岳行ノート

風頭山・大日山 597m・651m/愛知県岡崎市

2013年2月9日(土)


風頭山〜大日山間の板状節理の露岩

 裂け目から根性木が育っています。


 先週、久しぶりに愛知の山を登りましたが今週も続けます。愛知の山を登る前は、ガイド本「新こんなに楽しい愛知の山130」で確認します。

 購入して9年経つ私のバイブルです。紹介された130座のうち登行したのは75座。6割にも満たない数でこんなに楽しくなるのはまだ先です。

 今回選んだ未踏の風頭山はフートーと呼び、日本郵便のCMに使えそう。稜線伝いの大日山は、三河の愛山本宮山まで4kmの近さです。


 東名高速道路の岡崎ICーで下り、東進するため県道35号線から県道37号線へ移動。男川(オトガワ)の右岸沿いを走ります。

 教科書は、風媒社刊「新こんなに楽しい愛知の山130」です。参考書は「トレッキング愛知」さんにお世話になりました。
<駐車場>

大きい地図
 石原町まで車を走らせ、公民館を左に右折し橋を渡ります。三叉路を鋭角に右折、未舗装林道で南西方向へ‥


林道駐車地→三角点→▲風頭山→▲大日山→下降点→林道出合→林道駐車地

 ※赤線はGPS軌跡  ●は主な分岐点

■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」


江  南:午前7時30分発  晴れ/-2℃
駐車地:午前9時50分着  曇りのち晴れ/1℃
往:2時間15分(大日山山頂まで・小休止含)
復:1時間50分(ランチタイム除)
◆所要時間:4時間05分

男川沿いを行けば「山眠る」‥静かで穏やかな里山。
四つの小峰は右から風頭山、三角点峰、一つ飛ばして左端が大日山です。


 800m進むと舗装道に変わり、右に広い駐車地。やばい!登山靴を忘れた。履いてるウォ-キングシューズで西へ‥
(10:05)


 写真の左奥から100m歩くと「風頭山登山口」の標柱。左折し、山へ延びる林道に‥

 コンクリ橋で右岸へ渡ると道は、二股に分かれ右を取ります。(10:10)

 林道を辿り、終点に車両転回場。ケルンがあり、ここから登山道です。(10:20)


 沢から離れ、斜面を登ると林道に出ました。斜め左へ横断して登山道へ。
(10:40)

植林の間を縫う道できつい勾配に耐えます。
道は、テープが要所にあり、踏み跡もはっきりして大丈夫です。


 高度を130m稼ぎ稜線に到着。プレートに「←風頭山あと25分ユックリ」 リュックをデポして右の尾根を歩きます。
(11:10)


 西進し四つ目のこぶが四等三角点峰。展望はありません。歩いた道を戻り、風頭山を目指します。
(11:15)


 リュックを回収し、はっきりした尾根道を行くと意外! 露岩がボコボコ現われました。冷たい風が音を立てます。


 樹間から石原町の宮崎小学校が望めました。遠くは、六所山611m(左)と炮烙山(ホウロク:右)684m。


 頂き前の急登で高度を50m上げれば風頭山頂上です。アセビで眺望はありません。三角点はなく、南へ行くと‥

こじんまりした岩場から絶景! 南東に山が囲む上河原集落、バランスのいい絵のよう。
左の頂にアンテナ群があるので本宮山789mとすぐ分かります。

 岩場は定員5名。クッションを置きリュックにもたれ、前の岩に足をかけるとF1ドライバーのような姿勢です。

 『楽ちん楽ちん』 絶景のVIP席でランチ。樹木が風を止めてくれる。
(11:50)〜(12:30)

 『最高!』目を右へ移すと中央左に豊川市の観音山409m、中央右は額堂山421m。
『逆光だ』光る三河湾奥には渥美半島‥山頂から30kmの距離があります。


 ランチ後、風頭山から稜線を東へ。露岩が多く見られます。3p厚の板状の岩が何枚も重なる板状節理です。

 尾根道はわかりやすく、風頭山597mから54mプラスして三等三角点大日山651mに登頂。

 本宮山789mまで尾根続きで2時間の歩行タイムです。その道を確かめたら歩いてきた道を戻ります。
(13:10)

 20分でピークに境界標石。数十m降り、この赤いプラ杭から右斜面の植林を見渡します。『よさそうだな』

 道はありませんが、谷部へ向かいます。「トレッキング愛知」さんが下山時したショートカットです。
(13:55)

