岳行ノート

天狗倉山/三重県海山町  標高522m
2004.7.16(金)江南4時45分発 
             晴れ 28℃ 
登り:計2時間25分(小休止含)
降り:計1時間25分(小休止含)
 
 「熊野古道」が世界遺産になったら即、行こうと思ってました。平成16年7月7日に登録されたので、出かけることにします。コース選びに悩みましたが、古道らしい石畳と登山の楽しみもある「馬越峠」〜「天狗倉山」(テングラヤマ)に決定です。古道をピストンしたくないので電車を利用した周回にしました。

 ガイドブックは、中日新聞社「東海の百山」です。


初夏の熊野古道

 

道の駅海山P

相賀駅
   ‖(JR)
尾鷲駅

馬越峠

「天狗倉山」

馬越峠

道の駅海山P

※黄線はJR紀勢本線
※赤線は実測ではありません。

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」 
 児童館に七夕の飾りがありました。チョット寄って短冊を見ると幼い字で願いを綴っています。

『犬をすてないで』
 きっとお母さんに“言う事を聞かないと捨てるよ!”と怒られるんでしょう。目に浮かびます。

『すずめになりたい』
 これは心配だ。生きてることの楽しさを教えてあげなくては。

『いちご30こたべたい』
 かわいいなあ。この言葉だけで癒されます。
大人になっても『宝くじが当たりますように』なんて書かないで欲しい。
 さて“早起きは3文の得”です。身近に3文得した人はいないけど遠出なので早出します。高速を3300円も乗り継ぎ3時間半かけて海山町に着きました。道の駅・海山に車を止め、JR相賀駅まで20分歩きます。
(8:20)
 前日に電車の時刻表は、調べておきました。駅で190円の片道切符を買い定刻通りの電車に乗り込みます。
(8:57)
 尾鷲駅にはひと駅です。空は夏色で今日の日差しは、自信たっぷりです。
(9:04)

 駅で「熊野古道のルートマップ」をもらいました。
 28Pで全コースが掲載されています。これが実に良く出来ていて永久保存版です。
 古道入口までは、市街地を歩きます。1kmほど歩くと樹齢1000年の大楠がある「尾鷲神社」です。道中の安全祈願をします。
(9:20)
 墓地の中を抜けていくと「馬越公園」に到着しました。ここは桜で知られていますが、駐車場やトイレもあります。ここに来るまでに充分汗をかいたので休憩を取り、凍らしておいたポカリを飲みます。
(9:45)
 いよいよ古道の核心部に入りました。このときは、まだワクワクする余裕があります。「馬越峠」の南側(尾鷲市)は石積の階段で、帰りに歩く北側(海山町)は石畳です。
 展望東屋に着くなりゴクゴクとポカリを飲み干します。暑さにに弱いひよこさんは、15分毎に水分補給が必要です。ここから尾鷲市街が展望できますが、峠でのお楽しみを先取りしてしまいます。
 東屋から植林の中に入り、自信に溢れる日差しから少し逃げられました。向こうに「天狗倉山」の山頂が見えます。
 桧林を登っていきました。風はありません。

 突然ひよこさんが総毛立ちます。左の林の中を指差して『あれ、見て』と言いました。
 すると50mほど先を猿の群れが、ものすごい速さで駆け下りて行きます。次から次へと30匹以上がパニックのようです。
 急いで写真を撮りましたが、慌ててるので無残な出来です。中央右下におぼろげに写っています。
 石階段を1時間ほど歩き「馬越峠」に到着しました。ここまでで3人の単独男性とすれ違っただけです。
(10:40)
 右端の百葉箱みたいなところにスタンプがあり、駅でもらったルートマップに押しました。全箇所埋まったら自慢できますが、今のところ14分の1です。

 向こうの石碑の所に明治時代は、茶屋がありました。今、あればきっと繁盛するでしょう。誰か資金を出す人がみえたら、社長をやらせてください。
 峠からは、尾鷲市街が箱庭のように見えます。双眼鏡を覗いて、歩いて来た駅や神社を探しました。
 休憩が終わったら「天狗倉山」山頂を目指します。ここからは登山道です。
(11:00)
 30分ほどで山頂に着きました。南側に堤のような岩壁があり、それにおっかなびっくり登ると尾鷲湾が一望できます。掛け値なしに標高522m登りました。
(11:30)〜(12:30)

尾鷲湾。海辺の山ならではの眺望でまさに鳥瞰。
 祠の横に何故か温度計があり30℃です。山頂の巨大な岩塔に5mの鉄梯子が固定されていて当然登ってみます。
 そこが最高地点です。思ったよりも広く展望もいい。しかし日差しが、堪らないので日陰でランチにしました。

