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2025年11月12日(水) ![]() 風のつり橋(名倉川) (対岸の大井平公園から夏焼城ヶ山登山口へ) |
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夏焼城ヶ山山頂に立派な展望台ができたのを知り、登山意欲がわきました。18年前の2007年9月に馬野登山口から登って以来です。 登山口の大井平公園が紅葉の名所なので見頃情報を確認できたら登山します。参考書は、YAMAPのレポのお世話になりました。 豊田市稲武町・道の駅「どんぐりの里いなぶ」へ走ります。そこから名倉川右岸道路でR153を潜り、ホテル岡田屋東の路肩に駐車。 |
駐車地 ドラッグスクロールで移動 大きい地図 |
▲夏焼城ヶ山→馬野登山口→展望所→遊歩道入口前P ※赤線はGPS軌跡 ●は主な分岐点 |
| 江南発:午前6時50分 曇り/7℃ 駐車地:午前9時00分 曇り時々晴れ/6℃ 標高差:389m(500m→889m) |
往:2時間25分(山頂まで、小休止除く) 還:2時間25分(ランチタイム除く) 所要時間:4時間50分 |
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![]() 駐車地から北40mにある遊歩道入口は、手摺が壊れ立入禁止でした。車に戻り… (9:10) |
![]() 南へ50m歩くと、案内板「名倉川遊歩道入口」が立ちます。川沿いを大井平公園へ。 |
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![]() 遊歩道は良く整備され維持されています。清流・竹林・石畳・石垣・そして… |
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![]() 透過光のきらめく紅葉。気分は高揚、、、素晴らしい遊歩道です。 |
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![]() 最後に「川沿いコース」を選択。長さ500mの遊歩道は終え、出口を左折すれば、50m先に… |
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![]() 名倉川の清流に架かる「風のつり橋」全長86m・幅員2m。 風に吹かれ、風に揺られ、人の歩きで振られ…美しい自然に癒されます。 対岸の駐車場(紅葉祭り期間:1000円)は満車です。 (9:30) |
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![]() R257を横断し、トイレ左から大井平公園(1900年開園!)の整備された散策道を登ります。(大井平ルート) |
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![]() シャクナゲ園に入れば、登山口に矢印標柱「城ヶ山遊歩道」。ここからコンクリ道が、登山道になります。 (9:45) |
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![]() まずシャクナゲのトンネルを抜け、植林へ。15分で未舗装林道に移り… |
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![]() 林道下の浅間神社に立ち寄ります。ここに車道が上がってきていました。 参拝したら林道に戻り、進みます。 (10:25) |
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![]() 間もなく尾根取付(大井平登山口)。階段右に簡易トイレがあり、ここまで車で来られます。 (10:40) |
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![]() いよいよ本格的な登山道。やがてロープのある根っ子階段で急登します。 |
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![]() 夏焼城ヶ山山頂889m。展望台は、2019年元旦登山でお披露目されました。総工費2000万円です。 三等三角点は展望台右。1Fの休憩所で夏焼城→稲橋防空監視哨→展望台の歴史写真が展示されています。 ランチ(11:35)~(12:05) |
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![]() 2Fから北東に中央右奥:蛇峠山1664m、中央左:大川入山1908m。雲がなければ、恵那山・御嶽山・白山が望めます。 |
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![]() 西には、稲武町の街並みをくねるR153。 |
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![]() 下山は、馬野ルートで南へ降ります。山頂の分岐標を確認して左へ。重機で作ったと思われる幅広の道です。 |
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![]() 登山道から「馬野の巨石」を見上げる。10mはあるでしょう。迫力あります。 (12:25) |
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![]() 程なく未舗装の林道出合で右折。 (12:35) 5分歩くと舗装林道に出合いそこが馬野登山口。右折して10コマ目の太井平登山口へ。 (12:40) |
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![]() 大井平公園に着いたらR257に出て、東へ50m歩き「井の淵→」で川辺に降ります。 井の渕展望台から名倉川を眺望。遊歩道で風のつり橋へ歩き、手前で上がります。 |
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![]() つり橋北口のナナカマドが見事です。つり橋を渡ると… |
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![]() 南口の左上に看板「展・望・所」があり、観光客が見えました。南口左50mの入口から急階段を登ります。 素敵なアングルでTOP写真を撮影できました。還りは車道で戻ります。 駐車地着(14:30) |
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![]() 東海岳行 |
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私は子供の頃、伊勢湾台風で実家が床上浸水になりました。伊勢湾北の海抜ゼロメートル地帯で大水害が起きたのです。そこは、木曽川・長良川・揖斐川が集まり、海に注いでいますが、なぜ一か所に集中しているか謎でした。(下左) 木曽三川は、夫々全く違う場所から流れ出ているのにわざわざ集まるって?(下左) 我が国で3本もの大河が、並走する光景はここだけです。翻って江戸時代、三川は下流でぐちゃぐちゃに交じわり、度々氾濫を繰り返しています。
1754年揖斐川と長良川の間に堤防を作り、水の流れを分ける工事を行いました。まだ重機のない時代、流れる川の中に堤防を築くことは大変な難工事です。幕府に命じられた薩摩藩が工事を行い、270年たった現在もその堤防は役目を果たしています。 明治に入ると更に治水工事が進み、木曽川と長良川の間に12kmの堤防を築き、川は分けられました。ところで3本の大河が集まる理由は? 最近、NHKBS「中部ネイチャーシリーズ/木曽川」を試聴し、永年の謎が解けました。
濃尾平野西にある養老山地は急傾斜で落ち、あとは真っ平です。山地と平野との間には、大きな養老断層が走っています。(上上右) 3百万年前からその境で大地は全く違う動きをしました。東西方向で押し合い西側は隆起、東側は沈み込む。(上左) 濃尾平野全体が少しずつ西へ傾き、断層の辺りの海抜は低くなりました。(上右) そのため三川は、徐々に低い西側に集まり寄り添って流れるようになったのです。今も大地のダイナミックなドラマは続いています。謎は解けました。 |
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