岳行ノート

    しずがだけ 
賤ヶ岳〜山本山 421m〜324m/滋賀県長浜市


2015年3月25日(水)


賤ヶ岳を降り山本山へ




 湖北の山々は、高島トレイル等で幾座も登っています。しかしその入門とも言える余呉湖周辺の低山には、まだ足を入れていません。

 特に賤ヶ岳から山本山の山稜は、琵琶湖の眺め、山々の展望、歴史の遺構と魅力タップリです。しかし、小さな山の連なりでも距離はあります。

 南北に直線で10kmと歩きがい充分。そんな思いが届いたか、水曜会のジオンさんからこのコースのお誘いを頂きました。


 賤ヶ岳から登り始めた方が、足には優しいそうです。そこで山本山近くの駐車地、朝日小学校横の駐車場に集合し、余呉駅方面へ走ります。

 ワカサギ釣りで有名な呉湖、その東岸を南下します。9名のパーティです。
<駐車場>
ドラッグスクロールで移動

大きい地図 [+]詳細図、[-]広域図



<以下、右地図の上に続く>
 









































岩崎山登山口P→▲大岩山→▲猿ヶ馬場→▲賤ヶ岳→▲右近山→▲山本山朝日小隣P

※赤線はGPS軌跡 ●は主な分岐点

■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」


江  南:午前6時00分発    曇り/1℃
駐車場:午前8時35分着    曇り/4℃
往:1時間50分(賤ヶ岳山頂まで、小休止含)
還:3時間40分(ランチタイム除く)
所要時間:5時間30分




 余呉湖の直前の左に余呉湖観光館。そこに駐車場がありますが、更に500m南へ進みます。

 対岸を見ると『朝の虹って珍しいなあ』 そこに‥





 「賤ヶ岳岩崎山登り口」の指標。道路のスペースに置車しました。3月末、冬が粘り腰を見せ気温4℃。冬モードで出発します。
(8:50)

アベマキアカマツの林が広がり、階段を急登します。
指標は「岩崎山登り口」でしたが、今回は北端の岩崎山は省略。まず大岩山を目指します。
10分で尾根に着き衣類調整して右折。広くて歩きやすい遊歩道を進み林道を横断すると‥


 「中川清秀の墓」の案内板。指示通り登ると広い大岩山砦跡280mです。奥で立派なお墓に出合います。(9:20)

 秀吉側の中川清秀は、この砦に千人で陣を張りました。柴田勝家側の佐久間盛政が7千人で奇襲し中川は全滅。

 その後、秀吉の追撃により佐久間盛政は敗北しました。





 大岩山から300mほど進むと東斜面下に首洗いの池。土民たちが中川清秀の遺体をここで洗い、谷に隠して守りました。
(9:30)



 秀吉が、佐久間盛政の迫撃戦を指揮していた猿ヶ馬場270mです。四等三角点がありますが見逃してしまい残念。
(9:40)

 やがて戦線が余呉湖西岸へ移ると秀吉は陣を賤ヶ岳へ移しました。





 道には昨夜の雪が薄く残ります。でも踏み跡は明快。積雪があればスノーシュー縦走でした。それは楽しそう。そして‥

 賤ヶ岳三等三角点421m山頂。織田信長本能寺の変で逝った後、秀吉柴田勝家が、覇権をかけてぶつかった古戦場(1583年)です。  (10:25)

 山頂広場にある武者の像。槍に寄りかかって腰を下ろし、脱いだ兜を傍らに置いています。疲れ果てて戦のむなしさを物語るようです。

今は静かな余呉湖、メインの琵琶湖はもちろん素晴しい360度のパノラマを楽しめます。
この眺めは「新雪・賤ヶ岳の大観」という琵琶湖八景のひとつです。
左端の形が良い三角錐は、余呉トレイル行市山660m、右より奥の小さな三角錐は七々頭ヶ岳693m。




 そして南を見ると最後の目的地、山本山へ山稜が延びています。まだ先は遠い。賤ヶ岳では、道のりの1/3にもなりません。

 右に大きな琵琶湖が広がっています。




 賤ヶ岳のリフト乗り場から尾根を南下しました。鉄塔を2基過ぎると広葉樹の整然とした樹林です。

 紅葉の美しい彩りが期待できますね。 



 登りきると四等三角点の右近山360m。展望は無く、先を急ぎましょう。
(11:25)

 緩やかに降り赤尾分岐有漏(ウロ)神社分岐、そして磯野山分岐磯野山まで片道20分の指標を見てピークハントはパス。


 その後、しばらく山稜の幅がぐんと狭くなります。一番狭い所で300m程。展望がいいかと思うとそれほどでもありませんでした。

 この丘陵上には、3〜7世紀にかけ築造された132基の古墳が並び古保利古墳群と呼ばれてます。
 
 この小松古墳は、全長60mの前方後方墳です。(12:05) 次々と現れる古墳の横を行くと‥
江戸期に余呉川の氾濫に悩まされた村人が排水路として掘削した西野水道(放水路)上に出ます。
琵琶湖の水面は標高80m、山稜の東は90m。琵琶湖の方が低いことをよく分かったものです。