もう少しで雲がつかめそうです。‥嘘です、つかめません。
 来た道で峠に戻ります。2人で休むには、都合のいい休憩岩で一休みしました。
 峠からは、古道随一と言われる美しい石畳を下ります。江戸時代に作られたそうです。
(13:00)

 すると数人の軽装の人が汗だくで上がってきます。ところがその後もどんどん人が続きます。上半身裸の爺様、スカートの姉様、紳士靴のおじ様。ヒールのおば様。何の団体か尋ねると激安バスツアーのご一行でした。

 遺産登録後、超人気で今日もバス1台を追加して2台で来たそうです。入口でペットボトル1本もらい峠まで登り、全身ズクズクで尾鷲駅まで歩きます。きっとバスは冷房をキンキンにして待っているから誰か心臓マヒにならないか心配です。

 姉様達に峠のスタンプ台を教え、ルートマップを見せてあげると『頂戴!』と言われたので早々に離れました。
 長く続いた石畳も一枚岩の橋までくれば、もうすぐ終りです。
 『夜泣き地蔵尊』は、地元の人が子供の夜泣き封じを祈るそうです。往きと違いこちらは、北側斜面なので幾分涼しく感じます。
(13:30)
 海山町側の熊野古道入口に着きました。左の幕が世界遺産登録を伝えています。
(13:45)

 あと10分歩けば、車を置いた道の駅です。

 地元の人の話では、今まで夏はシーズンオフで古道を歩く人はいなかったそうです。その通りで低山の夏は厳しい。遺産登録のおかげで今年は観光客が、夏でも多数訪れているとのこと。

 「熊野古道」をロマンチックな遊歩道と思ってるとひどい目にあいます。夏の観光は、それなりの準備でお出かけください。



 いつも困ったときお世話になる一宮市のパソコン教授より投稿を頂きました。とてもいい話だったのでお願いして掲載しました。(おかずっぴ・のぞみ・むつみちゃんもありがとう)
  <前 編>
                                          <絵:小5のおかずっぴ君>
 交通当番の日だったのであの日は、良く覚えています
  
  巣作り(5月10日)


 帰ってくると玄関のあちこちに泥がついていたので、そこにいた小5の長男に怒りました。『何で玄関に泥を投げるの!』『違うよおかあさん。つばめが巣を作っているんだよぉ』
 巣が出来て玄関に糞を落とされては堪らない。今のうちに壊そうとしたら妹2人も出てきて『やめておかあさん。壊さないで』と必死で止めます。『分かった分かった、しょうがないなあ。』

 それから毎日毎日つばめの夫婦は、一生懸命の巣作りです。どこに行くにも何をするにもいつも一緒。泥と枯れ草を2羽で運び、2羽で作ってまた一緒に飛んでいきます。 『ギュギュ』『ギュギュ』と鳴き声を掛け合っている。“ねえ、少し傾いてるよ” “これでいいかい”と言っているようです。2週間後、心配なくらい小さな泥の新居は完成しました。

 あのくちばしだけで作った巣を見ていると夫婦の絆とか、マイホームへの思いとか、人に通じるものがあります。今では『糞が落ちるから巣を壊す』なんてとても言えません。

  誕生(6月1日)

 毎日ヒナの鳴き声を期待して耳をすませていました。ある日仕事から帰り、巣を見ると黒いもやが見える!嬉しさがこみ上げ、走って家に入り子供達に言うと『そんなのオレ、朝から知ってたよ』『ウソォ!』『ホントだって、学校に行くとき下に卵のカラが落ちてたもん』戻って見ると白地に茶の斑点の殻が確かにあります。子供はよく見てる。『そうか無事生まれたんだ。良かった‥』

 ヒナがいると分かれば見てみたいと思うのが人情です。人間とヒナが接触すると親が殺すと聞き我慢しました。4、5日後、休みの日に主人が、カメラを持って脚立を登ると『お、全部で5匹いるぞ』『4羽しか顔を出してなかったよ』『いや、小さいのが後ろに追いやられてる』『そんなのでえさを貰えるのかなぁ』そのときお父さんとお母さんつばめが、飛んで帰ってきました。

 『ピギー、ピギー』甲高い鳴き声で必死に威嚇をします。主人の肩すれすれに命がけで飛び回る。『早く降りて』『つばめ、勝負だ』男の負けず嫌いにもほどがある。騒ぎで子供達が出てきて『おとうさんのバカ!卑怯者!だんご虫!』と半泣きで叫ぶので主人は、ようやく脚立から降りました。 

 ある日、巣の下に糞受け板をつけました。ヒナ達も日増しに大きくなります。いつも最前列でえさを貰う“つば一郎”は一番大きい。後ろに追いやられる“つばこ”はすごく小さい。皆、一緒に巣立ちできるのかな。

  <後半>巣立ち・帰郷は、2005.07.17「本宮山」の"道草"に続きます。