岳行ノート

木曽峠巡り/長野県木曽町・塩尻市

2008年10月25日(土)




天高く競い合った秋色たちが、登山道に落ちている。
カサコソ踏み音を連れ、冷たい大気を吸えば空は白い。



 今回もピーク・ハントは封印して、紅葉ハントと決め込みました。そのため開田高原の紅葉情報を毎日チェックしてたのです。するとぴったり金曜日に見ごろとなりました。

 その夜、テレビの天気予報で予報士が『明日土曜日は、紅葉狩には絶好のお天気です。自信を持ってお勧めします』と満面の笑顔です。

 これなら本年最高の紅葉シーンを記憶のフィルムに焼きつけられそう。準備には時間をかけたけど、ちょっと行楽っぽい。2ケ所は車で着くことができます。

 教科書にしたガイドブックで未見の絶景地が、これで一挙に3ケ所制覇。


 教科書は、風媒社刊「素晴らしき絶景100」です。参考書は、山と渓谷社刊「名古屋周辺の山200」他、多数のHPで確認しました。
「九蔵峠」周辺図
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九蔵峠→木曽馬の里→地蔵峠キビオ峠→木曽見台→旧権兵衛宅→権兵衛峠→唐松

※青線は走路

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)


江南:6時05分発
 16℃/曇り、時々冷気
所要時間:約7時間


 中津川インターを降り、19号線の元橋交差点から開田高原へ向かいます。第1目的地まで150q、県道沿いは紅葉絶好調。

 ただ朝は、まだ曇っています。予報通り午前中に晴れるでしょうか。
 
九蔵峠(クゾウトウゲ)

 御嶽山の東に広がる開田高原の中心に位置し、標高1280mです。紅葉の海に展望台が浮かんでいるよう。

 国道361号線沿いにあり、絶景のビューポイントです。
(9:00)

 あ〜太陽が出てたら‥あの予報官に見せてやりたいこの現実を。
カメラマンも多数砲列を並べて腕組みしているだけ。
青空待ちしても雲の切れ目はなく、虚しい期待でしょう。

木曽馬の里

 雨が降らないだけでも良しと考え,日本古来の在来種木曽馬を見に来ました。昔の農耕馬、性格は温厚、脚が短く小柄です。

 私の前世のような気がして親しみが持てます。
(9:15)


農場に行くとブルーベリーの燃える紅葉が、ナラの一本木に迫っています。
ここでは乗馬、ブルーベリー狩り、手打ち蕎麦を楽しめますが、入場無料なのが何より嬉しい。

地蔵峠

 牧場から木曽福島へ向かう旧361号線を上れば、標高1335mの峠です。頂上の地蔵尊は、280年前に安置されました。

 なんと盗難にあい、35年前に再建されたものです。表情がとてもいいけどこの写真は失敗作。
(9:55)




 お地蔵さんから1kmほど登って来た道を戻ると東屋の展望台です。先ほどの開田ファームも見えます。
 



 上って来た道を戻り、361号線の新地蔵トンネルを通り抜けました。国道沿いの紅葉を愛で快調に木曽福島へ向かいます。
キビオ峠〜木曽見台

 車まで木曽駒高原を上りつめると標高1220mの峠広場です。
(10:50)

 御嶽山は雲に隠れ乗鞍岳はシルエット。ここは夕暮れの絶景ポイントです。地形図は「キビ尾」ですが「キビ」の字が??
 そして登山口から木曽見台を目指します。「熊出没」の注意書にビビリ、鈴を手に持ちました。
(10:55)








 ちなみにキビオ峠から木曽駒ケ岳までは、麦草岳経由で6時間かかり今日、日帰りできません。

道は、ほとんど山腹道で2ケ所の小崩壊地も整備されていました。
落ち葉がつもって歩きやすく、紅葉ゾーンで高度を積み重ねます。
尾根に出て木曽駒ケ岳分岐を左折すると大勢の話し声が聞こえてきました。


 木曽見台1560mでは、名古屋の山岳会25名がお食事中です。雲海に浮かぶ御嶽山、乗鞍岳も珍しい。
(11:45)

 『どこから来たの?』『江南市です』
『みんな聞いて、江南の人いる〜?』
いないようです。 
 


 西から北に目を移すと穂高がいつもと違う形で同定が困難です。中央ピークが奥穂高岳で右の鋭鋒は前穂高岳かな。

 槍ケ岳は、この背後なので見えません。



 頂上ランチなしで下山します。林道出合に出たら林道を歩いて駐車地まで降りました。
(12:30)

 そして19号線を走り、途中361号線に道を変え最後の目的地へ向かいます。



 姥神トンネル直前にループ橋が見えました。その神谷地区に権兵衛街道を拓いた権兵衛さんの生家があります。

 現在は、八代目の方が住まわれているそうです。
権兵衛峠
 峠は1552m、駐車場は10℃で寒い。おでんを外で暖め、車中ランチにします。
(13:30)

 夕べ、末娘がこの白いコーラをくれました。『ペプシホワイトは、ヨーグルト味だ』 


 権兵衛さんは、伊那谷の米を牛の背に乗せ、遠く奈良井宿から木曽に運んでいた牛の親方です。木曽と伊那の人々を説き、300年前木曽町から伊那市まで36qの道を開通しました。

 以前、私が一人で伊那から峠へ車で上ると、谷向こうの尾根全部が唐松です。青空を背に朝日が当たって黄金色に輝いている。それがあまりに美しく、涙が自然に出てきたのを覚えています。



 さて権兵衛峠の周遊道を今日の締めくくりで歩きましょう。上写真の渋いトイレ横から歩きだします。
(14:05)

