2008年7月12日(土) 江南:6時15分発 25℃/晴れ時々曇り、時々幸せ |
往路:2時間05分(小休止含)
復路:1時間30分 |
江南から150kmを快走し、この峠には3時間で着きました。
18℃‥爽やか涼しい。標高1833m、高原の空気は美味しい。
この南アルプス展望台の駐車場には、すでに7台が停まっていました。
(午前中は逆光のため、この写真は午後撮影) |
早速、駐車場北の尾根から登り始めます。案内板によると尾高山(オタカヤマ)まで往復3時間。最初、尾根芯までは少し急登です。
(9:30) |
カラマツ林の中、くっきり笹分けの道を行きます。これは植林されたものでしょう。杉林の様に密生している。
日本特産で成長がとても早く、針葉樹ですが落葉します。でも落ち葉の分解が遅く、そこで小さな植物は育ちにくい。
豆知識:尾瀬の木道はカラマツです。 |
25分ほどでビューポイント表示。行ってみると『お、なんとかしらびそが見える』登る前に敷地内の公衆トイレに寄りました。 |
倒木は、まるで海底の岩礁のよう。海草や藻、珊瑚まで寄生させて多様な命を育んでいます。(ニカワホウキタケ) |
前尾高山:その倒木におびただしく苔が覆い、そして朽ちていく。
自分の朽ちゆく肉体を見てるようで切なく胸が苦しい。
再び歩き出すと急な道でもないのに胸の苦しさが取れません。
(10:15)
何のことはない標高2000mになり、私の酸素摂取能力の貧弱さが露呈しただけです。
一方ひよこさんは、マイペースでトコトコ、スイスイ‥
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さざ波のようなシダの海を泳ぐように進んでいくので私は追いつけない。『もう少しゆっくり、ばてるぞ』
言ってる私は、既にばてている。
尾高山の緑の敷物は、笹から始まり、苔、シダと種類を変え登山者を退屈させません。 |
少しづつ斜度が、きつくなったら頂上が近い。
周りはシラビソの原生林ですが、殆ど若木のように細い幹です。
息もいっそうきつくなって思わず魚をつる、いや足がつる。
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岩塊のまとまっている所へ着いたら山頂です。三角点と標識で証拠写真を‥と思ったら、そこを降りた小広場にも三角点が?
でもこちらの方が高い。
(11:35) |
小広場の先に分岐表示[左:ビューポイント60m、右:ビューポイント20m]そこで左へ行くとこのグローバル標識。
始めて見ました3ケ国語!日米韓ですが、この山でこれ一枚だけ。役に立つのかな? |
少し降れば60m先に岩場の展望台です。ここでは食事は落ち着いて出来ません。下写真の展望を楽しんだら山頂へ戻ります。
(11:45) |
左:奥茶臼山、中央:奥尾高山、その右:荒川岳 右端:赤石岳
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今度は頂上から右のビューポイントに行きます。穏やかな風に雲が緩やかに流れる。
人生もそんな緩やかな時間で過ぎて欲しい。『そんなことより、ランチの準備して』シビアなひよこさんの声が、しじまに流れる。
左:大沢岳、右:聖岳
(11:55)〜(12:35) |
帰り道は、歩きながら樹木博士の私が樹名をひよこさんに語ります。
『ここの主木はシラビソだけどトウヒ、コメツガ、ナナカマド、ウラジロモミ、ミネザクラ、カラマツと樹種が豊富だ』
木にかかっていた名札で確かめたので間違いありません。 |
本日、出会った唯一の花。木の根元にギンリョウソウが、けなげに咲いています。この透き通るような透明感‥私もあったはず。
はるか昔、生まれたばかりの頃に。 |
笹原の降りで展望が開け「なんとかしらびそ」の建物が見えたらもう下山口は近い。まもなく走るバイクの音も聞こえてきました。
(14:05)しらびそ峠着
車に乗り500mほど南下すると‥ |
山から見えていた公共の宿「なんとか、いやハイランドしらびそ」です。宿、食堂、日帰り風呂の施設があります。
ここからさらに南アルプスエコーラインを走って南下を続ける。舗装されてますが、すれ違い大いに注意の狭さです。 |
日本初のクレーター跡を見るため駄目押しの登りを7分。その展望台から見ると御池山の稜線がクレーターの縁と案内板に表示されてました。
良く見つけたものです。
(展望台P)
