岳行ノート

大日岳・三十三間山 751m・842m/福井県若狭町

2010年12月8日(水)


三十三間山の草原より右上に三方五湖

湖は若狭町美浜町にあり五湖のうち三湖が望め、写真中央奥ピークは三方富士梅丈岳400mです。
そういえば美浜町五木ひろしの出身地。実家は、誰もが想像するよう豪邸だそうです。


 滋賀・福井県境に三十三間山という変わった名の山があります。ガイドブックによれば、京都三十三間堂の棟木にこの山の木を使用したのがその名の由来です。

 山名で登山意欲が湧くことがあります。この山もその一つです。それは三十三間堂に格別な思いがあったためです。(今回の道草)

 周回プランを数年前に作りましたが、今年も計画倒れになるところでした。そんな折、嬉しくも「ジオンと山歩記」さんから山行のお誘いをいただいたのです。


 ということで参加人数10名のパーティで周回します。ところが当日のヤフー天気予報は雨のち曇り・風速7mです。さて‥


 教科書は、山と渓谷社刊「関西周辺の山250」です。参考書として「夫婦でテクテク登山」さんにお世話になりました。
<駐車地>
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P:駐車地

能登郷登山口

稜線出合

電波塔跡

大日岳

能登野越

838mピーク

三十三間山

草原
(ランチ)

最後の水場

倉見駐車場


 ※赤線はGPS軌跡
※青線は車道

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」


江  南:午前5時10分発  6℃曇り
駐車地:午前7時45分着  5℃雨のち晴れ
往:5時間35分(三十三間山まで以下、小休止含)
復:1時間25分
◆所要時間:7時間00分



 北陸自動車道の敦賀ICで下り、県道27号線を走ります。若狭町のデンヨー工場(上地図)を左に過ぎ、山へ向う道を左折。

 能登野地区で道脇スペースに駐車し、車道を200m弱南へ歩きます。少し前まで雨が降っていましたが天候は回復気味です。
(8:20)

 右の黄色い車止めポールがある林道で山へ向いました。良く見るとヘンスが境界に沿って山を囲んでいます。

 厳重な高電圧ヘンスですが、ゲートは開閉可能です。山を囲っても鹿は山中の幹を食べるし、猪・熊なら高すぎるようですが?(8:25)




 沢沿いの林道能登野線は2.1km。この先で道は広がり、大堰堤〜山神社跡石碑〜のり面工事現場〜取水口が現れます。

 林道終点から少し進むと‥



 渡渉地点です。向こう岸に右の登山口プレートが見えます。
(9:05)

 表示された近江坂古道三十三間山の麓、闇見神社(クラミ)と滋賀県高島市今津町酒波寺を結ぶ22.5qの道です。

登山口から一気に支尾根へ登り、自然林の中をジグザグと高度を上げます。
深く掘られた古道は昔、荷物を担いだ人馬が往来した名残りです。
落葉を踏み時の流れをなぞっていると天候が回復してきました。




 そして待望の稜線。ここで三十三間山へ向かう前に大日岳へのピストンが提案されました。リュックはデポして北へ降ります。
(10:25)

 稜線を10数分行くと林道に出合います。すぐ林道に沿った尾根に上がり、15分登るとだだ広い電波塔跡です。ここから東に延びる尾根を辿ります。
(10:45)

 風雪に耐えたブナが増え、こんな巨木もありました。稜線出合からΓ字型に歩きます。最後、南に道がカーブして先に鉄塔が見えたら‥




 その手前が大日岳三等三角点山頂。元の小御影山です。鉄塔の向こうには、大御影山950mが写っています。

 驚いたことにあちらの山頂付近は樹氷で白い。鉄塔前は展望が良く高島トレイルの峰々が望めます
(11:20)

大日岳で10分ほど休憩、そしてリュックをデポした稜線出合まで戻ります。
既に12時を回りましたが、登りが続くので三十三間山までランチは我慢です。
(12:15)
稜線は一旦、鞍部に降ります。すると下に近江坂古道能登野越が見えてきました。
この峠は地肌がむき出しで帽子の下に秘密を持っていると切なくなるでしょう。
古道は右下の能登野から登ってきて左へ降り大御影山へ向かいます。この古道に興味が湧きました。
(12:25)



 数分登ると右への曲折点で地形図695mピーク辺りです。迷いやすい箇所で樹々にテープが沢山付いています。

 ここは隣の尾根に登るようなルートです。分かりにくい箇所にはテープが10mおきにあり、落葉期は見つけやすくて有難い。



 次のピークを降ると『山頂だ』と安堵しますが、あれは838mピークです。この地点は稜線出合〜山頂の半分にも満たない。

 降りた鞍部から90m登り838mピークに着きました。するとまた60m降らなければなりません。結構タフなルートです。
(13:25)

 昨夜の確実な冬の到来が倒木に白く残されています。(↓)時はシビアに過ぎ14時近い。シャリバテ前に行動食を取ります。



 途中、至る所で枯れ木にナメコを発見し、その都度、歓声・嬌声があがりました。ごっそり収穫します。時はシビアに過ぎ‥




 出発から5時間半。ようやく辿りついた三十三間山三等三角点頂上。ですが、ここは展望がなく5分ほど灌木の道を降り‥
(13:55)

 眼下に大展望の大草原、ここなら極上の仲良しランチができます。
本日の日没は16時40分。山里は日が暮れるのが早いため、その1時間前には林道に着きたい。
そこでランチの準備・片付けで15分、バイキングは20分間と早飯宣言が発令されます。
(14:10)〜(14:35)