 P→権兵衛峠→南アルプス遠望地→ジャンボ唐松→乗鞍遠望地→水枡跡→P 


 ひとつピークを越えると鞍部が、旧権兵衛峠です。水場や東屋、石碑と案内板が立ち並び繁華街のよう。
(14:10)

 水場の先で小橋を渡り「登山コース」を登ります。寒いので手袋をはめる。 

 落葉が進んだ唐松が立ち並び、急登をしばらく喘ぐと南アルプス遠望地です。あの黄金の唐松をひよこさんに見せてやりたかった。(14:20)

         中央右の高峰が赤岳
 晴れていれば伊那の市街地や天竜川も雲の下にはっきり見えるでしょう。

そして傾斜が優しくなり、出合う分岐には惑わされず落ち葉の散策路を直進。
「ジャンボカラマツ入口」の分岐標識で左折して降ります。
(14:40)

その分岐で直進の道は、昨年9月に整備された尾根伝いの桂小場ルートです。
これで権兵衛峠から木曾駒ケ岳への主稜線縦走が可能となりました。
『日帰りルートなら歩きたい』

少し降ると、根の絡まった「絆のカラマツ」に出合いますが、その下に感動の
「森の巨人たち100選ジャンボカラマツ」が巨大!
樹齢250年、樹高34m、幹周4.08m
(14:45)


 帰路は、回り道で乗鞍岳遠望地に寄ります。とうとう今日一日、太陽が覗くことはありませんでした。
(15:00)

 もう一つの回り道で水枡跡にも行きます。明治〜昭和に奈良井川から伊那谷へ用水を引き、この枡で水利権を守るため水量を測りました。(15:20)

そして駐車場に着き、今日の予定は終了。
得意の欲張りツアーですが、絶景あり、紅葉あり、史跡ありと
青空は欠けていたけど充分旅心を満たしてくれました。
(15:25)

権兵衛峠から伊那側へ車を降らせると1kmほどで展望地があります。
南アルプスと伊那市街が見降ろせますが、そこから先は落石で通行止めでした。
結局、来た道で権兵衛トンネルまで戻り、平成18年2月開通した伊那木曽連絡道路で伊那へ抜けます。



この道は、木曽福島と伊那市を半分の45分で結び、冬の通行止めもなくなりました。
あの権兵衛さんの道は、今は登山者が利用するだけ。でもその名前は継がれていきます。
さあ、ペプシホワイトのお返しにお土産は何を買おうかな‥


東海岳行
  “忘れ物”      
 
 小学4年生の時、月刊誌を買いました。付録に忍者の技を現代に生かす方法の小冊子が付いていたのです。子供騙しとわかるくだらないものばかりでしたが、ひとつ素晴らしい術がありました。それは「目的地に早く着く術」で方法は簡単です。

 @道路脇にある電信柱から次の電信柱まで小走りする。
 A着いたらその次の電信柱までは、普通に歩き息を整える。
 B走る→歩く→走る→歩く‥と目的地まで繰り返す。

 学校の帰り、友達には普通に歩いてもらい、ぼくはその術を試したのです。結果は、圧倒的な差で得意満面。ぼくの家から学校までは1qです。子供の足で30分かかっていました。それが半分歩き(15分)、半分小走り(5分)なので20分に短縮できるのです。人生が10分、得になります。



 初夏のある日、月曜日の1時限目は算数でした。担任は女の先生で授業が始まるや否や『宿題のドリルを出して下さい』と言い、一人づつ集めています。『えらいこっちゃ!』どんどん近づいてくる。

 3つ後ろの席の男子が立ち上がって『先生、家に忘れてきました』と言ってます。
 『じゃあ明日必ず持ってくるのよ』『はい先生』その子は、おぼっちゃまです。
 次の子がドリルを出し、その次の子もドリルを出し、ぼくの横に先生がきたので立ち上がって

 『先生、家に忘れてきました』
 『じゃあ、今から家に帰って取ってきなさい』
 『え、今からですか?』
 『そうです、今すぐ!』
ポニョッと心の中でずっこける。
 
 おぼちゃまは明日でも良く、ぼくは取りに行かなくてはならない。何で違いがあるのかわからないままズックを履きました。ランドセルや学用品は、教室に置いたままです。ぼくはこの危機にあの忍者の術を思い出しました。走る→歩く→走る→歩く‥20分で家に着く。

 
『ただいま』汗だくで玄関を入ると
 『なに!どうしたの、早引きしたの?』とランドセルもない僕を見て母ちゃんがいぶかる。
 『宿題忘れたので取りにきた』
 『あ、そう』

 ぼくは、机の中から算数の宿題ドリルを出し早速、計算を始める。日曜日に遊び呆けて宿題があること自体、忘れていたのです。ありがたいことにあの術のお陰で往復20分の余裕が生まれます。母ちゃんが『なに〜やってなかったの』そして笑いだした。こっちは必死でやってるのに‥

 何とか20分で1枚のドリルをやり遂げ、家を飛び出す。再び「目的地に早く着く術」で学校へ急ぐ。電信柱、走る→電信柱、歩く‥ 先生に怪しまれない時間で教室に入り、ドリルを手渡しました。
 『はい、今度から忘れないこと』



 後日、お盆に親戚の家に行きました。子供は子供、大人は大人で集まって話します。母ちゃんの大きな声が聞こえてくる。『うちの子、宿題忘れたので家に取りに帰って来て、それから問題を解いているのよ』あの宿題忘れ事件を話している。

 余計なこと言うなあと思っていると、自分の子のドジをけなしているのではなく、どうやら自慢しているようです。追い詰められた窮地を親に頼らず、一人で解決したことを得意げに喋っている。親の喜びのツボは、その時は理解できなかったけど、小さな親孝行だったことは子供心にも分かりました。

2008.10.27(月)21:00