松尾寺山 504m/滋賀県米原市 |
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2007.02.25.23.05 西坂集落より松尾寺山 |
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冬場は、低山のコレクションに努めています。この山は未踏です。西内氏の新刊に面白そうな周回コースが紹介されました。 ここは歴史的な遺跡が多く、重文や松尾寺七不思議と見所もあり楽しそうです。往きはハイキングコース、帰りは薄い踏み跡と低山でも仕掛けは充分です。 単独となりました。 教科書は、中日新聞社刊 西内正弘著「鈴鹿の山 万能ガイド」です。 |
駐車場周辺図 |
P ↓ 登山口 ↓ 地蔵峠 ↓ 寺跡 ↓ 松尾寺山 ↓ 夫婦杉 ↓ P ※色線は実測ではありません。 ■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」 |
バレンタインデーに会社の女子が、下の義理 チョコを一個くれました。『愕然!』雪見大福を初めて食べたときと同じ感動です。美味しい。食感グーッ。 一年以上前にチロルから発売されたそうで大型店を4店舗探しても見つかりません。 バラエティパックしかありませんでした。知らなかった。女子は、こんな美味いものを食べていたんだ。 |
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さて今日は、とてもいいお天気。この時刻で9℃あります。米原工業団地のはずれに置車しました。ストレッチしたら一回り出かけましょう。 (8:15)★ |
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[やまや]と[アストロゼネカ]の間に延びる坂道を登ります。ガイドブックでは、写真左が駐車地ですが、ロープが張られてペケです。 | |
舗装道を登りきれば、突き当たりに正恩寺の鐘楼があります。左に折れ、地蔵堂横に停車している白い車の後ろが登山口です。 (8:35) |
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ひと登りして鉄塔でひと休み。フリースを脱ぎポカリを飲みます。 琵琶湖の対岸まで望め素晴らしい。(8:50) |
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昔の参道がハイキングコースです。道標に導かれます。『えみの地蔵?』ガイドブックには詳細が載ってません。 右に登ると石祠に20pほどのお地蔵さん。えみも消えつるつる顔で祀られています。 (9:15) |
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山のおやじさんに出会いました。ブタの乳房のような枝です。じゃあ山のおふくろさん? そろそろ小腹が空き、新型クリームパンをかぶりつく。 |
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登山口から1時間で地蔵峠に到着です。右の「松尾寺七不思議」の案内板があります。 中央の大木がF夫婦杉です。横から見ると幹が別れて枝も不思議に下を向いています。 (9:35) |
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大杉の根元には、石祠があり「印の結び方から大日如来像と思われる」との説明です。お宝や遺跡が道中に点在し楽しめます。 小休止して山腹道を降りました。 |
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伐採されて霊仙山が、東南方向に見える所があります。ぴったり太陽の方向。 カメラモニターの逆光画面で撮影に苦労してると頭にメロディがよぎる。 ♪どこの誰かは知らないけれど‥『ん?月光仮面、逆光画面‥バンザ〜イ!』 |
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上にも下にも杉の幼木が、何百本もプラカバーで守られています。 | |
すると100m近い長さの石垣に出会いました。勧善院跡です。この下方に醒井養鱒場からの林道が見えます。案内板があるので降りてみましょう。 (10:10) |
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「松尾寺七不思議」の案内地図がありました。オリエンテーリングみたいで楽しそうです。 @御本尊 空中飛行観世音菩薩 A影向石 B役の行者の斧割水 C鐘イリ場 D一本橋 Eハサミ岩 F夫婦杉(発見済) 『よし日立七つの不思議発見だ!』と意気込む。 |
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いきなり道端にB役(エン)の行者の斧(ヨキ)割水が出現。 『チ、チープ!?』 10mほど上に岩の源泉があります。が、迫力は、ブナ清水の千分の一くらいかな。 |
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林道終点の寺門を潜りました。いよいよここから核心の寺跡を目指します。 (10:30) |
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石段を上がると広い松尾寺跡です。由緒説明によると奈良時代1240年前の建立。 400年前兵火で消失し数十年後再建。しかし昭和56年1月の豪雪で崩壊しました。 これは重文の九重石塔で1270年鎌倉時代のもの。桁違いの時代物です。 (11:40) |
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境内にまんだら堂があります。ここに@御本尊 空中飛行観世音菩薩があるのでしょうか?雲の上に観音様が乗った像で飛行観音と称せられています。 写真左に九重石塔です。左に階段があり、下りていくと‥。 |
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ありましたEハサミ岩。なんとB役の行者の斧割水の源泉の近くでした。なになに「岩間の道が細く、悪さをするとはさまれる」てかっ!? だいぶ怪しくなってきた。次に案内図を見てD一本橋を探します。今まで楽勝だったのが15分探しても見つかりません。結局40分も寺跡付近にいました。 |