■2003年9月、飯田市竜丘小学校の坂本先生らが国際シンポジウムで発表しました。クレーターは直径900mで大部分は風化作用で崩壊してますが、尾根沿い部分の40%(上写真)が残っています。直径45mの隕石が2〜3万年前に衝突、そのインパクトで出来た衝撃変形石英を発見したのが決めてでした。
■先生が、この不思議な半円形の地形に出会ったのは25年前。海外では160以上もある隕石クレーターですが、国内はゼロでした。仮説を裏付ける調査は、海岸で特定の砂粒を探すような作業でその発見の原点は好奇心とやり遂げる粘りだそうです。(2003年9月:中日新聞より) |
下栗の里に入る手前のはんば亭でトップ写真の美味しい名産品を食しました。ネエ様にビューポイントを教えてもらいます。
集落の超狭いクネクネ道を抜け、写真を撮りましたが完璧な逆光です。午前中来れば良かった。(標高1000m、斜度38度)
ここは「日本のチロル」と呼ばれるそうですが、むしろ「日本のチベット」だ。どっちも行ったこと無いけど。
(ビューポイント) |
(入口) 樹高40m、幹周10.5m、推定樹齢600年
そのポイントから少し奥に進むと栃の巨木が右側の谷にあります。
鉄階段を悲しいほど降りると逢えました。日本第2位の栃です。
こちら側は、幹がえぐれ枝も折れています。でも葉はタップリあり、生命力はまだまだ旺盛です。
助手席にひよこさんが座ったら、バックシートにいくつも思い出を重ね積みして帰りましょう。
今は16時半、エコ運転なら家には20時か。う〜ん、そりゃ腹ペコだ。
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東海岳行
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“テレビ・パラダイス”
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その頃、小学校のクラスでは、家にテレビが来たと自慢話をしても許されました。テレビの無い家庭がドンドン減って行き、遅まきながら我が家にもいらっしゃいました、テレビ様が。アルミ製のリボン型の小アンテナをその上に置きます。チャンネルを手で回すたびに映りの良い方向を探さなくてはいけません。
それまで家庭ではラジオが最高の娯楽でした。でも子供の聞きものは相撲中継、落語、歌謡曲くらいでそれほど頻繁に楽しめるものではありません。テレビは違います。別格だ。子供も大人もすぐテレビのとりこになりました。
プロレス、月光仮面、てなもんや三度笠、すちゃらか社員、夢で逢いましょう、シャボン玉ホリデー‥こう書いているだけでまさにイエスタデイ・ワンスモアになります。中学生の頃、11PMを見たくて見たくて悶え狂ったものですがもちろん見させてもらえません。
画面は丸くて白黒14インチくらいです。チャンネルを回す所がすぐ接触不良になり、畳んだ紙やマッチ棒を挟んで調整しなければなりませんでした。ご近所にテレビの部品を栄のカトー無線や仲野無線で買ってきて自分で組立てしまうつわ者もいます。故障したらこの人に呼んでただで直してもらいました。
ところが殆どの家にテレビが入っても絶対テレビを買わない家があったのです。それは大きな敷地に住む大矢君。彼の家に遊びに行くと本が一杯あり、子供向け外国純文学を良く借してくれました。テレビがなかったので勉強が良くできたのでしょう。彼は18歳のとき、名古屋で一番いい大学に入りました。
東京オリンピックを機会にカラー化は一段と進みます。最初は全部の番組がカラーではなく、ほんの一部だけでした。番組中にこれ見よがしに小さく「カラー」と表示されたのです。やっぱり白黒よりよりは親密感を覚えます。テレビの進化の三段跳び最後は、デジタル化です。この続きは次の機会に‥
さて私が今まで絶対見逃してはいけないと思った番組が3つあります。
@ビートルズの武道館公演
放送日は学校が休日で朝からその部屋を掃除しカメラをセットし万全の体制です。兄弟3人で始まるのをどきどきしながら待ちます。「ミスタームーンライト」の歌を効果的に使い番組は始まりました。しかしドリフターズが前座で出てきたときはずっこけた。
Aアポロ月面着陸
人類の好奇心、向上心は「なせばなる」の格言どおりだと思います。とうとうやったかと本当に感動しました。
B猪木Vsアリ
勤め先の食堂で休憩時間をその時刻に合わせます。始まるまではものすごい緊張感で見る社員は固まっていたのです。でも猪木がいきなり寝転んでそのまま試合が進み、世紀の凡戦と言われました。その理由が後にわかり納得。あの時、猪木が勝つと信じていましたが、引き分けで良かったかもしれません。 |