岳行ノート

谷川岳  1977m/群馬県みなかみ町


2015年9月12日(土)


ナナカマドの赤い実が秋を告げる

(天狗の留まり場付近)

 登山を始める前から谷川岳の名は知っていました。一の倉沢のロッククライミングのメッカですが、険しい岸壁で遭難が起きやすいところです。

 遭難死者数は、記録に残るだけでも800名。エベレストよりも多く世界一です。「魔の山」と呼ばれていました。現在は、百名山でも人気の高い山です。

 ロープウェイを利用する天神尾根コースは、日帰り可能な比較的安全なルート。と言っても我が家から430kmあり、行くだけでも5時間半かかります。


 前日、高速を中央道〜長野道〜上信越道〜関越道と走り、下牧PA(シモモク)で車中泊しました。翌朝、朝食後に出発して次の水上IC(ミナカミ)で下ります。

 国道291号線を北上すると双耳峰の谷川岳が朝日を浴びています。いいね。

 教科書は、るるぶ刊「山頂駅からの山あるき」です。

<駐車場>
ドラッグスクロールで移動

大きい地図


谷川岳ロープウェイ土合口駅天神平駅→熊穴沢避難小屋→肩の小屋→▲オキの耳
→富士浅間神社奥の院→▲トマの耳(ランチ)→天神峠駅天神平駅谷川岳ロープウェイ土合口駅


 ※はロープウェイ、赤線はGPS軌跡 ●は主な分岐点

■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」


江  南発:前日午後4時10分    晴れ/27℃
駐車場着:当日午前6時45分    晴れ/16℃
RW駅発:午前7時05分       晴れ後、曇り
往:3時間25分(オキの耳まで、RW・小休止含)
還:3時間20分(ランチタイム除く)
所要時間:6時45分(うちRW:30分)

 下牧PAから30分で谷川岳ベースプラザ立体駐車場に到着。入口はラブホテルみたい。500円払い1階に駐車します。6階で往復乗車券を2060円で購入。

 ゴンドラは週末、7時から2分間隔の運行。歩くと2時間の標高差600mを12分で運んでくれます。7階の連絡通路から乗り場へ行き乗車しました。(7:05)

着いた天神平は、いきなりの標高1300m。すぐ登る人は、いません。
私も高度順応するためトイレ、写真撮影、ストレッチと時間をかけます。
好天に展望も素晴しく北に朝日岳1945m(300名山)が堂々の山容です。→


さて登山口は上写真の左下。斜面を右方向へ登山者がどんどん登っていきます。
右上に二つ耳谷川岳が見えているのがグーですね。『これこれ』はるばる来て良かった。
(7:35)





 ブナ林の山腹道は、木道・階段が敷かれ歩きやすい。ここで高山病は堪らないので出来るだけゆっくりと足を進めます。





 小さなアップダウンを繰り返すと尾根に出て、第一目標の熊穴沢避難小屋です。水分補給して尾根道を辿ります。
(8:20)




 たちまち露岩の厳しい急登が待ち構えていました。ステップが刻んであるので登られますが、降りでは集中力が必要です。

(山頂まで登山道の半分くらいが岩道のように感じました)



 稜線を渡る風は涼しい。そして展望がとてもいい。やがて岩頭の天狗の留(ト)まり場。上に登ると辿ったルートが全部見えます。

 ここは1670m辺り、山頂まで残り300mの高度差。左上の白い屋根が、歩き始めたロープウェイ天神平駅です。
(9:00)



 今週は、台風でずーっと天候が優れませんでしたが台風一過の好天です。天狗の留まり場から森林限界は越えました。

 この青空、笹原、『ばんざ〜い』 今日まで待った甲斐があります。ゆっくり歩いたので体力も高山病も全然余裕です。

左を見ると高山の雰囲気タップリの俎ー(マナイタグラ)の山稜で右がオジカ沢の頭1890mです。
以前はそこが谷川岳でしたが、地理院の誤記で二つ耳谷川岳と呼ばれるようになりました。
以後、山頂までこの山稜は終始見えます。





 次は1830m辺りにある天神ザンゲ岩、ポイントに来ると必ず休憩してしまう。名前から山岳信仰が想像できます。
(9:35)



 ザンゲ岩から10分登れば、肩の小屋がポッカリと現れます。左棟:無料休憩所、右棟:食堂・売店。ペットボトルの水:400円。

 右端に100円トイレ2基。芳香で息ができません。初冬のような風で汗が引き、10分休憩したら山頂を目指します。
(9:55)

石ゴロ道を登ると5分ほどでトマの耳下です。南峰トマの耳は1963m、プラス14mが北峰オキの耳
そこは喜びの登山者で溢れていましたのでパスして、尾根を一旦降り先へ向かいます。
ここは中央分水嶺で変化の激しい天候ということです。下でガスが発生しています。



 耳から耳は15分。谷川岳最高峰オキの耳1977mに登頂。谷川富士とも呼ばれています。ここもすごい人。

 山頂標で記念撮影する登山者が絶えません。粘ってこの奇跡の瞬間を待ちました。もう少し先へ行ってみましょう。
(10:30)

 5分降り鞍部から覗くと強烈な崖。右の白い筋が一の倉沢でゴチャゴチャしている所が、駐車場のある一の倉沢出合

  標高差は、1970-870m=1100mです。

 
出合で右の有名な写真が撮れます。土合口駅から車両通行止なので歩けば往復1時間半。



 程なく麓の谷川温泉にある富士浅間神社奥の院。今日はダメですが、確かに谷川岳から富士山は南方に見えます。

 さらにここから15分進むと一の倉沢を正面から覗くことができるノゾキですが、もうオキの耳へ戻りましょう。
(10:45)

