岳行ノート

城山 172m/沖縄県伊江村

2013年1月21日(月)


グスクは伊江島のシンボル



 「遥かなオキナワ」7年ぶりの沖縄本島ツアーです。暑い季節に訪れるのが「すべらない沖縄旅行」の条件ですが、料金は高くなり中々行けません。

 反対に1月は安いけど最も冷え込み15℃〜20℃。でも江南市の5℃に比べれば5月頃の気候です。最近は、オフシーズンでもツアー客が多くなりました。

 寒さが堪える私達のような老々男女に人気があるようです。そこでH社の一流ホテル泊、全食事・レンタカー・各種入場券付お値打ちツアーに申し込みました。


 4日間のツアーのテーマは3つ。それは7年前『いつか登ってみたい』と心した城山(グスクヤマ)の登山、憧れのホテル宿泊、そしてウォッチング体験です。


 教科書に観光情報サイト「沖縄情報IMA」を見ました。
<駐車地>

大きい地図


林道入口



駐車場

登山口

城山

駐車場


 ※赤線はイメージ

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」


本部港:午前11時00分  晴れ/20℃
駐車地:午前11時45分
往:7分(山頂休憩10分)
復:5分
◆所要時間:22分
冷蔵庫より低い気温の江南市を出て中部国際空港からANA737(787ではありません)で2時間半。
那覇空港からレンターカーのデミオを運転し、70分走れば万座ビーチです。緯度はフロリダと一緒。
憧れのホテルは素晴しいロケーションに白亜のANAインターコンチネンタル万座ビーチリゾートです。

30年前に建設され、当時は高級すぎて新婚旅行でもないと泊まることができないホテルでした。
全400室がオーシャンビュー、気品に満ちた優雅な空間、雰囲気にのまれたユニクロファッションの夫婦。
ホテル側が哀れを感じたのか、ツアーでは低層階部屋指定ですがアップグレードしてくれ部屋は何と9階。

 その最上階まで吹き抜けで屋内展望用エレベーターが昇降してます。映画に出てきそうな光景です。帆船のような外観とともにリゾ−ト感に酔えます。

 バルコニーからのオーシャンビュー。チャペルが見えます。『ah〜極上のリラックスタイム』食事も美味しくH社はいいツアーを企画してくれました。



 美ら海水族館(チュラウミ)の入場券も付いています。先回のツアーの時、水族館隣接の海の見えるレストランでランチしました。

 その時、窓から見えた異形の島影が気になり食後、海岸へ出ました。それは‥



 水平線に平坦な島、人工物か自然かとんねるず風に言えばビーチク的なものが。調べると伊江島(イエジマ)の城山です。

 あれから7年間経ちましたが、登高意欲は衰えません。デミオで水族館近くの本部港(モトブ)へ走ります。



 フェリーは1日4本。本部港11h発に乗船し、帰りは伊江港13h発を予約しました。ということは、滞在時間は1時間半です。

 本部半島から北西へほんの9kmの船旅に出ます。
伊江島に近づくにつれ城山は、岩峰だとはっきりわかります。
「未知との遭遇」のようにUFOが降りてきて、雷鳴が轟きそうです。
それにしても海の色が綺麗‥山の中腹の左肩に駐車場の建物が見えます。

大昔、ここで古い岩盤が新しい岩盤に裂かれ、下に潜りこむものと上に乗り上げるものに分かれました。
逆向けて乗り上げた岩盤が城山オフスクレープ現象と呼ばれ、これが世界で唯一のものです。
さて30分の船旅はあっという間に終わり、デミオのカーナビに従います。