 立ち木や切り株を手がかり足がかりに降ります。ウォーキングシューズでは、踏ん張りが利きません。

 ‥と下に白いコンクリが見えました。

 新しい堰堤です。右岸に階段があり、林道へ簡単に着地できました。15分短縮できたでしょう。

 力技を使い目標通りできると充実感があります。
(14:15)

 昨年、舗装されたばかりの林道石原河原線を降っていけば、7分で5コマ目の林道横断地点。

 山道に入り、朝登った道で駐車地へ歩きます。風頭山‥里山らしい名前、フートーサンの響きがいい。
(14:50)駐車場着


東海岳行
   “受験生” 

 中学3年生の頃、大学まで進学したいと能天気に考えていました。高校2年生後半に父が『どうする?』と尋ねられ『進学したい』と返事すると、我が家は余裕がないからといくつか条件がつけられました。その一つが「浪人はならぬ」。鉛色の重い空気が、一年間私にまとわりつきます。

 高校3年生の夏休み、先生が『この期間の頑張りで差が付くぞ』と言う。私は気合を入れ、理解できない漢文を参考書一冊読破して何とか克服しました。2学期後半に受験校を決めます。ある大学のある科の競争率が、年ごとに2倍〜10倍〜2倍〜10倍と繰り返す法則を見つけました。

 私の受験するときは2倍です。ここしかない。ところが入試科目は、頑張った漢文が入っていません。『あの夏休みは何だったのだ? 時間を返してくれ!』と心で叫びました。私は英語とか、現国が苦手、また特に暗記モノは嫌いです。唯一得意科目だったのが数学でした。



 高校で数学最後の項目は、「確率」。その年から授業に採り入れられたのです。私はそれがまったく理解できず『まだ入ったばかりだからまあいいか』と諦めました。そうして迎えた入試は、英語・現国ともあまりいい出来ではなく、最後の砦、数学にかけます。

 問題を見てびっくり「確率」が2問も出題されている。解答用紙一枚何も書けなく白紙です。敗北感に打ちひしがれ帰宅。父が『どうだった?』と聞くけど『むにゃむにゃ』と誤魔化すしかありません。発表当日、布団の中で狸寝入り、浪人の許しを土下座して請わなければと考えていました。

 父が郵送された通知を見て『おい!受かったぞ』と嬉しそうに部屋に来ました。信じられません。私も見ましたが喜びがまったく湧きません。あの出来では受かるはずない。大学の通知ミスだ。両親は喜んでますが、私は学校から合格訂正の連絡がいつ来るかビクビクしていました。



 後日、父と大学に行き入学金など支払い手続きを終えます。そこでこの期に及んで大学の『ミスしました』は、無いだろうと思いました。条件通り現役合格したけど『やった〜!』という心の底からの喜びを経験せず、ずるずる入学したのが悔やまれます。

 入学式まで、解放された春休みです。父が『岐阜のおじさんがお祝いをくれるそうだ』と言います。遠い親戚らしく私は、その人の顔を一度見ただけ。それは行かねばなりません。父と二人でおじさんの家に着くと応接間で接待されます。ご祝儀袋をもらったら、もう帰りたいだけ。

 宴もたけなわ、おじさんが『うちの息子が今度高校三年生になり大学へ行きたいと言っている。そこで合格のノウハウをあんたから教えてやってくれないか』なんだそれが目的だったのか。私は2階の部屋に案内され、そこで待っていた新受験生と話をすることになりました。



 二人は初めての出会いなのでとりあえず年長の私が『大学は決めたの?』『まだです』『理系、文系?得意科目は?苦手は?』とおとなしい彼に尋ねます。そして私の失敗例、受験の心構え、勉強の集中方法など一生懸命経験談を交えて教えてやりました。

 30分話し、『頑張ってね』と言って戻ります。帰り道、父が『どうだった?』と聞くので『質問ないし、大事なこと話したのにメモも取らない。真剣さがないな、だめかも』と感想を言いました。一年後、私は春休みで帰省すると父が、『岐阜のおじさんの息子のこと覚えているか?』

 『受験したのだ。どうだった?』『合格したってさ』
私は意外に思いました。『へえ〜それは良かった。どこ受かったの?』尋ねると『東大だ』『マジッ!』私は、瞬間湯沸かし器のように一気に顔が赤くなりました。あの時、上から目線で話した自分の態度‥恥ずかしさが沸騰しています。

13.02.11(月)21:35