岳行ノート

能登ケ峰 760m/滋賀県甲賀市

2008.5.17(土) 江南6時35分発
      晴れ時々曇り  19℃
往路:2時間20分 (鹿の楽園まで)
復路:2時間50分 (小休止含)


鹿の楽園を彩るアセビの新芽



 ここは、登りたいと思って中々実現しなかった山です。能登ケ峰(ノトガミネ)760mは、昨年12月に川を挟んだ東の御所平850mから『どの辺りが鹿の楽園だろう?』と眺めていました。

 念願かなって行くことになりましたが、この時期ヒル対策をしなくてはなりません。ヤマビル・ファイターを前夜、登山靴と登山用靴下にスプレーします。

 当日は登山タイツ・紳士靴下を履き、ポケットに濃塩水を入れました。「矢でも鉄砲でもかかってこい」体勢です。久々に単独行となりました。



 教科書は、中日新聞社刊・西内正弘著「鈴鹿の山・万能ガイド」です。
駐車場周辺図
 [−]:縮小 [+]:拡大



分岐点

能登ケ峰

     ↓→?迷
鹿の楽園

     ↓→?迷
696P

ドラム缶

林道出合



※色線は実測ではありません。
※黄線は地道林道


■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」





 早く来て気温の低いうちに登ろうと考え高速を走りました。ところが土山町黒滝に着くとすでに19度です。

 田村川から正面に本日歩く稜線が見えています。禿ている所から右方向です。

 黒滝公民館前の広い駐車場に車を停められます。橋右にこの登山口道標です。
(9:10)


 どうしても「ケ」を「ガ」と読ませたい意志を感じます。『お!アセビ巨木‥』





 足元に気を集中しますが、ヒルはいません。10分ほど山腹をトラバースするとミニ峠に出て右折して尾根を登ります。
(9:20)




 NHKのアンテナを過ぎ鬱蒼とした杉林に飽きる頃、展望が開け小休止しました。第一コマで見えた伐採場所に来たようです。
(9:40)

斜面を行くと突然、鮮やかな赤が何本も並んでいます。
ムラサキヤシオの強い色彩は、植林地の単調さを吹き飛ばしてくれました。
『幸せ玉1個拾った』

 右に回り込むと主尾根に着きます。以後この山稜尾根を直線で3kmの下山口まで辿るのです。

 4つのピークを登降すると平らな場所に出ます。このヌタ場から左にカーブしながら緩く登ると‥


 三等三角点、展望無しの頂上です。ここにも登山口と同じ「能登峰山頂」と強い意志の標識。
(10:35)

 ここからコンパスを眺め、北東へ強い意志で進みましょう。私は少し先で別ルートのテープに誘われ、いつの間にか北へ降りてました。

 しばらく薄暗い森を降ると明るい斜面に出て目が眩しい。奥の薄いシルエットは綿向山です。上から話し声が近づいてきました。

 地元の長老、お二人が鹿の楽園からピストンで戻ってこられたのです。楽しい立ち話は『幸せ玉2個拾った』

 緩く登るとアセビがドンドン増えてきて‥
 鹿の糞もドンドン転がっていて‥


あ〜筆舌に尽くしがたい光景が。カラフルなアセビが楽しい。
風はそよ風、気温は20度‥最適な環境に最高の空間です。
『崖の淵に道があるよ』長老の言葉どおりだ。
(11:30)

美しい尾根の道、これこそ『名古屋・清水口の美峰道でございます』
(ローカルな駄洒落、陳謝)

アセビは生命力が強い。
周りに子種を撒き散らしています。

葉には毒があるので鹿も食べられません。
馬が食べると酔うので馬酔木(アセビ)の樹名。


 さあ降りてきたピークを見ながらランチにしましょう。
真中に小さく見える紅いムラサキヤシオも可愛い。
『幸せ玉、これで3個拾った』
〜(12:05)

この鹿の楽園は、水も食料もなく姿が丸見えで無防備です。
でも夜はパラダイス?もしそこにアセビに酔ったご機嫌なが来たら‥

馬鹿の楽園




 ひよこさんの手作り弁当を食べ終えたら出発します。アセビのジャングルに入ると方向感覚を失い、また北へ進んでしまいました。

 今度はすぐルートを修正し、細尾根を急降下します。





 いたる所にアセビの幼稚園。足の踏み場もありません。みんな成長したらすごいぞ。ここで思いました。今年のベストハイク間違いなし。

 アセビに押され気味ですが、フジの薄紫色は、遠くからでも新緑に負けず存在感があります。

 ナンジャモンジャのように見えたのですが?全然違う。 マルバアオダモ:5/19ゆきっちさん感謝です。

ガイドブックは、P696を避けたルートです。
しかし登山口標識板の「アセビの巨木」を探しながら進み、そのピークに登ってしまいました。
結局あの表示は1本のアセビではなく、巨木が沢山あることを表しているのでしょうか?
(12:35)

 ルートを修正して台地の右端に戻ります。すると御所平の北端(ヨコネ)と奥の仙ケ岳の展望地です。


 そこから10分も経たないうちにこの表示。ここから降りるとかなり厳しいとネットで見ました。やり過ごします。

 
 そして数分でガイドブック記載の錆びたドラム缶がありました。40年前、地元の材木屋が焚き火をするため持ち上げたそうです。
(12:55)

