岳行ノート

継鹿尾山 273m/愛知県犬山市 

2014年3月28日(金)


座禅石(桜の右端上の白い岩)

(木曽川左岸、寂光院参道入口の堤防道路から仰ぎ見る)


 2月24日に辿った楽田山の山名を確認するため、図書館で「尾張名所図会」を見ました。江戸末期/1868年尾張地方の絵入り名勝案内図です。

 とても面白く犬山市の入鹿池、尾張富士、本宮山継鹿尾山寂光院などをコピーしました。興味を引いたのが座禅石・鳶岩・箕岩です。

 説明文は、昔の崩し文字で理解不能。その3ヶ所は、前後の頁から継鹿尾山の周辺にあるようです。ガイドブックには、記されていません。


 犬山をフィールドとしている野良人さんにコピーを渡し、探索を丸投げしました。好奇心の強い方ですから待つこと1ケ月。

 連絡が入り、山友の画伯も誘って3人で継鹿尾山を探訪します。参考書は、永東書店刊「尾張名所圖會 後編六」(一宮図書館蔵)です。
<小野洞砂防公園駐車場>
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大きい地図
  名鉄広見線善師野駅の西方にある小野洞砂防公園駐車場に車を停めました。


公園駐車場→常夜灯→▲継鹿尾山座禅石箕岩鳶岩展望地→公園駐車場

※赤線はGPS軌跡 ●は主な分岐

■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」


江  南:午前9時05分発   晴れ/13℃
駐車地:午前10時15分着  晴れ
往:1時間25分(継鹿尾山まで、小休止含)
還:3時間00分(ランチタイム除く)
◆所要時間:4時間25分


 春うらら、ちびっ子が遊びに来ています。コースは、野良人さんのプランです。善師野駅西の踏切まで歩きます。
(10:30)

 絵地図看板で木曽街道禅寺野の旧宿場を行くと常夜灯。単独者が撮影していて道にカメラを落としました。

 壊れたようで困っています。突き出たレンズ部がクニッと曲がっている。教えてあげ、「カチッ」戻すと治った!
(11:00)
善行すると気持ちがいい。一里塚、観音様、神社など見ながら北進します。
舗装道から未舗装道に入ると突然左に岩壁がありました。


登ると岩の凹みに15cmの石仏が祀られています。
街道の絵地図看板に不動尊と描かれていました。
野良人さん『隠れキリシタンの像かとと思った』堰堤を登ると‥


 知る人ぞ知る東海自然歩道のベンチ休憩地、大洞池です。池北端で左折し、谷部を西へ歩きます。
(11:20)


 少し藪っぽい道を抜けると登山道。遠回りした東海自然歩道につながりました。100段以上の丸太階段を登れば‥

 継鹿尾山二等三角点山頂。平日ですが次々に登山者が登頂します。
(11:55)
 東屋でランチ。展望は春霞で遠望できません。変わらない木曽川の流れと伊木山173mです。 〜(13:00)


 山頂から南へ降り、左折して山腹を回り込む。東海自然歩道の丸太階段に出たら北の谷道へ入ります。
(13:10)


 沢の流れはささやかですが、10分でこの乙女滝(落差4m)。ナメ滝、姥滝と続きます。


 沢が川に合流したら、渡渉して右岸の大平林道に登り左折します。10分で右の大平山登山口を見送り‥
(13:35)

 左の廻り角にある大岩から登山道へ移りました。岩端で川へ下降して‥(13:45)

 堰堤に降ります。左岸へ渡り、斜面を強引に登ると沢道。先で右の稜線へ向かうと‥


 継鹿尾山西尾根に到達。右折して尾根筋を藪を分けると石積み。一日楽しむ野良人さんのオプションです。
(14:20)

 小ピークを左折し、40m藪を下降すると平らな岩頭がありました。『座禅石はここか』 二人は座禅。

 良く見つけたものです。『図絵の景色からこの辺りだと思った』 画伯が指さす。『下にあるのは?』
(14:30)

さらに20m藪を分け下降すると一人分のスペースがある平らな岩頭に出合いました。
ここです、間違いなく座禅石。理由は下の道草をご覧ください。観望は図絵にそっくりだ。
予期せぬ発見に3人は喜び、座禅を組んで記念写真を撮ったのは言うまでもありません。
(14:35)


 尾根を戻り、石積みからさらに西尾根を行くと突然石仏。寂光院四国八十八か所霊場の最北端でした。
(14:55)

 尾根の霊場を登ると東海自然歩道に出ます。写真右の岩場にお馴染みの鉄パイプの手摺りです。
(15:05)