 島のどこからでも岩峰は眼に入ります。フェリー代を節約しようかと思ったのですが、緩やかな登りが3kmあり、強い日差しで歩いてられません。

 車で時間を節約します。5分ほど走り、城山の北東へ回り込むと林道入口です。この道を上れば山の南側の広場に着き、そこは‥



 立派な駐車場にお土産屋。岩峰は岐阜の冠山のように見る角度で異なる表情を見せ、ここからは烏帽子のようです。

 右の石碑は、昭和51年の皇太子ご夫妻御来村記念碑。(平成天皇) 登山口は、左の車の奥です。 





 その右側には、航海の安全・豊作などを祈願する「城山御嶽」(グスクウタキ)。今も守られています。



 さあ、ゲートを潜って登りましょう。ひよこさんもスーパー低山ならと足取りも軽い。何しろ登山口ですでに標高100mです。

 最初は南国の樹木に囲まれ、平坦な遊歩道を歩きます。





 すぐコンクリの急階段に出合い斜面へ取り付きました。あとはきつい傾斜をひたすら登ります。調子よくポンポンと行けば‥

 息が切れる。よくこんな岩山に樹林があるものだと驚きます。そして森林限界?を抜けると展望が眼下に広がってきました。

 登山口から7分で登頂、遮るものない360度のパノラマ。島全体は平坦で城山だけが高台です。海に囲まれた島の全容が見える感動の光景。

東方向はエメラルドグリーンの海、伊江ビーチ
その向こうは沖縄本島の本部半島で左方に美ら海水族館が望めました。
青い空、青い海、風が止まる。それほど広くない山頂ですが、とても落ち着けます。



右下の黒い石板に伝説が刻まれていました。「島の力自慢の大男が、隣村との戦いで城山に登り、攻めて来た敵に大石を投げつけ退散させ、その時踏ん張った足跡が残った」それは石板の上方で賽銭が一杯です。


←山頂の四等三角点は、プレートでした。
これで7年前の夢を叶えたので‥



 西方向から下山します。右にサトウキビ畑、奥に滑走路が横切っています。その空港から海側が在日米軍基地です。

 東西8.4km・南北3kmの楕円形で2200世帯4800人が生活し、集落は南側に集まっています。観光客は年間13万人と上昇中。

 城山の林道で見た花々です。もうが咲いています。南国沖縄の面目躍如です。



 伊江港に戻り、フェリーに乗るとフェリーターミナル「はにくすに」(長い砂浜の駅)の屋根越しに城山が覗いています。

 『バイバイ、ありがとう、さよなら』 明日3日目は、朝9時那覇港からホエールウォッチングのクルーザーに乗船します。

 場面は変わり、那覇港から西40kmの慶良間諸島沖。1時間かかりました。随分揺れ5人が、リバースしています。トイレはガツンガツンと大変でした。

 25人の乗船客は若い人が多い。二階に上がり皆で四囲を見張ります。ターゲットのザトウクジラは、体長15m、体重30t、殆ど恐竜の大きさです。

クジラは、アラスカから繁殖活動のため温暖な沖縄に(12月末〜4月上)やってきます。
呼吸のために海面へ6分毎に現れるのを見つけるのですが‥呼吸は、1回で終わらず2,3回します。
乗員が『右前方で上がりました!』と叫ぶ。眼を移すと遥か遠く、ブロウの潮や体の一部が見える。


小さな姿は数回見ましたが、30分過ぎてビッグチャンスが到来します。
操縦士がクジラの潜った跡を発見し、追うと20m先で現れました。
子クジラもついています。皆は待ち時間が長かったので大興奮。

クジラが消えると操縦士は『あ〜俺ってうまいなあ』と自画自賛して
『さあ盛り上がった所で帰りましょう』とショウタイムの終了をワザと大声で言う。
もう少し皆は見たい。私が代弁して『マジッすか!』とやり返す(笑)。
 11時半に帰港して那覇市国際通りへ向かいました。ランチにサムズという鉄板焼きステーキのレストランを事前に予約しました。トム・クルーズ似のシェフが調味料の容器を使ってパフォーマンスし超楽しい。(上左) 食事が終わる頃、本気雨が降ってきました。傘はデミオ車中なので上がるのを待ちます。(上右)

 後席に団体客がいて添乗員の女子が『近くで100円傘を買ってきます。欲しい方は?』 10分後、傘を抱えて戻り、購入希望者に渡すとき、雨がスーッと小降りになりました。客のネーさまが『止みそうだから私いらない』とわがままを言うと添乗員さんは『そう言われたら困るなと思っていました‥』『冗談よ』



