岳行ノート

浅間山(前掛山) 2524m/長野県御代田町(ミヨタマチ)

2010年8月22日(日)


湯ノ平高原(第一外輪山と第二外輪山の間


森から出て浅間山(前掛山マエカケザン)に向かう
振り返れば黒斑山(クロフヤマ)2404m、下に登山パーティ



 百名山の浅間山は花の百名山でもあります。長野県と群馬県の県境に位置しとても遠い。しかし草津白根山2171mに登ったとき近くに見て親近感がわきました。

 世界に名だたる活火山で最新噴火は2009年2月2日(画像)です。当然入山規制があり、噴火警戒レベル5から1までのランク。現在は平常ランクのレベル1です。
 
 標高2524m、コースタイムが6時間30分は、私には厳しい山行となり前夜泊します。それならば登山前日は避暑地軽井沢を散策してみましょう。


 「連休(お盆)後の休日は空き」という私の法則で休日1000円高速を利用して出かけました。単独です。


 教科書は、朝日新聞社刊「週間花の百名山11」です。参考書は「家族で山登り」さんにお世話になりました。
<駐車場>
[-]広域図、[+]詳細図、ドラッグスクロールで移動


浅間山荘駐車場

不動滝

火山館

シェルター

前掛山

二ノ鳥居

一ノ鳥居

浅間山荘駐車場



 ※赤線はGPS軌跡

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」


江  南:前日午前6時35分発  晴れ時々曇り
駐車地:前日午前11時5分着  以後、軽井沢観光へ
前夜:午後8時55分再着22℃ 
当日:午前5時10分起床16℃  晴れ時々曇り 
往:4時間15分(以下、小休止含)
復:3時間20分
◆所要時間:7時間35分



 長野上信越自動車道小諸インターで下り、浅間山荘へ向かいます。幅広の地道を走ると山荘前の駐車場へ到着。

 宿泊場を確認し軽井沢観光へ。夜ここに戻り車中泊しました。起床するとガスっていて肌寒く16℃。パジャマから登山服に。




 山荘横の水洗トイレ・登山ポストへ寄り出発です。1100mの標高差を最初は蛇堀川(ジャボリガワ)沿いに林道を歩きます。
(6:10)



 林道の終わりが一ノ鳥居です。30分毎の小休止と心に誓っていたので一本立てました。道標を見て沢コースの登山道へ。

 火山地なので樹木は少ないと想像していましたが、深い森が続きます。道は岩混じりになってきました。
(6:45)




 水音が轟くと不動滝。10mくらいの高さです。やがて太陽が稜線を越え、森に光が溢れます。登山道の花が輝きました。
(7:10)

(左)ウツボクサ[空穂草]紫色の唇形花が秋を感じさせます。
(中)タカネナデシコ[高嶺撫子]低地に咲くカワラナデシコの高山型です。
(右)カンチコウゾリナ[寒地顔剃菜]茎に剛毛が生え、顔に当てると髭が剃れそう。

カモシカ平に出ると第一外輪山の岩壁がカールのようで3万年前の水蒸気爆発の名残りです。
トーミノ頭(アタマ)・黒斑山蛇骨山(ジャコツダケ)2366mの連なりがあります。
カモシカが良く見られるそうですが、今日はご不在でした。



 突然、硫黄のキツイ匂いが‥浅間山の挨拶変わり。ここで登りタイム4時間の半分です。まだ2時間、もう2時間。

 あの丸い頂きに立つ自分が、まだ想像出来ません。とんでもなく遠く本当に2時間で?と思います。

鳥居を潜り標高2000mの山小屋火山館に到着。トイレ・水場があり往路排出、復路補給しましょう。
階下は緊急時のシェルターになっています。標高差300mトーミノ頭の険しい岩頭が上から目線。
休憩したら横の浅間神社に参拝し、小屋の裏へと続く登山道を登っていきます。
(8:30)



 花の百名山だけあり種類が多く、量もドカンとまさに百花繚乱、一家団欒。『整いました』蜂がマツムシソウに無我夢虫。

 花を撮ってばかりいると先へ中々進まなく『もう撮らない』と決めるけど、色々な誘惑が‥


 このルートは高度が徐々に上がるため、お陰で疲労感は感じません。カラマツが点々と生え気分の良い湯ノ平高原です。

 そして車坂峠分岐に出ました。車坂峠からのコースは、下山時にあの壁を登り返すのが辛そうです。
(8:45)


