠すぎ春のおぼろの中。ただ小学生の入学式の日は、はっきり覚えています。前夜は新しいランドセルをいじりながら期待と不安で興奮したものです。

 朝起きると半端じゃない雨と風。『今日は休みだろうなあ』と子供心に思いました。ところが父は『学校は休んじゃいかん』と言う。いやですが母と二人で猛烈な嵐の中に出ました。
私の家は最遠の学区で子供の足で学校まで30分ほどかかります。前から来る雨風を傘で受け必死です。

 学校に着く頃、私はピカピカではなくズクズクの一年生。教室に入り皆がいると思いきや5名ほどしかいません。『やっぱり』と思いました。これでは入学式どころではなく、先生が親たちに下校を促しているようです。再び嵐の中に飛び出しました。ここで記憶がなくなります。

 翌朝、私は40度近くの熱が出て寝込んでいました。身体が地の底へ向かって落ちていく夢を見ます。やがて5月に入ってもまだ登校できず床の中です。往診の街医者が『大きな病院に入院しなければ』と母に言っているのが聞こえました。しかしベッドが空いてなく待機となります。

 入学前には自分の名前を平仮名で書くことはできましたが、平仮名全部は知りません。ましてカタ仮名や漢字はまるでだめ。学校へ行けないので『ボクは一年生で一番できん坊主だろうな』と不安と焦りで元気をなくしていました。

 ある日、学校の先生が来てもうすぐ遠足があると用紙を持ってこらたのです。『病気が治ったらみんなと行こうね』と励ましてくれます。『えんそく!』何と魅力的な響き。『いきたい。ぜったいいきたい!』と思い毎日遠足のことを考えました。すると奇跡が起こり1週間ほどで治癒したのです。

 そう遠足には間に合いました。「病は気から」と言いますが「病は気から治す」こともあったわけです。あの時、希望は私に生命力を与えてくれました。遠足はささやかな事だけど、子供の私には大きな夢だったようです。希望の内容や価値はそれぞれですが、いつまでも希望を持つ力を持っていたいと思います。
2007.4.1.18:36