最高峰オキの耳に着くと相変わらず登頂する人で賑やかです。 南にトマの耳を見ます。
相変わらず大勢の人が、耳の先っぽに立っています。それにしても凄い角度の崖です。
左からガスが頻繁に押し寄せるようになりました。トマの耳が見えなくなることもあります。



 お腹が減りました。トマの耳の岩場で丁度いい場所が開きランチにします。風が冷たい。

 ここは古くは薬師岳と呼ばれていました。点名と同じ。ところがその三等三角点を見るのを忘れました。手前は方位盤です。
(11:15)〜(11:40)



 膨れたお腹で降ります。往きに急登した岩場が、下山ではスリップ注意。靴底が岩を磨き、青色に変色しています。

 ここに乗るとツルツルで前の若者が尻もちをつきました。こういう道が延々と続きます。
天狗の留まり場(12:20)



 若者は40pくらいの段差でも平気で飛び降りる。私の限界段差を20cm、膝を長持ちさせたいので大事にしています。 

 登山道は、下山者と登山者が行き違い渋滞しがちです。小学生の男子が、岩場の降り方がわからずパニック。親も必死です。
熊穴沢避難小屋(12:55)

 天神峠分岐、左の木道を行けば15分でロープウェイ天神平駅。前の御夫婦が、右折して天神峠へ進みました。教科書も下山はそのルートです。私も‥
(13:20)

 しかし「大不正解!」 笹薮の登山道は、赤土の急登で滑る。リフト天神峠駅まで標高差100m。下山終幕の登りで汗ダクダク。峠経由の下山は諦め‥
(13:45)


 標高1500mの天神峠駅で410円のリフト券を買い、ラクチン下山。10分で朝出発したロープウェイ天神平駅に着きました。
(14:00)

 すぐゴンドラに乗り継ぎ、10分で土合口駅。立体駐車場の愛車に戻り、ストレッチしたら5時間半のドライブが待っています。
駐車場着(14:20)

 
東海岳行
  “1500年の集落” 

 子供の頃に勉強した歴史のことを少しは覚えていて、それが私の歴史の物差しになっています。時代が進み様々な新発見があり、それが覆されることがありますね。今年の夏、そんな出来事がありました。東北の竿燈まつりを見物した翌日、秋田市から青森市へに向いました。夜はねぶた祭りです。

 途中、ツアーは青森市三内丸山遺跡に寄りました。ミュージアムのような大きな建物は、縄文時遊館と呼び、とても立派です。(下左写真) それでいて入場無料なのは驚かされます。この辺りでは、江戸時代から土器や土偶などが出る所と知られていました。お侍さんの描いたスケッチが残っています。

 戦後、学術調査は何度か行われていたのですが、平成4年度、県営野球場建設に先立つ発掘調査で前例のない巨大な集落跡が姿を現しました。膨大な量の土器、石器、土偶などが出土されたのです。平成6年、直径1mの栗の木を使った大型掘立柱建物の発見をきっかけに遺跡の保存を求める声が湧きあがりました。

   

 そこで野球場建設工事は中止され遺跡の永久保存と活用が図られます。平成7年から遺構が公開され、平成12年特別遺跡に指定されました。遺跡の国宝ですね。平成14年11月に縄文時遊館がオープンします。実は、私たちは白神山地へ行くため平成20年青森市を訪れましたが全く知りませんでした。

 ボランティアガイドに付いて発掘復元された「ムラ」を回ります。そこは縄文時代5500年〜4000年前の集落跡です。つまりここで1500年間の暮らしが続いていた、、、そのことに驚愕します。余程、住環境が良かったのでしょうか。青森と言えば雪国、冬の寒さや食糧確保はどうしていたのでしょう。

 村内に歩道がありますが、幅やカーブは昔のまま再現されています。(上右) 道をはさんで向かい合うように配置された大人の墓が500基見つかっています。小さな子供は土器に入れ埋葬され、800基以上見つかっています。昔の幼い命は儚いものだったのでしょうが、親の愛情・悲しみの深さは今と変わりません。

   

 竪穴住居が再現されていました。大きさは分かっても外壁の材料は想像です。(上左) 盛土が何か所かあり、そこはゴミ捨て場です。土器や生ゴミなど分別して捨てられ、約1000年間で丘のようになりました。発掘時の様子が残され見学できます。(上右) 

 下左写真右の大型掘立柱建物は、直径1mの栗の木を6本並べたもので巨大です。1mってデカイだ! そのような建築技術が、当時あったことに感動します。同じ写真の左側、大型竪穴住居は小さく見えますが、長さ32mと巨大です。中に入るとその広さに圧倒され、使用目的は何と?考えてしまいます。(下右)

 (集会所、共同作業所、冬の共同家屋などの説) 約20分くらいで発掘された「ムラ」の一部を回りました。今でも発掘は続いています。遺物から北海道や北陸などと交易したこともわかりました。その中で漆塗りの木製品は、中国で発掘されたものより前のものです。漆塗りは日本オリジナルかもしれません。

 

 青森・秋田・岩手に12か所、北海道の道南に6ヶ所の縄文遺跡群があるそうです。そう当然、世界遺産を目指しています。5000年前の日本人の素晴らしさに誇りを覚えました。旧石器時代、その次が縄文時代ですが、13000年前〜2300年前と1万年以上続き、弥生時代に移ります。

 悠久の人の歩みを感じました。しかし1500年も続いた「ムラ」の人口は?、、、ガイドさんの話では250人くらいではないでしょうかと言うことです。この日は8月上旬、日本中が猛暑の日です。『暑かった!』

2015.09.15(火)23:20