39     “虎夫君の引越
 今週も養生しております。そこで大道草となるわけですが、前置というか注意書をさせていただきますのでどうぞご留意ください。道草にはA,B,Cグループがあり、A[エ〜話し],B[バッチイ話し],C[コミック的な話し]と勝手に思っています。先回の大道草はAグループです。今回は恥ずかしながらBに属します。

 昨秋、学生時代の同窓会があったことは記しましたが、おかげでその頃の色々なエピソードが蘇って来ました。どうも私は自分のエピソードは覚えているようですが、人のそれは消えやすいようです。さて私が入学した地方大学の学生は、中部地方が中心ですが関西地方からも結構入学していました。

 入学すると私など名古屋弁を捨てそこの方言にすぐ染まります。しかし関西の人たちは関西弁をまとったままです。 「郷に従えよ」と思ったりもしましたが、虎夫君の話術は笑いの要素が盛り込まれ魅力的でした。そんな関西弁で話術に長けた友人のエピソードです。

 Bグループの内容なので恐縮ですが、お食事前の方は今回は何とぞご遠慮下さい。





 3回生の2学期、虎夫君が私に『いい条件の下宿があったので引越手伝ってよ』と言ってきました。彼は教育学部で将来は教師を目指しています。その学部に下宿生募集の張り紙がありました。その下宿先の長男が中一になり、テスト前に勉強を教えるという条件が付いていますが格安だそうです。

 教育学部生の特典だと羨ましく思いました。私達工学部生には、3K(キツイ・キタナイ・キケン)の肉体を駆使するものがほとんどでしたから。当時、学生の家財道具は布団、服、教材、食器程度で引っ越しはリヤカーを借り、家財を一式乗せ何kmでも人力で運ぶのが基本です。

 彼が牽引パイプを引き私が後ろを押しました。その家は、大学からかなり離れています。古い大きな二階建で北向きで間口が広く玄関が道路に面していました。切妻造で2階の大屋根と1階の張り出し屋根には、コケが瓦全面を覆っています。『古い旅館みたいやろ。コケ屋敷だ』と彼は何故かちょっと自慢気です。



 《一階》                                  《二階》
 










                        



 二人で玄関から二階の虎夫の部屋に荷物を上げます。終わった頃この家のお母さんが、お茶とお菓子を持ってきてくれました。私はトイレを借りたかったのでお願いします。一階に下り居間を抜け廊下を渡り、奥に便所がありました。用を済まし、お母さんにお礼を言い虎夫君とダベリングして私は帰ります。

 引越は簡単に終わったのですが、それから半年ほどして虎夫君『引越を手伝ってくれへんか』と頼んできました。『え、もう変わるの』『あ〜、あのお母さんから今月中に出てくれと言われたんや』『何かあったの?』『いや、それが理由を言わへんのでわからんのや‥』

 再びリヤカーを調達し、コケ屋敷から荷物を下ろしました。今度はお母さんは顔も見せません。彼が『失礼します』と言って玄関を閉めておしまい。道路を50mほど進み、虎夫君が名残り気に振り返ると‥『あ〜!』と叫びました。以下の話しは、次の学生アパートまで荷物を運び、落ち着いてから彼が話したことです。



 下宿代は安いし門限も緩く、いい所だったそうです。テスト前に家庭教師をした長男も頭は良く苦労はしませんでした。朝食と夕食はお母さんが二階まで持ってきてくれるのですが、時には一階で家族と一緒に食べたこともあります。しかし一つだけ困ったことがありました。

 彼が二階から用をしに行くには、一階の居間を通り抜け奥の便所に行くコースしかありません。夜は家族4人がテレビを見て団らんしてたり、遅くなるとそこに寝具を敷き全員が寝ているのです。彼は居間の通り抜けを避け玄関のカギをそーっと開け、道路を横断して2ブロック先の公園の公衆便所で用を足していました。

 ある朝、朝食後とても公園までもたない緊急事態。仕方なく一階に下り子供たちが食事する居間を抜け便所に駆けこみました。当時、水洗式は皆無で壺型集中集荷式です。下宿のは深度があり中央に丸太が1本立っています。廃棄物を一旦その切り口で受けて散らし、着水時に発生するオツリを緩和する目的でしょう。



 私は、引越時に利用したのでその構造は見ていました。ところが彼が緊急入所した時、投下口中央から小山が覗いていたそうでうす。散らしに失敗し累積した廃棄物が積もっていたのです。『こうなる前に崩してよ!この恐山は二度と見たくない』と心で叫びました。そして玄関から飛び出したのです。

 折悪く小雨が降っていましたが、彼は傘もささず拳を握りしめ筋肉を緊張させ公園まで小股で歩きました。その夜、彼は何かを悟ったようです。缶ビールを買ってきて一気に飲み干します。缶切りで口を開け、切り口のバリを小石でつぶしました。虎夫君部屋に簡易的な水回り施設を作ったのです。

 これで夜の公園通いを解消しました。必要になるとその中に廃水し廊下に出て窓からそーっと流したのです。通常時は水回り施設はごみ箱の中に収納。廃棄物の方はなるべく学校で処理しましたが、夜は公園施設にお世話になるしか仕方ありません。すると1ケ月後、お母さんが理由も言わず退去を告げたのです。



 引越の時、虎夫君が振り返って見たものは、緑のコケが一部無くなっていた屋根です。窓を頂点に雨どいを底辺にした二等辺三角形でその部分だけ黒い瓦になっていました。

 流れ落ちながら扇状地を作っていたのです。家から近いと見えず離れるとわかります。実際、虎夫君は缶をいくつも試したとか、排水時の体勢はどうだとか身振り手振りで彼は私を笑わせてくれました。その時は笑い転げたのですが‥

 何ヶ月かのち、私はあるアルバイトに行くとき、たまたまその家の前を自転車で通ったのです。もちろんコケは復活していませんでした。お母さんは、子供のために良かれとしたことがアダになりました。子供も楽しみにしていたでしょう。しかし彼は迷惑を置き土産にしました。


 わが身を考える‥私だって下宿で遅くまで騒いだり、大声で笑いながら夜道を大勢で歩いたり、いろいろな場所、いろいろな機会でこの歳になるまで沢山の人に迷惑をかけています。そう親にも。21歳、若いから周りの大人は許容してくれたこともあるでしょうか。

 『これからも気付かず多くの人に迷惑をかけ生きていくんだろうなあ』後日、虎夫君コケ屋敷の前を通った時、感じたことを話し合いました。今もその言葉は忘れないようにしています。あんなに学生ぽくはないでしょうが、きっと今も誰かに迷惑をかけ、お世話になりながら私は歳を重ねていると思います。

2010.03.21(日)23.:30