 ここから座禅石まで1時間で往復できるでしょう。まだ2ヶ所の探索が残るので本堂へ向かいます。

 寂光院(ジャッコウイン)は開基が654年、本堂は国登録文化財。左端は樹齢400年のラカンマキです。

 本尊の千手観音は秘仏で60年に一度開帳されます。次は2044年、長生きしたい。写真右方の坂道を降ります。
(15:10)

 野良人さん『昔はこれが参道だったと思う』駐車場からの階段道は、本堂裏に出る。この道なら正面に出ます。

 画伯『本堂再建の時は、この道で資材を運んだのでは』 それは明治12年のこと。箕岩(ミイワ)探索に進みます。

広い道は溜池で突き当り、右折して170m行くと突然大きな洞穴。
野良人さん『形からして箕岩だと思う。中の岩脈も竹で編んだようだ』
右写真が「箕:み、みの」と呼ばれる農具です。箕岩は、いいネーミング。
←洞の入口左に座像
奥には石仏が2体→
『よく見つけましたね』

犬山の低山、尾根・谷を知り尽くす野良人さんもここは知らなかったそうです。
(15:20)

 先ほどの右折点手前で左の岩場を登ろうといいます。『わざわざ?』40m上がると石仏群に出合いました。

 眺望が西にあり、野良人さんが石仏の向いている山腹を見るよう言いました。
(15:40)
『岩頭が鳶の頭の形に見えるだろ』 名所図会は、箕岩の近くに鳶岩(トビイワ)が描かれています。
『さすがですね』見つけた時、野良人さんの小躍りする姿が目に浮かびます。(道草参照↑)
 
境内から南へ来た所で、本堂に寄った時ついでにこの展望地に来ればよかったのでは?
『いやいや、見つける楽しさを味合わなくては』 苦労して見つけたんですね。

 本堂へ戻り、広い道を降ました。途中、渡渉して谷道を南進します。この辺りのバリルート知識はさすがです。

 「継鹿尾山南登山口」から歩けば、小野洞砂防公園駐車場です。名所図会の謎解き旅が終わりました。
(16:00)


東海岳行
  “尾張名所図会を読む” 


 ウィキペディア「尾張名所図会」とは‥尾張藩士で学者の岡田文園と、春日井郡枇杷島にあって枇杷島橋の橋守役を務めていた野口市兵衛家の8代目・野口梅居とが著し、尾張藩士で画家の小田切春江や春江の師に当たる森高雅が挿絵を描いたもので、尾張国八郡の名所が描かれ全13巻。

 天保9年(1838年)〜天保12年まで3年をかけて執筆され、天保15年(1844年)2月に前編7巻が刊行された。野口家は、財産を使い果たしてしまったという。後編6巻の刊行は明治13年(1880年)、愛知県の資金援助を受け、名古屋の書肆「永楽屋の片野東四郎の手で行なわれた。

 今回の山行は、その中から継鹿尾山寂光院近辺の名所「座禅石」「箕岩」「鳶岩」を探索し、出合うことができました。座禅石の図絵は、↓の見開きです。文章は「座禅石より見下ろす光景、籠堂より西南の展望、眼界蒼茫として、山水の美、筆端の及ぶ所あらず」と記されています。



 上の岳行ノート13コマ目の光景と似ていますね。その場所をどうして確定できたかというと‥

 岩の手前に標石があったのです。「日峯国師禪修行之石」(下右写真) これは間違いない!

 室町時代
初期に犬山瑞泉寺を開創した日峯国師が座禅修行した岩です。



 座禅石を下から見たく、木曽川左岸を犬山橋から1.5km走りました。寂光院参道入口で巨岩が道の上にオーバーハングしている所です。名所図会にもこの巨岩の絵があり、江戸時代は道がなく、岩にかけられた桟橋を歩いていました。そこで撮影したのがTOP写真。その引きの絵が(下左)です。

 

  座禅石をアップしたのですが(上中)、岩肌に何か刻字があるように見えます。現場ではそこまで気が回らず確認しませんでした。次に出合った箕岩鳶岩ですが、名所図会(下写真)では現在の参道入口から登って来た旅人が箕岩を眺めているようです。

 上方に飛び出た鳶岩が見えます。形は岳行ノート19コマ目の岩と比べるといい感じですね。まだ名所図会は興味を引かれるページがあります。

 野良人さんは、名古屋に行き復刻版を購入されました。文字ページも少しづつ解読を試みられています。何か見つけられたら名所図会山行2に誘って下さい。
2014.03.31(月)18:30