 黄色の表示板が「下山路→」と中央奥の明るい場所を指しています。急降下に備え筋肉にしっかり休憩を与えました。


 やはり、けたたましい急降下道で早々と尻餅をつきます。しかし、踏み跡やテープがあるので気は楽です。

 沢音が右谷から聞こえますが、この尾根をひたすら降りなければいけません。結局、ヒルに会うことはありませんでした。

 『先日の寒さが堪えたようだな』

 25分で下に林道が見えました。沢の小滝に近づくと流木でわけがわかりません。5m左を見るとテープ。立ち木でゴチャゴチャだけど降りようとして‥また尻餅。
(13:40)

 地道の林道に何とか降り、あの小滝を見ます。写真上にトラロープがあり、降りられるようになっている。『あ〜あ』尻を触るとズボンが10cm裂けていた!『ワチャ!拾った幸せ玉、全部消えた』
 破れズボンでは黒滝集落の中は歩けません。人目を避け遠回りして駐車場へ向かいます。エド・はるみの歌が自然に出てきました。

 ♪今日は楽しいトレッキングー!
 ♪鹿の楽園素敵なルッキングー!
 ♪ズボン破れてショッキングー!
グ・グ・グ・グ こぉ〜!
(14:55)

 帰路は、ズボンのため高速を止め節約しなくては‥


東海岳行
     “P玉の行方”  
      
 学生時代パチンコ熱が、友人の中で蔓延したことがあります。私も1ヶ月くらいやりたくてしょうがない時期がありました。ちょうどその頃、正月に名古屋へ帰省したのです。旧友宅へ遊びに行く途中、時間があったのでついお店へ入ってしまいました。入口に一番近いところの台が、開いていたのでそこに座ります。

 ドア近くの場所は、外の人に入店を促すための見せ台によくなるのです。ちょっとのつもりでしたが、正月仕立てなのか、玉が出るは出るはで止まりません。実は朝方少し風邪気味だったのです。ドアの開閉のたび冬の冷気がまともに当たり、次第に具合が悪くなってきました。

 しかし玉はまだ出る。意識が朦朧としてきたのですが、欲が気力を支えています。1時間ほど経ち、気を失いかけたので止めました。1週間分のバイト代に匹敵するほどの稼ぎです。しかし歩くことも間々ならず旧友をすっぽかし儲けを削ってタクシーで帰りました。



 結局、正月の3ケ日間、風邪で寝込むことになったのです。それから30年以上過ぎ、先日その旧友から電話がありました。『久しぶりに飯でも食おうや』彼は親の跡を継ぎ、ビルの内装工事をしています。下請けですが社長さんには違いない。1年に何回かは会うのですが、初めの30分は彼の趣味のパチンコ話です。

 私は、今は全くしてないので聞き役になります。海物語、冬のソナタと機種の話から儲かった自慢話が続く。『そんなに勝つのなら一年間でいくらプラスになるの?』と尋ねると『儲かるわけないでしょ。今まで家一軒分くらい損したな』大げさに言うのが癖ですが話半分でもすごい。

 18歳から働き出してズーットしてるのでそうかもしれない。彼は遊ぶ店は変えず、同じ店を10年以上通っています。経営者や支配人とも顔見知りなほどです。私が『最近、江南でも潰れる店がある。昔は考えられなかったけど』と言う。



 『石原都知事が悪い。公営カジノを作るため潰しているんだ』ちょっと飛躍していると思う。『出玉規制や銀行融資も厳しくなったようだ。まあ郊外に駐車場のある大型店が出来たことが響いてるな。年間1割くらい潰れている』と業界人と知り合いだけに詳しい。

 『ところでお前に相談があるのだが‥』来た来た。『いつも行っている店がどうやら閉店するらしい』彼の話によるとそこはパチンコ機が150台あり、それらは中古機としてさばかれるそうです。テレビでやっていましたが、液晶部品は再利用できます。

 しかし約100万玉のパチンコ玉は、鉄クズ屋にキロいくらかで処分されるとのこと。買うときは100〜200万円はするけれど、売るときは二束三文になってしまいます。仕事柄、色々な情報を持っているようです。彼が言うには『俺が玉を買い取ってくるから、お前が売ってくれないか』という話です。



 
私が『誰にどう売るのかわからん』と首をかしげると『ネットオークションで売ればいい。1箱5,000玉で送料込みで4,500円だった』と言う。購入した人に玉を何に使うのかを尋ねたら鉄工所で鋳物のバリ取りや磨きに使うと言われたようです。

 そういえば私も昔、アルバイトでバリ取り仕事をしていたのを思い出しました。生コンのミキサーのような機械に製品と鉄球を入れ回転させるのです。彼はメモ用紙を取り出し、数字を書き出しました。

 『100万玉なら200箱になる。売上は90万円だ。仕入れが5〜10万円で送料と箱代を引けば60万円近く利益が出る。仕事のコネを使って俺が閉店する店を調べよう。1年で何店舗かはある。玉を買い集め、家の倉庫に保管する。1年で360万円は儲かるだろう!いい商売になるぞ』



 彼は、得意げな顔で話を続ける。『お前が、休日にうちの倉庫に来て箱詰めし、注文者へ送って欲しい』彼は、ビルの内装工事の工期に間に合わせるため、朝早くから夜遅くまで働き、休みも不定期なのでその時間が無いそうです。『しかし重そうだな‥』『1箱25kgかな』それは厳しい、私はヘルニア共和国市民。

 『それだけさばくには、1ヶ月間で25kgのものを100箱処理をしなければならない。結構ハードだな〜』しかし彼は、私の座右の銘が“一攫千金”であることを知っています。そして私を覗き込みながら‥


 『仕入れも儲けも折半にしよう。どお?』
 
2008.5.18/20:00