18   “冬の寒さ

 今週も日曜日しか山に行く時間がありません。天は我に味方せず雨、雨、雨、、、、先々回、鳳来寺山から下山し、冬の中を家路へ走っていました。車の中は、ヒーターが温かさをくれて快適です。そのとき、冬を過ごした子供の頃のことが次から次へと浮かんできました。




 そう私が物心がついた小学低学年の頃、我が家の暖房器具は手を温めるほどの能力しかない練炭火鉢でした。一鉢あっただけです。そして私が小学高学年のとき石油ストーブを購入しました。あの夜をはっきりと覚えています。近所の燃料屋さんが、持ってきて父が使用方法を聞いていました。

 3人の子供は、その周りを取り巻きストーブの点火式を待ち焦がれます。その瞬間、画期的な温かさが身体中に反射してきました。けたたましい石油臭さも頼もしく感じたほどです。その後、石油ストーブは長く暖房器具の王座に君臨していました。しかし、火事ややけどの危険性は高かった。

 そのため学生時代では、やぐらコタツを下宿で使用していました。ところが住んでいた場所は、部屋の水や果物が凍るほど寒さ厳しい地域だったのです。そのため点けっぱなしのコタツにもぐって眠らないとと朝には凍死している。就職して実家に戻っても暖房器具は相変わらず石油ストーブでした。

 あるとき、横着をして石油ストーブの上のやかんを下ろさず移動しました。バランスをくずし、足の甲にやかんを落として大やけどをしたことがあります。そして結婚して子供が出来た頃、三菱電機の石油ファンヒーターが登場したときは感動ものでした。即、購入したことを覚えています。暖まる速さは格別でした。タイマーで起きる前に部屋が暖まっているのは何とも近代的で豊かな気持ち。

 そして時は過ぎ、今は電化製品のエアコン、“ガスの得意はガスにまかせろ”の床暖房と冬の寒さ対策は進化し、ますます快適になっています。そうやって考えると江戸時代の庶民は、よく冬をしのいだものですね。そんな昔のことは、私の知る由もありませんが‥




 『バイバイ』夕暮れになったので友だちと別れた。小学三年生のぼくは、一年生の弟と二人で家に帰る。さっきまで空き地で缶ケリをして走り回っていた。汗をかくほど暖められた身体が、急速に冷えていく。寒さと空腹で遊んでいたときの幸福感が惨めさに変わる。薄暗い道に冷たい風は容赦ない。手をポケットに入れ早足で歩く。。。。。

 『ただいま』玄関の戸を開けると幼稚園の弟が嬉しそうに駆け寄ってきた。急いで6畳間の練炭火鉢であかぎれの手と耳を温める。4畳半の隣部屋から麦飯の匂いがしてきてたまらない。しばらくすると母ちゃんが『ごはんだよ』と呼ぶ。裸電球一つの板の間でちゃぶ台の周りに4人で座る。湯豆腐だ。メザシと野菜はほうれん草。

 父ちゃんはいつも残業で遅い。あの頃の労働者は残業手当、皆勤手当を稼ぎ週一の休日も出勤していた。有給休暇すら買い上げしてもらい少ない給料の足しにしていたのだ。だから朝食は家族一緒だけど、夜に家族揃って食べた記憶があまりない。父ちゃんは、よく働いていた。

 湯豆腐はすぐ無くなり、ダシの昆布も食べる。その夜は調子がよく、ぼくは3杯目をお茶漬けにして沢庵で食べた。腹が膨れたら3人で6畳間に戻る。『兄ちゃんあそぼ』と末っ子が甘える。テレビなど無い時代だけど遊びはいくつもあった。しかし身体を動かしていないと寒いので運動系の遊びをする。で相撲ごっこはよくした。

 6畳の内、2畳分を土俵にして戦う。年長者は絶対的に勝つ。ときどきはギリギリで勝つようにしてやるのが、長男の思いやりだ。母ちゃんは、洗い物をしながら風呂釜に焚き物をくべる。湯が沸くと『ちゃっと入りな』と呼ばれた。3人で裸になりぼくから入る。『んぐ〜熱い熱い!』冷たい身体で3人つかれば、丁度いい湯加減になる。

 父ちゃんが帰ってきた。母ちゃんは忙しい。夕飯を出すと6畳間に5人分の布団をひく。子供たちが、湯気を立てて上がると身体を拭き、寝巻きを着せる。布団は冷たい。母ちゃんは、湯たんぽに手拭を巻いて足元に置いてくれる。足を恐る恐る湯たんぽに当てると嬉しい温かさ。

 ちょっとの間、腕相撲や布団の中へ潜ったりして3人は遊ぶ。しかし睡魔に息を吹きかけられると、たちどころに意識の窓を閉じ、朝までは開かない。。。。。家族全員で寝れば、人息で狭い部屋も少しは温まる。

 朝早くいつ起きたのか、母ちゃんは庭で練炭の火をおこす。ぼくは歯を磨き、凍りそうな水で顔を洗い、冷たくなった手を慌てて練炭火鉢にかざす。昨日の練炭は、灰になっていて絶望に震える。『母ちゃん、早くして』『もうちょっと待っとけ』と言いこちらを見る。ビビって顔を洗おうとしない弟たち。

 見るに見かねた母ちゃんは、冷めた湯たんぽの水を洗面器にあける。水道の水よりは多少はましだ。母ちゃんは、子供が学校に行く前に父の弁当を作る。おかずはご飯の上に焼いた味噌だけだ。こうして冬の一日が始まる。

 分団の集合地に行き、時間が来ると小学生たちは学校へ向かう。途中、田んぼに霜柱を発見して踏んずけてひと騒ぎ。当然、靴はドロだらけ。歩きながらもう今日の給食の話をしている。

 家では母ちゃんが、そろそろ洗濯を始める頃だ。たらいの洗濯板で石鹸をつけ一枚一枚洗う。日曜日にその姿を見たとき、冷たい水が平気な母ちゃんを尊敬した‥まだまだ大人には叶わない。



 ‥思えば厳しい冬の日々、子供たちは家族の愛情で暖を得ていました‥それで充分な温かさに包まれる。あの頃を振り返れば、限りない懐かしさと温もりが、今でも蘇えってきます。

2008.2.4(月)00.10