岳行ノート

行者還岳 1546m/奈良県天川村
2009年5月27日(水)


山頂近くのシロヤシオ
(野性的なお父さんから生まれた清楚な娘たち‥みたいな)


 5/15掲示板でkitayama-walkさんが、奈良南部の大峰山脈を山行されたこと書込まれました。私はその辺りは不明なので関西方面のガイドブックを購入します。

 するとそこは、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」大峯奥駆道(オオミネオクガケミチ)です。熊野古道は歩きましたが、この道は知りません。調べると‥

 昔、山伏が修行した山岳道で桜が有名な吉野山を起点に熊野本宮大社まで辿る長大なものです。50座を数える峰々、全長100km、総歩行時間は53時間にもなります。


 そこで私は、本に「大峰山脈は初めてという人に」と記載の行者還岳(ギョウジャガエリ)を選択。出発前夜、掲示板にぴよたさんがそこのシロヤシオが見事とナイスな情報。

 出かけましょう。さすがに奈良南部は遠く、独りで前夜泊します。


 教科書は山と渓谷社刊「関西周辺の山250」、きっかけはkitayama-walkさん、後押しをぴよたさんに頂きました。
駐車場周辺図
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≪ピストン≫

行者トンネル西P

露岩

トンネル西口分岐

直角曲道

(お花畑)

天川辻

行者還小屋

行者還

△行者還岳

行者小屋
(ランチ)

行者トンネル西P

※色線はGPS軌跡。

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)


江南:前夜19時10分発
   当日 14℃/曇り。ときどき登山者40名
往路:2時間45分(小休止・撮影含)
復路:2時間30分

 東名阪は夜間工事で1車線。大渋滞を抜け名阪国道の針ICを南下すること40km。家から3時間半で宿泊地、道の駅杉の湯川上に着きました。(写真:翌朝)
 今回、車中泊の改善点は二つ。布団の下に腰痛楽々マットを敷き快適さが増しました。後部座席を取り外し寝室の長さ(1.74m→1.95m)と空間を拡大。


 お陰で熟睡『よ〜寝たな‥ホゲッ!お握り買い忘れた』近くのコンビニへ‥何と往復44kmもあり貴重な1時間を喪失。

 戻って宿泊地からさらに35km走り、行者還トンネルを抜けた西口が駐車場です。写真右で登山届を出して進むと‥
(8:45)
 





 すぐに木の桟橋。その左斜面に踏み跡と小プレートが確認できました。登山口から急登が始まります。早速トラロープ登場‥



 子供の頃に良く遊んだ滑り台を逆に上るような急坂。滴り落ちる急登汁、喘いで余裕がありません。立ち止まると‥

 周囲は初めから豪快な原生林。やっとこの高さ10mほどの露岩から傾斜が緩む。ふと見上げるとシロヤシオ『バンザイ!』
(9:25)




 待望の稜線に出ると大峯奥駆道の石標。04年7月日本で3番目の世界遺産登録です。ここまで観光客は来れませんね。
(9:40)

たちまち笹道の上にシロヤシオ 
白と緑の迷路を駆け抜ける風が心地よい。
ブナの古木が立ち並び圧巻です。オオイタヤメイゲツの楓も多く、秋も素敵な道でしょう。



 途中、開けた場所から西への眺望。尾根続きのお向いの山は弥山(ミセン)1895m。左の尖峰は八経ケ岳1915mです。


 八経ケ岳は、日本百名山の大峰山最高峰。木の花オオヤマレンゲが自生し7月上〜中が見頃。登ってみたい。




 道は、急にこの石標で直角に右折します。笹道から苔の石灰岩、さらに場面は急展開してお花畑へ‥
(10:10)

(左)ヒメレンゲ  (中)???  (右)クサタチバナ:白色の五弁花が、ふわっとしていて口に含むと溶けそうです。大群落があり、殆ど蕾がなのでまもなく感動的な光景になるでしょう。

すざましいバイケイソウ(↑)の群落が尾根から斜面に流れています。咲き乱れるのは7月になってからでしょうか。

クサタチバナ(←)の群落もすごい。今は蕾ですが、咲いているもあり、きっと次の主役。
ニリンソウ(→)の群落は葉だけです。

さすが世界遺産は違うな‥と笑うしかありません。

 待望のヤマシャクヤクは、探す必要もなく登山道沿いに沢山咲いていました。緑色の雄しべは、柱頭を暗紅紫色にしてインパクトがあります。開ききった花が多く、今日の風で花弁を落とした花が切ない。3,4日前が見頃だったのでしょうか。


 やがて天川辻に数珠の巻かれた地蔵尊「通行人安全・電線路安全」と彫字があります。

 ここまでは最初の急登と比較すれば、アップダウンも少なく快適です。
(10:45)
 少し先で東の煙景。大峰山脈と並行する台高山脈が遠い。右の一番奥、平らな山が大台ケ原です。もう一度行きたい。




 行者還の宿に到着。トイレ、流し、我が家より広い部屋が3室あり宿泊可能です。リュックをここにデポして山頂へ向かいます。
(10:50)


