岳行ノート

岩伏山 983m/愛知県設楽町

2010年4月18日(日)



名倉川より岩伏山

中央の谷を鞍部まで登り山頂を目指します。
下山は山頂から茶色の山肌、広葉樹林の降りです。緑色は主に植林地。
(右端は井山1195m)



 岩伏山(イワフセヤマ)は7年前の冬、夏焼城ケ山とW登山したことがあります。東隣の碁盤石山1189mとインパクトがある山名に囲まれ、ちょっと地味目な存在です。

 10年ほど前、地元の「川口コミュニティ」というグループが、周回コースを開発されました。それ以降毎年、登山道・道標の整備に尽力され、とても優しさ溢れる楽しい山です。

 ちょうどこの山の近くにある設楽町花の名所川向の花桃が、中日新聞に「ハナモモに愛 半世紀」と紹介されました。一緒に行かねばなりません。



 教科書は、風媒社刊「こんなに楽しい愛知の130山」です。参考書は、沢山のHPにお世話になりました。
 
<駐車地>
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駐車地

登山口

山姥洞窟

災害現場



湿地

八合目

▲岩伏山

笠石

車道出合

津島神社

駐車地


 ※赤線はGPS軌跡

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」


江  南:午前7時35分発  6℃
駐車地:午前10時15分着 晴れ
往:1時間25分(以下、小休止含)
復:1時間05分 
◆所要時間:2時間30分



 神社前駐車場に停めると地元の小柄な男性から話しかられました。ボランティアグループ「川口コミュニティ」の会長さんです。

 この山のお話を色々お聞きし、情報をポケットに入れ出発します。鳥居前のボックスにある絵地図が切れていたのは残念。
(10:25)





 津島神社まで登り、安全祈願。神殿の左から山道になります。

 やがて茶臼山高原道路が見え、正面に「岩伏山帰路」の標識がありました。そこから入山するとお勧めでない右回りなので‥

  右へ150mほど車道を上りてんのう橋を渡ると左手に登山口です。ここから左回りで周回します。
(10:35)





 堰堤前にかかる丸木橋を渡れば、杉の枯葉を踏むなだらかな登りです。沢音をBGMにして進むと‥





 「岩伏観音」の案内板がありました。キョロキョロすると対岸の岩上に小さな観音様。少し先で「山姥洞窟」案内板ですが‥
(10:40)





 そこから洞窟へ向かうと危ない道です。もう少し登山道を進めば進入路があります。往復10分なので寄ってみましょう。



 進入路は小さな流れに合います。濡れないように登ると正面に洞窟。昔、山姥がここに住み麓の人を驚かしたそうです。

 以前は奥までつながっていましたが、今は土砂で埋まっています。
(10:50)



 やがて「災害現場」の入口。この先の谷で平成12年9月の東海豪雨による土砂崩れが発生し登山道が流されました。

 転がる大岩、倒木などで大変だった復旧作業。そのお陰で安心して歩けます。

広葉樹林の明るい平坦地に出て気分爽快。
左カーブすると右手に青い矢印道標があります。
「水葉しょう群生地↑」と表記され湿地がありました。

会長のお話では長野で水芭蕉を15株購入し、かって沼地だった場所に植えたのです。
ところが昨年、カモシカにモシャモシャと5株食べられ残り10株になりました。
5月下旬開花と教えていただきましたが、嬉しいことに3株咲いています。
(11:20)



 先に休憩所があり、秋祭りの鍋パーティ会場です。近くの流れに「天然ワサビ生育観察地」の案内板があります。

 お話ではワサビを植えたら沢蟹に食べられ、その沢蟹が食べました。グチャグチャになり今はワサビはありません。



 森の中を進むと「矢作川源泉」。上の緑色の石の後ろです。そして8合目道標から左へ曲折して尾根を登ります。
(11:35)

 広葉樹が増え見通しが良くなれば‥

三等三角点983m山頂です。東隣の井山1195m・碁盤石山1189mが近いのですが遠望写真を撮ります。
東斜面に「武田信玄ののろし台跡」がありますが、単独の方がお食事中です。
また西斜面はヤマツツジが多く4月末が見ごろですが、まだ花は咲いていません。
少し風があるので私も岩陰でランチにします。
(11:50)〜(12:15)

左端奥のとんがりが明神山1016m、右へ大鈴山1012m、鹿島山912m、少し下がって岩古谷山799m
左端の高いピークが宇連山929m、その右前が鞍掛山883m。『みんなみんな登った』


さて北を見ると『う〜む、鉄塔が‥』
右鉄塔後ろの恵那山2191mは、山頂がギリセーフですが、左の御岳山3063mはジャスト鉄塔!






 下山は南西の尾根を降ります。アセビを抜けると急坂です。手すりのトラロープが助かります。 




 途中、南への展望地。正面は仏庫裡(ブクリ)1072mです。TOP写真を撮影した場所近くでハウスの屋根が反射しています。
(12:25) 



 奇岩「笠岩」の案内板を見つけたので大岩を回り込むと直立する4mもの‥

 『笠岩というよりご立派岩、いや珍しい形なのでチ‥』『下ネタじゃねーか!言わせね〜よ』我が家のパクリでした。
(12:35)

下山ルートは巨岩が多く、もう一つの怪岩「はなたれ岩」を探します。
岩上が凹んでいて雨水が貯まると二筋の水が岩肌を流れるそうです。ナイスな命名。
この奇岩・怪岩はルートの整備時、発見されました。形状から多分この10m岩かな?