東方面、下に見える用水が西野放水路。今は山稜下に新しい水道が通っています。
手前の低山は、左:山田山541m、右:小谷山495m、写真中央の雪山は天吉寺山918mです。
(12:40)



 古墳をいくつか過ぎると片山分岐。明治27年から昭和37年まで湖畔の片山集落から児童たちが、山越えした峠です。

 広い道が古保利小学校への通学路ですが、子供たちは心細かったでしょうね。今は片山トンネルが通っています。
(13:00)





 そして急登を丸太階段で登ると「馬の蹴跡」「二番馬場」「一番馬場跡」の木札が続きました。この階段を登れば‥

 琵琶湖に面した尾上(オノエ)漁港、その左に水鳥公園の展望。向こうは、大浦から延びる葛篭尾(ツヅ゙ラオ)の半島です。

 山本山山頂広場は一段高い土塁に囲まれています。その東南角に二等三角点324mがありました。
(13:40)〜(14:35)

山頂は公園のように整備され、城跡の遺構があります。さてこの本丸跡で『飯だ、飯だ』
随分遅くなりましたが、ランチに好適な場所ということでここまで耐えました。

戦国期、山本山には浅井長政の支城があり、阿閉氏が入りました。
阿閉氏秀吉に属していましたが、本能寺の変後に明智光秀につきます。
『殿、不正解』 そのため阿閉氏とともに山本城も滅亡しました。





 山上からの下山路は広く、ジグザグ急降します。常楽寺の境内を抜ければ、ミニ縦走の終着点‥



 朝日小学校東の駐車場に着きました。写真右奥は朝日山神社です。余呉湖湖畔の駐車地まで13km、車で戻ります。
(15:00)

 前説で述べましたが小さな山の連なりは、琵琶湖の眺め、湖北の山々の展望、歴史の遺構と魅力タップリでした。
 



 左から長さん、ジオンさん、ボトルさん、福ちゃん、あさひさん、ももさん、山田さん、ドルフィーさん、山たまご。皆さんお世話になりました。ありがとうございます。

 
東海岳行
  “おもてなし” 

 旅行社の人がツアーのポイントは、ホテルと食事だと言っていました。それが良いと旅行者の満足度は高くなるそうです。3月上旬に行った沖縄ケラマ諸島ツアーは、その法則から行くとハズレでした。島のホテルの食事は家庭料理の品数の多くしたもの。最終日、那覇市のビジネスホテルで夕食は銀のさらの弁当。

 まあ格安ツアーなのでしょうがありません。また初日は那覇に夕方着でしたので食事は付いていません。そこでリンクいただいてるトリップアドバイザーで旅行者が選んだ人気レストランを探しました。そして旅行前日、国際通りのレストランに予約電話を入れます。夜7時の予約は満席で不可、遅いけど8時に予約。

 ホテルから歩いていける距離です。歩道を歩いていると中国からの団体客が大きな声を出して歩いてきます。『せいぜい爆買ししてくださいね』と道を譲ります。鉄板焼ステーキレストラン碧に入ると『山たまご様ですね』と席に案内してくれました。実は女性スタッフだけで運営しています。



 席に案内され注文しますが、ステーキはすべてコース料理です。ツアーの食事に期待してませんので、ここはちょっと贅沢しましょう。先付と新鮮サラダから始まり、デザートの沖縄風ぜんざいで終わる10品。

 コックさんが『○○ともうします。よろしくお願いします』と挨拶しました。とても若い女子で20代前半かな。野菜のオリーブ炒め、島豆腐と紅芋の鉄板焼きの材料を鮮やかな包丁さばきで調理します。『どちらからお越しですか?』『沖縄はよく来られるのですか?』と明るい話し方。会話も弾みます。

 ひとつひとつ素材や料理の説明もしてくれました。『久米島産の車海老でございます』 包丁で頭を切り、身を殻から外してお皿に乗せてくれました。二人が食べ終わると『せんべいを作ります』と言い、殻を回収して鉄板に頭と殻を置き鉄へらで強く押しました。ぺちゃんこになった頭と殻を『はいどうぞ』


 こんなの初めて。食べると『せんべいだ!』 コップのビールがなくなると注いでくれます。そして笑顔いっぱいに肉の乗った皿を持ち『お肉です』 嬉しくなります。『幸せだなあ』 『沖縄の家庭料理の人参のシリシリーを作ります』 刻んだ人参に卵を混ぜ合わせたものですが、人参の甘味が引き立つ素朴な味でした。

 最後にデザートを食べ、彼女に『ごちそうさま』と言って席を立ちます。レジで支払いを済ませて外に出て時計を見ると9時を回っています。『1時間かけて食べたんだ。レストランここにして良かったね』とひよこさんに話すと後ろで『ありがとうございました。お気をつけてお帰り下さい』先ほどのコックさんです。

 お蔭でおなかも心も満ち足り、ホテルへ歩き出しました。結局、今回の沖縄ツアーのピークは、この夜の1時間だったのかもしれません。

 
2015.03.30(月)01:00