岳行ノート

恵那山  2191m/岐阜県中津川市

2015年8月11日(火)


登山道は針葉樹・落葉樹の原生林(ブナの大木)


 恵那山は「百名山」、そして「新・花の百名山」のWブランド。その登山道は前宮ルート、神坂峠ルート、黒井沢ルート、広河原ルートです。

 昭和34年黒井沢林道からの黒井沢ルートが開発。翌年深田久弥が登り、昭和62年に花の百名山の田中澄江もそのルートで登りました。

 平成13年に阿智村広河原ルートが開発されます。私たちは数年後、そのルートで恵那山を登頂。もう一度登るなら異なるルートで。


 黒井沢ルート
広河原ルートを繋いで県境跨ぎを考えたのですが、車のデポに1時間以上かかり断念。憧れの黒井沢ルートをピストンします。

 登山口へ行く恵那山林道は昨年12月から通行止となり、今年、8/8にようやく解除されました。
<駐車場>
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大きい地図
  中央道中津川ICで下り、国道363号線で南下。川上バス停の案内板「恵那山/黒井沢登山口→」で左折して全線舗装の恵那山林道へ入ります。



恵那山登山口駐車場

営林署小屋

野熊ノ池小屋

頂上避難小屋

△恵那山最高点

野熊ノ池

恵那山登山口駐車場


※赤線はGPS軌跡

■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」


江  南:午前6時00分発    晴れ/27℃
駐車場:午前7時分50着    晴れ時々曇り/19℃
往:5時間15分(頂上避難小屋まで、小休止含)
還:3時間30分(ランチタイム除く)
所要時間:8時45分


 補修直後で道は綺麗です。10.7kmを35分走り広い駐車場に着くと、4台の先着車。奥のゲートを潜り‥
(8:05)


 未舗装の黒井沢林道を歩きます。20分で落石・崩壊地です。荒れた林道を行くと‥


 古い「恵那山登山口」の道標に出合いました。林道は左で草に覆われています。登山道は、右へ直進。
(8:35) 


 支流を木橋で渡渉して水量の少ない黒井沢の渓流を進みます。岩ゴロです。道は沢を離れます。


 樹木にはダケカンバ、ミズナラなどのプレートがあり観察が容易です。この巨木はシナノキ、いい感じです。

地形図にある林道終点に着き、第一目標の営林署小屋に出合います。
駐車場から50分、標高を150m上げました。ガイドブックは20分、のんびりし過ぎかな?
このルートは、起伏が少ないことで知られていますが、マイペースで行きましょう。
(8:55)


 ブナの大木を過ぎると山腹道になります。道は沢へ降り、丸太橋で左岸へ移りました。
(9:25)


 笹の山腹道は、下刈りされたようで助かります。涸れ沢の岩ゴロの悪路。谷中を登ると尾根に出て‥

 第2目標の野熊ノ池避難小屋です。素晴らしいログハウスは、最近作られたかと思うほど綺麗。
(10:25)

 営林署小屋から90分、標高を400m上げました。ガイドブックは60分。馬力不足? 15分休憩を取り‥

 野熊ノ池避難小屋から5分進むとベンチの広地に出ます。
大きな野熊ノ池を見ます。透んだ水、底の枯れ木が印象的です。
湧水の池は、清冽な流れを伊那側へ落としています。沢を渡ると‥
(10:40)


 カラマツ林です。ここも笹がしっかり刈られ、どれだけの人数・日数で作業されたのか。感謝して歩きます。


 笹道の斜面は勾配がきつく、ジグザグ高度を400m上げると展望が開けました。南方の大川入山1908mです。
(11:30)


 その後、ピークからの降りですが、そこで恵那山山頂(左)が一瞬覗きました。鞍部からは山腹を進みます。

 岩塊が転がる難渋の道。尾根に上がるショートッカットはないかとキョロキョロ。

 結論、笹藪を登るのはきつく諦めます。右にパイプの石清水。山頂避難小屋まで残る距離400mです。
(1255)
山腹道が樹林を抜けるとバイオトイレ(写真左上)に出合い、奥の頂上避難小屋へ向います。
その後ろの大きな露岩(写真右)が絶好の展望台。登ると遠望はぼやっとしています。
私はこの岩塔が最高点2191mと思っていました。地形図では、少し北西のようです。