 途中、熊野から来た行者が、山頂南側の絶壁を登れず還ったという伝説の行者還の岩祠。

 確かに強烈な大岩壁を避け、道は遠回りしています。梯子登りは、四肢を使い慎重に。



 大岩の巻き道を我慢すると楽勝の尾根道に出ます。やがて三等三角点の山頂1546mです。

 「第五十八行所 修験節立根本道場」のプレートと錫杖で修行の山と認識できます。
(11:30)

山頂は樹木に囲まれていました。シャクナゲが至る所でスマイル・ピンクだ。
散策すると展望地があちこちにあります。南西に弥山八経ケ岳、北に山上ケ岳
下山途中、大普賢岳が北東に見えました。けど、どの山も知らない山ばかりです。

 行者還の宿に戻って綺麗な部屋でランチにします。食事中、大勢の人が入ってきて、隣にネエ様が3人腰掛けました。大阪発の団体さんで20人で縦走中のこと。今日は40人とすれ違った‥こんなに奥深い山峡のしかも平日に!

帰りも同じ道ですが、何度歩いてもこの道は楽しい。そして稜線の駐車場への降下点で考えます。
この尾根を先へ辿り、1時間ほど大周りの別ルートを歩こうか?しかし、そうなると
5時間ドライブで10時過ぎの帰宅‥無理はしません。朝の1時間のロスがここで影響しました。
(13:55)





 駐車場に至る尾根のツツジを見れば急降も辛くなくなります‥尻もちは1回だけ。シャクナゲは多いけど花は散っています。



 車が見えました。暑さを曇り空でしのげ、ばてなくて良かった。思い出の香りをお土産にして、にわか行者は還ります。
(14:40)

 ふと夕食に餃子が食べたくなりました。


東海岳行
  “兄弟の夏休み”      

 奇跡的に私が大学合格し、地方で下宿することなりました。そこは真正の田舎で夏でもクーラー要らずの涼しい所です。我が家は三人兄弟で私が長男。その年は、三男が中三になり高校受験生。その弟が夏休みに入ったので名古屋の実家から私の下宿へ避暑に来て勉強したらと声をかけました。



 彼は汽車に乗り、見たこともない遠い田舎へ独りでやってきました。下宿は離れにある二階の3部屋で、他の下宿生2人は帰省しているので私と弟二人だけです。8畳の畳敷きに家具はちゃぶ台一つ。衣類は段ボールに入れ、お馴染みの万年床です。

 私にとって夏休みは稼ぎ時であり駅前の大食堂でバイトをしていました。仕事を終え夜遅く自転車で帰ると私の部屋だけ電気が点き明るい。『兄ちゃんお帰えり』『ただいま』足音を聞きニコニコ顔の弟がドアを開け出迎えます。一日中独りっきりのため人恋しいかったようで良く喋ります。私は彼に課題を出してありました。

 それは私の宿題、英文小説の単語調べです。弟はノートを拡げ、今日やった所を得意げに見せてくれます。私もバイトの休日には、街へ出て大学や名所を案内してやりました。やがて2週間の予定が過ぎ、弟が名古屋へ帰る日がきました。



 駅まで自転車の後ろに乗せ30分走ります。バイト先の食堂で昼食に玉子丼をご馳走してやりました。すると隣席にくたびれた服装で小柄なお父さんと小学一年生くらいの小さな子供が座ります。『何がいい?』『何でもいい』『じゃあ、うどんにするか』『うん』

 食堂で一番安い素うどんです。二人がそれを食べている間に私たちは外へ出ます。私は弟に言いました。『あの親子の光景を一生忘れるな。高いものでなくてもお父さんの愛情は子供に伝わっている。あの子も高いものは無理なことが分かっていると思う』『うん、忘れない』

 弟の汽車を見送り、私は食堂に戻って皿洗いのバイトをしました。働き終わり夜道を帰ります。やがて下宿に近づくと部屋は真っ暗で無表情です。階段を上がっても笑い顔の14歳がドアを開け待ってはいない。部屋に入り電気を点けると急に込み上げてきて嗚咽しました。その夜、人恋しいのは18歳の私だった。



 ここ数年、両親のお墓参りに兄弟三人が名古屋のお寺に集まります。その後は家族全員でお食事会。最初は名古屋に住む次男が段取りしたお食事処でランチです。

 ワンパターンの食事に飽きがきたので、昨年は市街が望めるホテルランチと洒落ました。今年は‥ガーデンレストラン徳川園です。そこには誰も行ったことがありません。

 窓際の席から美しい庭園を見ながらのランチは、優雅で上品なものです。おフランス料理のコースですが、お値段はちょっとおきつめ。この家族には全くミスマッチ。二度と来れないことを全員が理解し、おいしい料理を大きな口へ掘り込んでいます。関西に住む三男にあの夏のことを聞きました。



 『毎日、自分の勉強より兄ちゃんの宿題を最優先にしたんやで。やり終わると精根果てて自分の勉強があまりできへんかった』『そうか〜、それは悪かったなあ』そして、食堂の親子のことを覚えているかと尋ねると『覚えとる覚えとる。‥あの夏のことは何でも忘れられへん』


 今でも弟たちは、私を『兄ちゃん』『兄ちゃん』と呼んでくれるのがとても嬉しい。

2009.05.31(日)20:20