岳行ノート

能郷白山2 1617m/岐阜県本巣市


2017年6月12日(月)


何の花か実か、わからないけど可愛い



 能郷白山は、奈良時代の養老年間に僧泰澄によって開かれた白山信仰の山です。1300年前、山深い地に踏み行ったことに驚嘆します。

 私は12年前、友人のトミさんとひよこさん3人で踏みいりました。リンク頂いている「森羅万象☆トレッキン」さんから山行のお誘いメール。

 山友のお二人も参加され、4人パーティになりました。6/7(水)に梅雨入りして5日目の山行ですが、空は灰色ドームですが、1日くらいもちそうです。


 出発地は、福井・岐阜県境の温見峠(ヌクミ)登山口。往きは福井から国道157号線を車で温見峠に上り、還りは国道を岐阜県へ下りる周回ドライブです。

 東海北陸自動車道白鳥ICで下り、道の駅九頭竜で休憩します。国道157号線で温見峠へ。途中、初めて仔ギツネに遭遇しました。

 教科書は、山と渓谷社刊「東海周辺 週末の山登りベスト120」です。
<駐車地>
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大きい地図








温見峠駐車地

境界見出標

臥竜ダケカンバ

能郷白山

熊野白山権現社

温見峠駐車地



※赤線はGPS軌跡
●は主な分岐点




■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」


江  南:午前6時45分   曇り/19℃
駐車地:午前9時45分   曇り/16℃
標高差:(1020m→1617m)597m
往:2時間25分(白山権現社まで、小休止含)
還:1時間50分(ランチタイム除く)
所要時間:4時間15分




 福井側の国道157号線は、岐阜側と違い走りやすい道でした。温見峠には平日にもかかわらず10台ほど駐車しています。

 道路の色が変化した箇所が県境。改めて見ると温見ルート登山口は、岐阜側です。では出発します。
(10:00)


 直ちに‥淡く濃く彩なす緑、樹々が満ち満ち森は大きい。今日一日、自然の中にドップリ浸りましょう。

 ←すると右手にクマ除け鈴が‥叩きましょう、鳴らしましょう。






 やがて補助ロープが垂れる急登に出合います。30分近くロープ場が続き、気合いを入れ登りました。
(10:25)






 ロープで力仕事をすると標高は150m上がります。登山口〜山頂の距離2400mを4等分した2/4距離標が現れました。
(11:05)

そして傾斜が緩みます。笹分けの広い道を進むと高度が上がり東南が好展望です。
谷は国道157号線が併行する根尾西谷川、右奥は高屋山1136m、中央最奥:日永山1216m。
雲が高いお陰でこれだけの眺望‥充分です。登山道脇には花が多く‥

(左)ん〜?  (中)アイロンが必要なニガイチゴ (右)サラサドウダンツツジは枝にたわわにぶら下がり、幼稚園児が集合しているみたいです。






 笹分けの道は、しばらく続きました。やがて1492m標高点に中部森林管理局の境界見出標、残りの標高は125mです。
(11:25)






 殆ど起伏がなくなりました。地形図にはっきり刻まれた1550m地点のガレ。淵を歩くと残雪が見えました。ここを過ぎると‥

 少し降って水の流れる溝を跨ぎます。この溝は温見断層亀裂溝と思われ、1891年濃尾地震のときに出来たようです。溝の右側に‥

 大きな雪渓。流れの水源になっています。右の案内板に左の説明が記載されていました。ということは1550m地点のガレも地震で崩れたモノでしょうか。

いつ来るかと心待ちした場所です。12年前の登山で一番記憶に残っています。
臥竜ダケカンバ 雪の重さのため上に成長できず龍がはうように横に伸びました」
そんな案内板がありますが、ネーミングが素晴らしい。
(11:50)







 「山頂まで400m」と示された3/4距離標を過ぎると登頂へ最後の登りです。

 そして能郷白山1617m一等三角点山頂。「日本百名山」で深田久弥が、荒島岳と選択を迷ったもう一つの百名山です。

 標柱の上に付く山名板が素敵だ。ピンバッジを作る投影用のモノで、ワンポイントの能郷苺が決まっています。(12:10)




 山頂南の権現社へは、トラバースの道を行きます。左下から能郷谷ルートが登って来て雪渓で合流しました。

 雪が融けると徳山ダムに流れ込みます。尾根のこちらは太平洋へ向こう側は日本海へ、県境は分水嶺です。






 斜面にカタクリの群生。日が当たらないときは、雄しべ雌しべを守るため花を閉じます。今日の天気に開き方を悩んでいるよう。
 
(左)サンカヨウ            (中)コバイケイソウ          (右)ん〜?