 降りてランチします。測量技術の進歩で平成12年の地形図から2191m最高点がこの避難小屋北西になりました。南東の展望櫓がある三角点山頂は2190mです。
食べ終わり、避難小屋横「前宮登山道方面→」の標識から最高点を探索します。
(13:20)〜


 登山道右に小祠発見。四乃宮社です。GPSでは、最高点では有りません。祠の後ろへ行くと展望地があり‥


 東の阿智村が望めます。写真中央、薄い影が網掛山1133m。雲が無ければ奥に南アルプスが見えるはずです。

 祠から少し進むと中部森林管理局の白杭がありました。岩に刻まれ赤ペンキで印されています。

 ここより高所は見当たりません。GPSの標示は、ここが最高点です。自己満足して小屋へ戻り下山します。
(13:55)

ガイドブック(分県登山ガイド/2001年刷)は、登り:4時間、降り:3時間。
休憩や撮影をしましたが、、、登り:5時間15分。時間かかりすぎ。
日の入りは、18時33分。1時間前には下山したい。急げ!!

 岩ゴロ道は慎重に、土道は早足で、、、1時間50分で野熊ノ池(15:45)、そこから55分で営林署小屋(16:40)

 30分かけ林道終点(17:10)、ゆっくり歩き、予定通り駐車場に帰着できました。やればできる子です。
(17:25)

 
東海岳行
  “韮山反射炉” 

 今年7月、韮山反射炉を含む「明治日本の産業革命遺産」が、ユネスコの世界文化遺産に登録決定しました。その2か月前、5月に熱海で大学の同窓会があり、帰路、友人たちと登録は間違いないだろうと韮山反射炉へ寄りました。場所は伊豆半島の根元、伊豆の国市伊豆長岡駅東1kmです。

 道中に案内板がしっかり掲げられ、迷わず走ることができました。無料駐車場には、決定前と言うのに観光バスや車が沢山停まっています。2か月後の登録に向け、駐車場整備、レストラン改装工事が急ピッチで進められ意気込みを感じました。観覧料は、わずか100円で嬉しい。

 一帯はそれほど広くありませんが、反射炉を中心に公園のように綺麗に整備されています。3人で反射炉を見上げていると緑の帽子、緑のジャンパーが近寄ってこられ『ガイドです。よろしかったら説明をさせていただきます』「ありがとうございます。ぜひお願いします』



 江戸時代末期、ペリー艦隊が来航(1853年) 幕府は海防体制の強化に乗り出しました。金属をとかした鋳型などを鋳造する溶鉱炉を計画。

 伊豆の下田近くで基礎工事をしていると入港していたペリー艦隊の水兵が現場に侵入する事件が起きました。急遽韮山に建設地を変更。

 築造は順調ではなく、来航から4年後の1857年、ようやく連双2基4炉からなる韮山反射炉は完成しました。炉内の天井はドーム状で石炭などを燃やした熱と炎が天井で反射し千数百度の高温を実現します。このような仕組みから反射炉と呼びました。



 反射炉の周辺は、製砲工場として炭置小屋、鍛冶小屋、細工小屋などを築造。今は残りません。右は当時の大砲を再現したものです。

 大砲を量産し、品川台場に配備する事が目的でした。ところが詳細な知識もなく、未熟な技術のため、クオリティの低い鋳物しかできません。

 試射するとひびが入ったり、割れたりして中々うまくいかなかったようです。『何台できたのですか』『実用になったのは6台』 ものづくり日本も最初は厳しかったのですね。 明治、反射炉は次第に荒れるままになりました。しかし良く保存できています。



 特にレンガ積みの高い煙突は、×の鉄枠がデザイン的に素晴しい。ガイドさんに聞くと当時は鉄枠が無かったのですが、補強のため近年つけられたということです。明治41年に補修工事が行われ、以後、昭和32年、昭和60年に4年がかりで大規模な保存工事が行われました。

 30分ガイドさんのお話を聞きましたが、地元の方が大切にしてこられたことがわかります。お土産屋さんに寄ると大勢の若い男女が茶摘み姿で奥から出てきました。『何ごとだ?』 彼らは一列になって裏山の茶畑に登っていきます。

 駐車場にはクラブツーリズムの観光バスが停まり、前面窓のプレートは「茶摘み体験ツアー」。100人は参加しているようで随分人気があります。私たちが訪れた2ケ月後、世界遺産登録は登録直前でもめましたが、無事通り皆さんの努力が報われました。心からお祝い申し上げます。


2015.08.16(日)23:55