<奇跡の青空に三十三間山>

<豊穣の収穫:ナメコ>

<旺盛な食欲>


抜群の大パノラマです。南に琵琶湖、北方に眼を転じるとこの写真の山と海。
若狭湾に突き出て右:小浜市内外海半島久須夜ケ岳619m。
中央:奥に薄く小さい三角形の山が、秀峰「若狭富士」青葉山693mです。





 スピードランチを済ませたら倉見登山口へ向け下山します。尾根道は、なかなか急降です。



 しばらくすると「風神」(カゼカミ)のプレートがあり寄ってみます。天保3年(1832年)建立の銘が見えました。

 当時、この地で疫病が流行し、行脚の僧に石塔を山中に祀れと告げられたのです。担ぎ上げるのは大変だったことでしょう。
(14:40) 



 枯れてしまった夫婦松を過ぎ、やがて道は尾根から外れ植林地を降ります。この最後の水場を渡渉すると地道です。
(15:20)

 そして10分ほどで林道に合流し、舗装工事現場を過ぎると再びヘンスにゲートがありました。



 登山者用の第二駐車場を抜ければ、車をデポした広い倉見駐車場です。綺麗なトイレもあり人気の山だと思いました。
(15:45)

 新しい舗装道を2kmほど走れば、能登野の駐車地に帰着します。

里から夕日の当たる三十三間山を望みました。
左端の稜線凹部が能登野から登り着いた稜線出合、中央が838mピーク。
右ピークが三十三間山山頂、右端の凹部がランチした草原です。

奇跡の青空、思いがけない大日岳、大草原の早飯、間に合った下山。
また楽しい思い出が一つ増え、皆さんに感謝です。

ジオンさん、和たん、福ちゃん、みれさん、Sさん
乱丸&のこさん、ドルフィーさん、Jereysさんお世話になりました。


東海岳行
   “通し矢” 

 私は小学生の頃、「少年」という月刊誌を購読し、マンガが大好きだったことは以前記しました。中学・高校は、ビートルズに夢中でマンガから離れたのですが、大学生になると友人からあるマンガを読めと勧められたのです。それは白土三平著「カムイ伝」でその質の高さに驚きました。

 学生時代はお金がないので主に友人から本を借り、つげ義春作品や「あしたのジョー」などのマンガを読みます。社会人になると週刊誌などに連載され単行本なったマンガを本屋や古本屋などを巡って収集しました。当時、劇画と呼ばれるマンガがブームになります。

 デフォルメされた作画から一線を画し、写実的な作画です。シリアスなストーリーが新鮮でさいとう・たかお著「ゴルゴ13」のスケールにはビックリしました。時代劇にも小島剛夕著「子連れ狼」など名作がいくつか現れます。私が本屋で何気なく買った本が、満塁ホームラン級だと弟たちに『読め、読め』と押しつけました。



 そういった発見物の中に平田弘史著「弓道士魂」があります。彼の代表作でもあり、大の付く傑作です。「週刊少年キング」で連載され1974年に単行本が発刊されました。その内容は、簡単に表現すれば京都三十三間堂通し矢物語

 この通し矢とは、三十三間堂の121mもの軒下を矢で射通す競技です。江戸時代、競技は大いに盛り上がり、諸大名は京都に家臣を送り込み、通し矢に藩の名誉と面目を掛けます。やがて熾烈さは増し、勝者には千石が与えられ記録更新できなかった者は切腹する死にもの狂いの戦いになりました。

 特に御三家の尾張藩と紀伊藩は、異常な競争心を燃やしたのです。競技は、朝6時から翌日の6時までに軒下を貫通させて的を射る矢の数を競います。1668年、尾張の星野勘左衛門が10,542本の弓を放ち8,000本を的に当てました。24時間飲まず食わず出さずに弓を射たとして1本が8.2秒、76%の的中率です。



 18年後、紀州の和佐大八郎が13,053本を放ち、8,133本を当て新記録を作ります。1本が6.6秒、62%の的中率です。数打ちゃ当たる作戦!実は大八郎の父は、記録を作ったのですが星野勘左衛門に破られたため自害したのです。

 息子の大八郎は、父の名誉回復のため訓練に励みます。通し矢を成功させるには、三十三間堂の20本目の肘木に的(約76.4m先の上方)があると想定し、その真ん中を狙うつもりで射込みことがポイントです。三十三間堂と同じスケールの練習所を作り指導者ももとで訓練しました。

 彼をコーチしたのが名を伏せた星野勘左衛門です。‥凄いでしょそのストーリー。あまりの面白さに映画化されないことを不思議に思っていました。今回調べたら成瀬巳喜男監督、長谷川一夫田中絹代のキャストで1945年に制作されています。見たいけどレンタルDVDは無いでしょうね。

 

 さて通し矢は、現在でも毎年1月に式典として行われています。ニュースで見たことがありますが、競技方法は往時と異なり、まず新成人の男女が60m先の1mの的に矢を射ます。午後からは上級者の79cmの的への競射です。

 その後、更に的を小さくして新成人・上級者による決勝が行われます。和装した競技者の女子のたすきを掛けは凛々しく日本の美を感じますね。三十三間堂は平安後期に創建され、焼失し1266年に再建されたものが現存のものです。

 以前、訪れたときひさしを見回しました。記憶では、貫通せず刺さった矢の跡を見つけたと思いますが、定かではありません。いつかもう一度確認してみましょう。

10.12.13(月)00:45