 登山道のミズナラコナラの広葉樹林は、まだ芽吹いていません。早咲きしたこのツツジが春の使者です。



 植林地を抜け、茶臼山高原道路を渡れば津島神社。本日は神社の春祭りで焚き火をたき神殿を掃除されています。

 これから酒盛りのようで出席される会長さんにまた駐車場でお会いしました。
(13:15) 
 楽しかった山行ができ感謝の気持ちをお伝えし、またまた立ち話をします。すると登山記録帳に気になることを書かれたようで会長は私にどう思うか尋ねられました。

『道標や案内板が多く、もっと自然のままにしておくべきだという方が見えまして‥』
『山慣れた方ならそう思うかもしれません。でも会長は、里山を安心登山できるよう整備されたのだから初心者の方にはとても優しい山です。今日は水芭蕉やツツジが咲き、色々なポイントもあって本当に楽しめました』

 会長さんは登山者用の駐車場にとご自分の畑を寄贈されました。町からも「川口コミュニティ」は認可され、近隣の山に負けないよう現在も皆さんで整備に励んでられます。個人所有の山なのでマナーを守りましょう。

さて新聞記事の川向の花桃は、岩伏山から257号線を10kmほど南下した川向地区です。
15分ほど走ると道路沿いの斜面が急に華やかになります。

500本のハナモモが彩り、観光客はひっきりなし道路わきに停車。
個人で50年前から植え、500本に愛情をかける伊藤さんは92歳。
もし設楽ダムができたら、この休耕地に咲くハナも愛も‥みんな水没します。



東海岳行
   “桃源郷天白公園  

 新聞記事シリーズです。4月15日(木)に長野県南木曽川町天白公園ミツバツツジが「400株まさに桃源郷」と紹介されました。国道19号線沿いなので、よく山行のとき車で走るのですが行ったことがありません。ひよこさんとお天気の良い17日(土)に出かけることにしました。

 前日、日本は冬に戻り降雪をニュースが伝えます。中央道を走ると高い山はただ事ではありません。そびえる南木曾岳1677mも新雪をかぶり憤然とした表情です。JRの南木曽駅から右岸に渡るとすぐ誘導員が祭り会場の駐車場を案内してくれます。

 地元の人の屋台村が美味しそうな香りを一面に放ちたまりません。料金300円を払い案内図を貰います。天白公園へ歩いて上ると群生するミツバツツジが鮮やかに輝く。



 沢山の観光客も笑顔で輝く。ネエ様が『今日は、たいしたツアーでないと思っとったら良かったがねエ』名古屋人だ。20分かけて傑作写真を撮ろうと四苦八苦しました。花は蕾もあれば、落花したものもあります。

 係の方が、いつもはいっぺんに咲き誇るのに、こんな咲き方は初めてだと言いいました。駐車場近くの桃介橋(モモスケバシ)に向かいます。すると「JR東海さわやかウォーキング」の参加者が、とても大勢で橋を渡っていました。リュックを背負っているのですぐわかります。

      

 電力王の福沢桃介(福沢諭吉の養子)が大正11年下流の読書発電所(関電)建設用資材の運搬のため架けました。247mの木製吊橋で国の重要文化財です。車からは見ていましたが、渡るのは初めてで景観にマッチした雄大なデザインだと思います。桃介はわざわざ一番川幅のあるところに架けました。気概ですね。

 一旦車に戻り少し下った南木曾中学校の臨時駐車場へ走ります。その前にある山の歴史館は祭り割引240円。建物は、明治時代妻籠にあった御料局(今の営林署)出張所です。木曽の森林は、明治政府から御料林への編入を強行され伐採禁止となりました。それは地元との間で騒動になります。

     
              [桃介橋]                         [山の歴史館]

 住民は盗伐して抵抗したのですが、見つかった人の留置場が2部屋(2畳)あります。案内のネエ様が素晴らしい早さで説明してくれ、とても面白かった。屋根付きの廊下で隣の福沢桃介記念館に行きます。電力王の別荘としてこの地に大正8年建築されました。彼はここから発電建設現場に通勤したのです。




 (桃介)  (貞奴)

 レンガ作りでマントルピースもある西洋建築は、この時代この地区では異彩を放ったでしょう。一緒に暮らした彼の愛人は、あの川上貞奴です。彼女は、各務原市鵜沼宝積寺町に貞照寺と別荘の晩松園を残しています。さて帰りに国道沿いにある道の駅賤母(シズモ)に寄ってごへー餅を食べましょう。

     
           [福沢桃介記念館]                       [ごへー餅]

 1本100円とお手頃。串だんごのようですが、クルミ入りのタレがほんのり甘くとても美味しい。ほんのり甘い思い出は心にいつまでも残ります。

2010.04.19(月)22:00