キスリングの奇跡   (写真はイメージです。)2005.10.16

1.入部

 
受験戦争の末、やっとたどり着いた大学で思い出作りを目論みます。ワンダーフォーゲル部(ワンゲル)の勧誘説明があり、一年生は10キロ以内、2年生からはそれ以上の装備を担ぐルールとのこと。
 また山での食事準備は、2年生の役目と新入りには敷居を低くしています。私は即座に入部し、初登山までにバイトをして登山靴とキスリングを準備したのです。

 キスリングとは、黄茶色の帆布製の大型ザックで左右に大きなポケットが付いています。頑丈ですがそれ自体が重く、高さ60cm、横幅が何と90cmです。つまり身体の幅よりも外にはみ出るリュックです。

 さて初めての山行訓練は、心ときめき待ち遠しいものでした。あがたのグランドへ真夜中に集合です。闇の中を何十人もが列になり黙々と街から郊外、郊外から山道へと何時間も歩きました。

 やがて広い山頂に着き、寒さに縮んで日の出を待ちます。そして素晴らしい夜明けです。雲海の中、遥かな山並みの向うに小さな富士山が見えました。感動が、身体の底から湧き上がります。
  先輩に尋ねると
『ここは、美ヶ原だよ』と教えてくれました。

 その後、湖畔でのテント泊訓練や一泊登山を経験し、いよいよ夏の合宿です。


2.合宿

 それは三泊のアルプス大縦走です。場面場面の記憶はありますが、残念ながら山名の記憶がありません。国鉄のある駅に降り立ち、駅前で全員がキスリングの中身を点検します。歩き出すと山は遠くにそびえ、その距離が途方もないことを知らされました。

 いつか登山道となり、陽がまともにあたり汗がとめどなく落ちてきます。吸汗速乾繊維など無く上から下までぐっしょりです。それより何よりキスリングは、肩に食い込み息苦しいほど。曲がりくねる溝道を登りながら
『もうだめだ。歩けない』と何度も何度も思いました。

 やっと最初の休憩指令が出て座りこみます。水を飲み、震える手で飴玉をひとつ口に入れました。10分後、再び重いキスリングを担ぎ歩き出すとあら不思議、死ぬほどバテていた身体はすっかり復活しています。

 糖分パワーは凄いとそのとき思ったものです。しかし短時間の回復力は、きっと18歳の若さだから。


3.下山

 やがて全ての登頂が終わり下山にかかります。急峻な崖の山腹道をおっかなびっくりで歩いていました。右下を見ると岩だらけの沢が樹間から見えます。20m以上の高さがあり足下は、両足が置けないほどか細い道です。

 怖さから身体を左の山側に寄せたいのですが、はみ出たキスリングが当たりそれもできない。先輩が、草や枝をつかむなと言います。注意されても手は、無意識に草や枝をつかむ。

 私の前を歩く関西出身の一年生女子は、168cmの大柄な子です。昨晩、入部の動機は、やはり思い出作りだと笑って言っていました。

 
『あっ』彼女の小さな声‥。足元ばかり見ていた私が頭を上げる。彼女が、左手に折れた小枝をつかみスローモーションで谷側に傾く。突然、早送りになりキスリングを軸にして崖をグルグル回転しながら落ちる。

 すぐ姿は消え、誰も息を殺す‥‥‥‥‥『
どん』鈍い音。同時に信じられない光景が眼に入る。キスリングを急いで外す一人の先輩。急崖の下草を両手でつかみ眼をかっと開き、獣のように滑り下りる。速い。他の先輩たちも次々と降りてゆく。こんな訓練もしているのかと一瞬思う。勇気。責任感。
 
  残った先輩は、動揺するわれわれに声を掛け落ち着かせる。慎重に下山し小広い場所で座り込み仲間の帰りを待つ。

 長い時間が過ぎました。やがて二人分のキスリングを背負った先輩と空身の彼女が歩いてきます。全員が立ち上がりました。彼女は、手の平に擦り傷があるだけでほとんど怪我をしていません。

 彼女が紅潮した顔で
『落ちた場所は、運良く岩が無い所でキスリングが丁度下になったとき着地しました。』と小声で話します。先輩たちも安堵の表情です。しかし待つ間、私は自責の念に悩まされていました。あの瞬間、固まって何も出来なかった。どうして支えの手を出せなかったのか。先輩の比べ、非力な自分が惨めでした。

 落ち着いてから彼女にそのことを話し謝りました。
『そんなことない。私が悪かった。枝を頼ってはいけないのにつかんでいたから』
と気配りの言葉で逆に慰められたのです。
 
4.その後

 後日、私は事故を契機に退部し、彼女は卒業までワンゲルを続けたようです。私の思い出作りはギターに代わり、役目を失ったキスリングは帰省のとき、旅行かばんとして4年間活用しました。


 今、横長のキスリングは縦長のリュックに進化しました。2年生の役割だった飯盒炊飯はもう見ることはありません。時代も変わりました。あの頃若者の世界だった山は、中高年になった彼らの癒しの世界です。私もその一人ですが、18歳のワンゲルの経験が、何一つ身なっていないのが残念に思います。

 思えばあのとき彼女が、今の軽量リュックならどうなっていたか分かりません。助かってよかった。本当によかった。だから私も山へ楽しく行くことが出来ます。でもあの事故の教訓で登山は、安全第一ということを骨身にしみています。この拙文を書き終わり、改めて忘れてはいけないことだと思いました。



◆その時の写真を実家で見つけました。「06.09.10/大道草3」でその写真を掲載したところ山名を親切な方に教えていただきました。
◆上から2枚目の写真は「燕岳」頂上です。下段中央が18歳の私。
◆3枚目の写真も頂上近くの奇岩で撮ったとわかりました。左端が「奇跡のキスリング女子」18歳です。

◆しかしどんなコースを辿ったかは依然不明です。
(06.09.11)