岳行ノート

守屋山 1650m/伊那市
2009年4月11日(土)

 東峰より西峰(右ピーク)を望む



 諏訪の御柱祭りを見た帰り、杖突街道(152号線)を通りました。杖突峠には守屋山の登山口があり、いつか登ろうと思ったのです。調べると、そこは著名な花の百名山。

 代表的な花は座禅草。「座禅草コース」という登山道があるくらいです。4月中旬〜下旬が見頃ですが、この山は伊那市高遠町にあります。

 そう小彼岸桜で有名な高遠城址公園と同じご町内なんです。ネットで調べるとどうやら座禅草と桜は、同じ時期が見頃のよう。ちょうど桜情報は満開。行かねばなりません。



 教科書は、山と渓谷社刊「新・分県登山ガイド 長野県の山」です。参考書は、多くのHPにお世話になりました。
駐車場周辺図
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駐車場

座禅草コース

登山口

東峰

△守屋山

東峰

立石

国道出合

駐車場


※色線は実測ではありません
※青線は車道


■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)


江南:5時45分発 9℃
      快晴、帰りの反対車線は8km渋滞
往路:2時間20分(小休止含む)
復路:1時間55分



 諏訪ICでETC1000円表示に安心。152号線をくにゃくにゃ走り、杖突峠の大駐車場に停車。バスの団体さんは準備体操中。

 小屋前を右奥へ歩き樹林帯へ入ります。
(9:20)




 カラマツ林の道は緩やかな登り。林道が左下に見えました。降りていき50mほど先の「座禅草コース」の道標に従います。
(9:55)

すぐ湿地に出て木道にワクワク。いかにも座禅草が、咲いてそうでキョロキョロします。
ところが期待した群落は、どこにも見当たりません。鉄条網で囲われた場所でようやく花を見つけますが‥





 3株のみ。時期が早すぎたのか、イノシシ君たちが座禅草パーティをしたのか。サトイモ科なので好物なのは間違いない。

 湿地が終わると広場です。ベンチや簡易トイレがあります。そこを斜め左方向に横切ります。
(10:05)

 3〜4分歩けば、林道横に「守屋山登山道」の道標。いよいよ尾根に取り付きますが、いきなりグチャグチャ道です。しばらくの辛抱。




 登山道脇にシラカバが現れました。やがてクマザサを分ける急登です。しかもチビの氷河が頑張っているので慎重に。
(10:40) 

視界が全球に開けたら東峰です。諏訪湖と青空に浮かぶ北アルプスに歓声が上がる。
左から焼岳穂高岳白馬岳とそれは立派な山ばかり。ここは百名山を32座見られるそうです。
西に乗鞍岳御嶽山・中央アルプス、南は南アルプス、東に八ケ岳連峰と満点360度大パノラマ。
(11:00)

 雲ひとつない空と残雪の峰々。至福の時を満喫します。でも油断してUVカットをしませんでした。

 狭い山頂に次々と登山者が集結。『こんなに展望がいい日は珍しい』と話声が聞こえます。

この写真は東方向で八ケ岳連峰が壁のよう。最高峰は赤岳2899mです。
眼下には、蓼科高原と茅野市街が広がっています。
15分の小休止で守屋山最高点の西峰に向かいました。


 南へ少し降れば奥宮。この守屋山は、諏訪大社のご神体であり、雨乞いの山でもあります。

 ここから石祠を谷へ落とすと神様が怒って雨を降らしたという伝承です。今は落とされないよう鉄柵で囲われます。

 近くにある溶岩は、大昔この山が火山だったことを示している。





 尾根道の途中にカモシカ君がよく立つカモシカ岩。今は、旧カモシカ少女が立っています。
(11:30)
小さな小屋を過ぎると山頂。この辺りは糸魚川〜静岡構造線と中央構造線が交わる地点です。
南面の傾斜は緩やかでカラマツ林になっています。北面は急で広葉樹林です。

 ここで腰を下ろし、極上の展望ランチにしました。
山頂標識の左は御嶽山、右が乗鞍岳です。
(11:40)〜(12:15)



 帰路、尾根道でカモシカ岩を過ぎると、往きに見落とした「元気になる木」

 このブナの根元には、右写真の観音様が祀られていました。
(12:30)

再び東峰に戻り、大展望を名残惜しみます。
南アルプスが鮮やかに見え、左が甲斐駒2965m
中央のとんがりが北岳3192m、右に仙丈ケ岳3033m。
(12:40)




 東峰から3分ほど降れば、立石コースの分岐です。地元の守屋源一さんが、一人で10年前の夏、開通させました。
(12:50)