 Jバンド分岐を過ぎると浅間山の巨体に取り付きます。JバンドってJリーグとか脱肛バンドのようなもの?
高原が荒原の賽の河原に変わり、ここからがガンバリ・バンドの1時間です。
優しかった道が豹変し、ここ2200m辺りで森林限界バンドになりました。
(9:05) 

 富士山のような溶岩と砂礫の道。中央で前を行く登山者が遠い。そのため上を見ないように決め『ゆっくりゆっくり』と念仏を唱えてあゆむ。

 湯ノ平高原が次第に下になります。稼いだ高度を感じて振り返るのは楽しい。下の登山者より苦労が減ったと思えば、ささやかな喜びでまた足が前に出ます。

第二外輪山に上がりました。番号は古い順で外側の第一が3万年前。
この第二は730年前の1281年に出来たものです。現在の中央火口が、227年前の1783年に大噴火します。
7月8日午前10時頃、北方へ大溶岩流が発生しました。それが現在、鬼押し出しとして見られます。

シェルターが並んでいますが、周りに転がっている溶岩を見ると定期預金ほど安全ではないようです。
爆裂火口壁の右稜線に上がり左ピーク前掛山を目指します。最初急登ですが、すぐなだらかになりました。
(10:05)

 山頂2524m、道標は浅間山。500m先の火口から噴煙(雲?)が上がっています。北・中央・南アルプスのパノラマは見られませんが火口を見れば充分です。
(10:25)

 山頂の先が三角点2493mです。立入禁止ロープ、警告板が「入ると法律により罰せられる」と告示してます。少しの風が肌寒く、ここでランチは止めました。

 しかし、たまげたのは火口へ行き中を覗く人がいたことです。
さて噴火警戒のレベル3までの基準は‥
レベル1:火口から500m以内立入禁止(現在、前掛山登山可)
レベル2:2km以内(黒斑山など第二外輪山まで登山可)
レベル3:4km以内(登山禁止)

 稜線を戻ります。火口壁を隔てれば、こんなにも世界が違うのですね。さて最新噴火は、2009年2月ですが‥

 同年4月噴火警戒はレベル2へ引き下げられました。そして今年2010年4月15日、更にレベル1へ引き下げられたのです。

 このように良く変更されるので、登山前に確認しました。(→浅間山ネット)

 シェルターでランチします。稜線を見ると左の立入禁止エリアから右の前掛山へ歩く人。30分後、火口にいたイッセー尾形似の人が前を横切っていきました。
(10:50)〜(11:35)

 火山礫に咲くオンタデの根は2m以上地の中に伸びています。淡黄色は見ていましたが、こんなショッキング・レッドとは‥地下のマグマの色かな?




 下山します。登る前、山肌はただ砂礫地の塊に見えました。実際は、パイオニア植物のオンタデによる独占市場です。

 730年前に形成された前掛山にしっかり取り付き、たくましく生育しています。




 火山館で水を補給しました。少し降ると蛇堀川源頭。第一外輪山の仙人岳2319mが遠い。イオウの影響で土色が赤い。
(12:50)

(左)シャジクソウ[車軸草]小葉が放射状に出るので車軸草。中信高原と宮城県の特産種です。
(中)オニシモツケ[鬼下野]ピンクのシモチケソウより大きいので鬼がつく。紅葉のような葉です。
(右)ノアザミ[野薊]花は上むきにスックと立ちかっこよく咲いていました。

 二ノ鳥居へ着けば、外輪山外なので随分気が楽になります。分岐道標に不動滝の沢コースと山腹道コースが示されていました。
(13:55)

 当然、往きと異なるコースを選択します。山腹道は最初は荒れていても、すぐ快適な道になりました。この緑陰の涼をお土産にしたいくらいです。

 浅間山荘駐車場に帰着すると下のスペースにも車が止まっています。途中で数えるのを止めたほど今日は多くの登山者で賑わいました。駐車料金500円をフロントに払いに行きます。ロングコースを踏破し、高山の酸素不足にもならなく充実した百名山でした。この後、4時間半の充実ドライブのつもりが‥
(14:40)


東海岳行
   “軽井沢旅情  

 軽井沢の名前を知ったのは、皇太子様と美智子様がその地でテニスをして愛を育まれたというニュースです。1888年明治21年にカナダ生まれの宣教師A.C.ショーが、この地に初めて別荘を建てました。それが避暑地・別荘地としての軽井沢の始まりです。