熊野白山権現社の前で滋賀からの団体20名が下山され、すれ違いました。
運良く私達4人で占有して展望ランチ。防風ヤッケを着ないと寒いほどです。
体感的には10℃くらいで早春の気温です。お陰で小うるさい虫に悩まされません。
(12:25)〜(13:00)






 南の展望、中央の三角錐は県境続きの磯倉1541m。猛烈な笹藪で進入困難です。右端奥の尖峰は蕎麦粒山1297m。




 13時に下山開始。温見断層亀裂と思われるガレに来るとツツジが綺麗。写真中央奥、北に選ばれし荒島岳1523mが‥

 肉眼ではうっすらと見えていました。

温見断層亀裂溝(13:25)

ロープ場は、25分かかりました。慎重に降ったので登りと大して変わりません。
駐車場から車は、岐阜県側の酷道157号線、根尾西谷川右岸を走ります。
境界見出標(13:40) 駐車地(14:50)




 断崖の国道は緊張しました。対向車がこなければいいけど‥3台とすれ違いました。峠から45分かけ700m標高を下げます。

  サルの母子に出合うと「危険 落ちたら死ぬ!!」の黄色看板。黒津集落に着き一息、コンビニは更に25km先です。

 
東海岳行
  “旧内田家住宅” 

 5月20日の新聞で南知多町内海旧内田家住宅が、国の重要文化財に指定される記事を読みました。内海は、海水浴などで何度も行たり来たりしています。でもそれらしい建物は見たことありません。地図を調べると良く通る道から少し奥に入った所です。これは気付きません。行ってみましょう。

 南知多道路南知多ICで下り、内海町内の国道247号線を左折。内海港に近づくと案内板があり、狭い道を進みWC併設の駐車場に着きました。(大字内海字海側39) 公開は、土日祝の9〜16hで入館料は300円。江戸時代後期〜明治時代初期に廻船業で栄えた内海地区を代表する大船主内田家の家屋です。

   

 重文指定は、二代目が明治2年に建てた主屋表門隠居屋などの9棟と土地。太平洋側に残る廻船主の家屋は少なく、特徴的な屋敷構えがほぼ完全に残ります。四代目が昭和44年亡くなるまで暮らしました。その後、内田家は名古屋に移り、2005年土地と家屋が町に寄贈され1億円かけて修理されました。(上左)

 まず土間から入ると、そこには明治・大正・昭和の時代に造られたカマド、そして屋内井戸まであります。(上右) その天井は太い梁の豪快な小屋組です。主屋の座敷で見た解説DVDは、良く出来ていて内田家とこの屋敷の歴史がわかります。そしてボランティアのガイドさんに解説をお願いしました。

   

 内海周辺では全盛期、100艘もの船が江戸瀬戸内海などへ物資を運搬します。その船主達の寄り合いに使われた「上の間」、天井板は美しい屋久杉です。今では不可能ですね。他には「次の間」「茶の間」「奥のこま」等。(下左) 庭は3つあり、主庭では張り出した露台から景色を楽しむことが出来ます。(上右) 

 2階は上がれません。別棟の隠居屋に入ると五月飾りの兜がディスプレイされていました。(下左) 内田家は土地・家屋は寄贈されましたが、蔵に残る美術品・掛け軸・節句のお飾りなどは所有されています。時々来られてこのように部屋の飾り付けをなさるそうです。内田家は和船の廻船業で大きな利益を上げました。

 

 やがて世に蒸気船、鉄道が登場し、経済構造が変化し経営が苦しくなります。19世紀末に廻船業から撤退。その後は、郵便・銀行、肥料店、乗合自動車そして観光業など幅広い事業を展開しました。事業のセンスがあったのですね。内海にサンドスキー場や鉱泉を作ったことは驚きです。どこあったのでしょう?

 外に出て西隣の慈光院(上右)、泉蔵院も見学。内田家や廻船船主の戎講は、信仰熱く多額の寄進をしました。大きな常夜灯にその名が刻まれています。全2時間の見学でした。さて内海に来たら海を見なくては話になりません。初夏を思わせる暑さにビーチでは、若者がもう海水浴しています。(下左)

   

 内海ではいつもマルハ食堂エビフライですが、ワンパターンなので今回は内海城下のうつみ食堂本店に行きました。ここはライダーに人気があり、行列の出来る店です。日曜ですが1時半過ぎなので、すぐ座れました。ジャコ天が名物、でもひよこさんが刺身を食べたいというので刺身定食を頂きます。(上右)
 
2017.06.18(日)22:50