 歩きやすい登山道で高度をどんどん下げます。やがて浅間の滝に出合いますが、今日はお湿り程度で渇水中です。

 ひよこさんのすぐ左横に富士山の祭神が祀られた小さな祠があります。
(13:10)
こちらのコースですれ違ったのは4人だけ、帰りは空いた道です。
途中、サブの岩巡りコースもありますが、私たちはメインの道を歩きました。

百畳敷岩十文字岩と過ぎ、このコースの名のもとになった立石です。
ひよこさんが小石を投げたら岩頭に乗せることができました。
さらに降り別荘地「清流の森」を抜け‥
(13:30)

 国道152号線に出合います。ここから駐車場まで1kmの登りがきつい。ひよこさんの後ろ10mに私が付いて歩きます。

 すると背後でキー、ガリガリガリの音にびっくり。乗用車が反対車線に飛び出し、右輪を側溝に落としながら走ったのです。

 もし2人が向こうの道を歩いていたら‥危機一髪でした。乗員2人は無事です。駐車場に着いたら次の目的地へ走りましょう。
(14:10) 



 そう同じご町内の高遠城址公園に行きました。中学校の校庭の無料駐車場に停め、シャトルバスに乗ります。

 お陰で楽に入場できました。ちょうど満開で花弁一つ落ちていません。しかし大変な人出です。取材のヘリも飛んでいます。
帰路、361号線で帰ると反対車線は8kmの大渋滞。幸運にも伊那IC方向は、空いています。
途中振り返ると、公園は山里にピンクの雲が下りたようです。右の仙丈ケ岳3033mが大物の風格。

再び高速を1000円力で家路に走ると、遠い山が夕陽を呑みこもうとしている。
久しぶりにエキサイティングな山旅でひよこさんは車中でお喋りがノンストップ。でも明日は筋肉痛だぞ‥

翌日の中日新聞が、この日ヘリで空撮した写真を載せていました。


東海岳行
  “空高く”   

 母ちゃんは、布団をよく干していた。子供のぼくは夜、洗いたての寝巻で布団に飛び込む。うつ伏せになり乾いた木綿に触れると肌が嬉しがる。太陽の香りがして幸せのエキスを吸い込む。頭の中に青空が浮かんでくる。そして寝る前に「空を飛ぶ」夢を見たいと念じた。でもいつも熟睡でそんな夢見は中々実現しない。

 ところが小学6年生のとき、庭でほんの少し体が浮く夢を見た。すると時々その夢を見る事が出来るようになった。やがて干した布団で寝た夜は夢が見られるということに気が付く。それからは、簡単に夢の中で空を飛ぶことができた。

 そして次第にぼくは飛ぶ技術を向上させていった。電信柱の高さまで上がられるようになると飛行距離も延び、小学校まで往復できた。そして20mの高さに上がると隣町にも行けるようになる。中学生になったとき、自分は空を飛ぶ能力があるのだと思った。夢と現実の境がわからない。



 このことは母ちゃんや弟にも話していなかった。一学期のある日、ぼくは一人で野崎川の堤防を歩く。鉄橋が架かる場所まで10分ほど歩き、小広い草むらに着く。いつも夢で飛んでいる方法を実際に試してみる。目一杯しゃがみゆっくりと両手を拡げながら身体を起こす。

 身体と手が同時に伸びたとき足が浮く‥はずだが何も起こらない。何度やっても足が地面から離れることはなかった。それ以来あの夢を見る回数がどんどん減る。それと反比例して友人と遊ぶことが面白くなってきた。タレントは誰が好きだとか、クラスのどの子が可愛いとか馬鹿話をする。目覚めたようだ。

 そして二学期以降は、全くあの夢を見なくなった。時が過ぎ10年後、僕は家を離れて都会で就職した。3年経った春、地元に転勤になり再び家に戻る。母の干した布団で何回か寝ている内、あの匂いが空飛ぶ夢を突然思い出させた。しかしその布団で眠っても空飛ぶ夢は見ることはない。

 次の休みの日、ぼくは野崎川へ行くことにした。堤防を歩くと鉄橋が見え、様子は変わったけど小広い草むらそのまま残っている。堤防から見下ろすと中学生の小さな男の子がいた。隠れて見ていると彼は制服を脱ぎ足もとに置く。草むらを進み立ち止まった。しゃがんでゆっくりと両手を拡げ身体を起こす。夢と同じだ。

 すると信じられない光景を見る。男の子はすーっと浮かび空高く飛んで行った。私は驚き、急いで堤防から草むらに降りる。脱いだ制服を拾い上げ、裏返すと‥私の名前が記してあった。『たかし、たかし』と空から私を呼ぶ声が聞こえる。思わず声の方を見ると『たかし、朝ごはんできたよ』と言う母がいた。

 目を覚ました私は、窓の外の空を見つめる。空を飛ぶ幼い自分に出合えたことが素直に嬉しかった。あの頃の心が懐かしい。

2009.04.12(日)20:15