 3日目の夜は、ホテルから国際通りをそぞろ歩き、琉球舞踊鑑賞しゃぶしゃぶです。一生懸命踊る若者を見てると涙が出ました。

 私は遠い日、まだアメリカ統治時代のオキナワを訪れたことがあります。こうして元気な沖縄を見ると嬉しさがこみ上げてきます。


東海岳行
   “琉球と沖縄” 

 40数年前オキナワへ行くため、独り神戸から小さな船に乗りました。那覇港まで2泊3日かかる長旅で、船室は船底三等大部屋です。船酔いがひどく、くたばって畳に寝転んでいると隅っこで4人の青年が車座に座り話しています。私は聞いたことのない言葉で外国語のようです。‥中国語・韓国語?

 流れてくる言葉の中に時々『ニジュウサン』『イチ、ニイ、サン』と数字の日本語が出てきます。後で分かったのですが、会話は沖縄の方言でそれが私の沖縄とのファースト・コンタクトでした。ところで私は歴史が苦手です。

 でも沖縄が昔、琉球王朝と呼ばれていたことは知っています。愛知も昔は、尾張とか三河でしたから廃藩置県的なことか思っていました‥しかし王朝って? 殿様ではなく王様がいるの? それは長い間、謎でした。



 7年前家族で沖縄旅行をしたとき、JTAの飛行機の機内誌を何気に読んでいたらその謎が解けました。日本は古代、色々な国があったのですが大和朝廷(天皇)が統一し、国名は大和から日本と改められました。しかし琉球は遠い海の向こうにあり、その勢力は及びません。

 その琉球にも3つの国がありましたが、室町時代のころ統一され琉球王国となりました。日本とは別の独立した王国で国王がトップにいるわけです。さて天皇と国王ってどう違うのでしょう? そのころ東アジアでは中国の明が大きな勢力を持っていました。明の皇帝に貢物をささげた国のトップが国王に任命されます。

 琉球や朝鮮半島(新羅・高麗‥)は、そうしたことで国王がいたのです。ところが日本は、そういう意識はなくトップは天皇という称号でした。その後、江戸時代になると徳川家康が九州の薩摩藩島津氏琉球征伐を命じます。戦国時代を潜り抜けてきた薩摩藩は多数の鉄砲隊で攻撃に出ました。



 結果、鉄砲を殆ど持たない琉球はあえなく陥落。1609年、琉球薩摩藩の領土となります。ところが薩摩藩は、政治的な実権を握っても独立王国の形は残しました。幕府はなぜそんな形にさせたのでしょう?

 明は、海禁政策(海外貿易禁止政策)を取り、「家来にしてください」と頭を下げてくる国としか貿易をしません。日本はそうしませんでした。しかし、明との貿易は膨大な利益を生みます。そこで幕府は薩摩藩琉球を支配させるのですが、外見上は独立王国として風俗、習慣、文化を存続させました。

 薩摩風に変えてはならぬということです。建前と本音ですね。やがて大政奉還を経て明治になると琉球は日本の沖縄県となります。明治12年のことです。‥ということで謎は解けました。※Coralway2007年3/4月号井沢元彦著「沖縄」はどこからきたのか「首里城の謎」‥を参考にさせていただきました。



 しかし沖縄は太平洋戦争後、1945年から米国統治時代となり27年後の1972年に本土復帰。私がパスポートを持ち那覇港に着いたのはその2年前の1970年です。

 車は右側通行、通貨はドルでした。このように日本と沖縄の間には重い歴史もあります。いま、素敵な風土と人情のある沖縄へ自由に旅することができるのは嬉しい限りです。

 H社は、この3泊4日のツアーがよほど好評だったようで2月から殆ど内容を変えずまた売り出しました。最安値は驚きの54800円、1月より2月が安いとは。トホホ、、、こんなことなら2月に行けば良かった。ひよこさんに『2月にもう一回行く?』と聞くとまんざらでもない顔で笑っています。素早く『冗談だよ』
13.01.28(月)00:30