 今回、浅間山登山で前夜泊するので前日、観光スポットを巡ることにします。最初は浅間山の北東に走り‥


       
(左写真)標高1300m北軽井沢軽井沢牧場は、熱中症対策か牛がいません。ここは「♪丘を越えて」の歌のモデルです。入場無料で家族連れが草地でシートを広げお昼を食べています。7月に登った草津白根山も望めました。東屋の背後が浅間山、その右へまさに連山という感じで峰が続いています。

(右写真)有名な鬼押し出し園(入園料600円)は浅間山の北麓。ハワイ島の溶岩台地をイメージしていました。実際は岩石の積み重なりで岩間に野花が咲き、白樺や松の木まで生えています。天明3年(1783年)大噴火の火砕流で出来たものです。暑さが半端じゃなく、1時間コースを歩いたら汗びっしょり。


       
 浅間山東にある白糸の滝は有料道路途中にあります。道路沿いに駐車しますが、500mの長さが満車で空きを待つ車でごちゃごちゃ。大勢の観光客が進む川沿いで突然ひんやりとした冷気が包み汗が引きます。すぐの滝は、湾曲した岩壁の間から糸のように地下水が落ち清涼感は100%。

 同名の滝は、富士宮市のが有名です。それは高さ20m幅200mもあります。ここの滝は、高さは3m幅70mと規模は小さいのですが、雨後も水が濁らない美曝です。それは上流の川が存在せず、いきなり岩盤から伏流水として落ちてくるためです。再び車を走らせると有料道路の出口に‥



       
(左写真)国重要文化財三笠ホテル(入場料400円)は純西洋式木造です。設計、建設もすべて日本人によるもので明治39年(1905年)営業開始し、昭和45年(1970年)64年間の幕を閉じました。シャンデリア・英国製タイル張りの水洗便所・英国製カーペットと当時、最高の設備です。有名な政財界人が利用したそうです。

(右写真)長野新幹線軽井沢駅前は大渋滞、通りも観光客で一杯。私の法則はあてになりませんね。辿りついた軽井沢町長倉の離山房(リザンボウ)は、緑に囲まれ趣のある喫茶店です。今日の散策でどうしても訪ねたかった所でここでした。ファンにはたまらない聖地です。店内に入ると壁に写真が並んでいます。

 ビートルズ解散後、ジョン・レノンは1975年に生まれたショーンの養育に専念するため音楽活動を休止しました。オノ家の別荘が軽井沢にあり1977年から1979年の3年間、一家は夏の終わりに軽井沢を訪れます。彼らは自転車で離山房やってくるとお気に入りのブルーベリージュースを頼みました。

       
 当時は周りには何もなく雑木林の中にポッと建つ裏庭の東屋を案内するとジョンは『グッ』と言い、そこで昼寝をしたそうです。上の写真は1979年のものですが、愛息ショーンの背を測ったり、一家とオーナーが東屋前で記念撮影しています。翌年1980年12月8日22時50分ジョンはニューヨークで銃で撃たれ亡くなりました。

 離山房には3年間で25,6回訪れたそうです。右写真が現在のお庭、太くなった木に緑テープが背の高さ、そこに針が打ち込まれてました。パイプ椅子も東屋も変わらなくあります。下左写真:30年後2009年ショーン(35歳)とヨーコ(77歳)が、お店のオーナーのおばちゃん(83歳)と東京で再開しました。

       
 ショーンは、驚くほどジョンに似ていて「気のいいレノン」という感じです。おばちゃんは高齢なので早くお店に行かなくてはと以前から思ってました。今でもお店を切り盛りしていて、私のようなファンが来ると気軽にお話してくれます。ジョンも飲んだ評判のブルーベリージュースを頼みました。

 甘味・酸味・濃度が丁度良く美味しい。でも800円というおきつめな軽井沢価格には驚かされます。翌日登山も終わり、小諸インターに向かう途中、グレート浅間が最後に全容を見せてくれました。左が黒斑山、右の尖ったピークの左丸いところが前掛山です。

 高速で順調に走れば19時30分の帰着でしたが、中津川インター手前の事故で22時過ぎとなり7時間ドライブでした。「みんなの願い交通安全」
10.08.24(火)16:30