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不思議発見が、未完になり気落ちして寺跡の右奥から山頂に向かいます。でもすぐにA影向(ヨウゴウ)石がありました。嬉しい。 なになに「仏様が出現した場所で足跡が岩に残って‥」どこに足跡が?上はグチャグチャでわかりません。私の頭が不思議になる。 (11:20) |
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そんなこんなで鉄塔に着けば、伊吹山方面が大きく開けています。 山頂の雪が薄い。今年はドライブウェイの開通が早くできそうだ。 (11:30) |
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午後近くになり冷たい風が、吹き上がってきます。突き当たりの尾根を右折すれば、三等三角点503.6m山頂です。 (11:40) |
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もう少し歩き、1本だけになった夫婦杉に着きます。根元の古い案内板によれば樹齢1100年。 おまけにFの番号までついているので昔は七不思議の一つだったようです。 樹幹を風除けに軽食を取りました。 (11:45)〜(12:00) |
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元気になれば尾根芯を北に降りていきます。ちょっとした岩塊に出会い、右側を抜ければ鞍部です。そこから流れるように山腹道を降ります。 (12:10) |
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だんだん踏み跡が薄くなり心細いことこの上ない。枝の赤テープが嬉しい。鋭角に左に降りる所を間違えないのがポイントです。(12:15) そしてすぐ右に方向を変えて行けば、写真の尾根です。その尾根に乗ります。この辺りまでが山歩きらしいところです。 (12:25) 鉄塔に出てその下を左に抜けます。 (12:35) |
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最後にY分岐を左に下りれば一本道です。 (12:45) 待っていたCR-Vのテールランプが「お・か・え・り」とドリカムの♪未来予想図Uみたいに4回点滅。‥してない。 (12:50) 結局「松尾寺七不思議」のオリエンテーリングは C鐘イリ場 D一本橋が未発見です。またこの山に来る理由が出来ました。 |
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※2014.07.15山歩記さんより:Fの夫婦杉ですが私が登った時は「大日如来(一本杉)」になっていまいした。木の根元に石仏がある地蔵峠のことです。夫婦杉は三角点より50mほど北に行った所にあるのが夫婦杉となっていました。 影向石ですが、登山道にはなく、トラバース気味に80mほど山道を行った突き当りにある巨石です。一本橋は松尾寺跡から北へ参道を40mほど行った所にありました。鐘いり場はさらに北に登り気味にトラバースするとありました。 |
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江戸東京博物館の涙 (写真は白影さんに提供いただきました。特別感謝) 当時は仕事柄、好奇心を鍛える必要がありました。まず新聞チラシを毎日見て色々なものに興味を持つようにしたのです。これは時間もかかり中々辛い訓練でした。楽しい訓練もあります。2ケ月に一度、東京出張の機会がありました。 仕事前後に時間を作り、新しい息吹きを吸収するためにその時期に評判のスポットを訪れます。。サンシャインビル、都庁、お台場フジテレビなど等。もちろん自費ですが。その中で今も心に残る場所があります。 両国国技館東に1996年開館した江戸東京博物館です。オープン間もない頃、仕事が速く終わったので行ってみました。入口前スペースで大勢の小学生が見学前に先生の注意を聞いています。 観覧料600円を払って入館しました。7階建で内部はスケールがあり、さすが東京は違うなと感じます。吹き抜けに原寸大の巨大な日本橋があり度肝を抜かれる。順番に巡りながら6階の展示室に行くと江戸庶民の住環境が再現されていました。 共同井戸や共同便所があります。そこの棟割長屋の建物に入りと広さは6畳程度で土間があります。地下鉄工事のとき発掘された日常用具が展示されてました。美術的な価値は低いでしょうが興味を引きます。 その中に3pほどの小さな素焼き土器が、数多くあったのです。小さな茶碗・湯のみ、鍋・釜、また犬などの小動物を模したものが並んでいました。当時の玩具でしょう。形はどれも無骨ですが魅入られます。 それを見ていると往時の情景が浮かんできました。 夕方‥『帰ったよ』 幼い娘が『おとう、あそぼ』と抱きつく。 『おう、お菊何したい?』 『おとうにごはんつくった、たべて』 『よしよし』足を洗い部屋に上がる。母親は夕食の用意で忙しい。 父親は仕事帰りでゆっくりしたいところ。でも彼の帰りを待ちわびた娘がいる。 あの素焼きの食器を並べ『はい、おとう』 『ご馳走だなあ。何から食べようか?』小さな茶碗には、泥だんごや草が乗っている。 『お菊のご飯は、うまいなあ〜』食べマネをすると娘は、一番の笑顔で喜ぶ。 きっと幼い娘は、おとうが大好きだ。父親も娘が可愛くて仕方なく、その土器玩具を作ってあげたのでしょう。数の多さで愛情の深さが伝わります。空想をしているとなぜか下瞼に涙が溜まってきました。見学の小学生たちの声がして慌てて外へ出ます。壁向きでベンチに座りました。 親が子を愛する気持ちは、昔も今も変わらない。すると我が家の子供が幼かった頃の情景が蘇ってきました。 私が団地のドアを開ける。『ただいま』 『きゃっきゃ』小さな二つの元気が、靴を脱ぐ私に飛びつく。 両腕に娘と息子を抱えて居間へ。 ひよこさんは、にっこり『お帰りなさい』と夕食の準備中。 チビたちは、あぐらの右足と左足に腰掛ける。 『あそぼ、あそぼ、あそぼ!』堰を切ったように声を揃える。 新聞やテレビを見たいけど夕食が来るまで馬乗りや電車ごっこで相手する。 『きゃっきゃ、きゃっきゃ』二つの笑い声が弾ける。 遠い思い出に涙が溢れ、もうダメです。これでは見学できそうもなく出口に向かいました。その頃は、親離れしていく子供に寂しさを感じていたのです。江戸東京博物館で知った過ぎ去りし時の輝き‥人生で最も家族が触れ合っていたあの日々が懐かしい。 もし願いが叶うなら、もう一度あの団地のドアの前に立ってみたい。そして『ただいま!』っと扉を開け、駆け寄る小さな二つの温もりを抱きしめたい。ありったけの愛で‥ |
2007.2.11/19:15 |