岳行ノート

鞍掛山 883m/愛知県設楽町
2008年9月6日(土)

四谷千枚田に実った稲穂、鞍掛山と調和した美しい風景です。



 9月は、夏花も終わり秋花や紅葉にはまだ早い。では、山岳型棚田の代表格四谷千枚田で実りの秋を確かめてみましょう。

 この棚田は枚数も多く、鞍掛山を背景に稲穂が扇状に降りてくる形がとても綺麗です。実際は、1296枚130段あまりの棚田で39戸により850枚が耕されています。

 設楽町の長江の棚田とともに1999年7月に「日本の棚田百選」に選定されました。さて鞍掛山へは、仏坂トンネル前から周回したことがあります。


 今回は、もう少し山頂に近い尾根ルート(ガイドブック未掲載)で登り、771mピーク経由で周回しましょう。単独です。


 教科書は、風媒社刊「新こんなに楽しい愛知の130山」です。
駐車場周辺図
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展望P


登山口

岩場

771m分岐

展望地
(ランチ)

鞍掛山

分岐

かしやげ峠

展望P

※色線は実測ではありません。
緑線は林道茶線は岩場

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」



地図右下が仏坂峠
仏坂トンネル方面


江南:6時50分発 
25℃/曇り後晴れ、時々汗噴出
往路:2時間35分(888m展望地まで、小休止含)
復路:1時間10分

32号線の四谷千枚田撮影ポイントに9時に着きました。期待通り、黄金の実りに満ちています。
鞍掛山を入れた写真は、白飛びしてしまうので下山してからまた撮影に来ましょう。
さらに仏坂トンネル方面に走りました。登山口のあるカーブより東海自然歩道に入ります。(上地図参照)





 細い道を進み、千枚田展望所に車を止めました。(綺麗なトイレ有り)今日は暑くなりそうです。さあ出発。
(9:40)
 

 一旦、来た道を戻ります。向こうに32号線が見え、左折で仏坂トンネル。写真左のコンクリート壁向こうが登山口取付です。
(9:50)

※上地図の771m分岐では、仏坂峠(地図右下方面)から来て、ここで右折すべきを直進して迷うことがある。とガイドブックにあります。

 それは直進の踏み跡があるためです。そこで地図でその直進を辿ると尾根端がこの登山口でした。ここから771m分岐まで行けるか試みます。




 すぐに尾根をとらえ、その芯をはずさないよう踏み跡を辿りました。15分登ると駐車場の私の車が見えます。

 『車のロックをし忘れた!オーマイガ』
 
 岩塊が行く手に立ちはだかる。『やれやれ』右手にテープがあり、岩の割れ目を3点支持で登られます。
(10:20)

 次は左手にテープがある。切り立っているので両手両足で慎重に登る。ここを過ぎると岩場の真ん中を選んで進みます。

 3点支持と自分の体重を引き上げる体力が必要です。初心者向きのルートではありません。


 大汗をかき、15分かけて岩場を登りきりました。次の小岩尾根は広葉樹に覆われ、鞍部で大木(モミ?)に出合います。
(10:55)

 さらに立ち木の間を登っていくとこの太いアカマツで傾斜が緩みひと安心。分岐はもう近い。
(11:10)
 
 待望の771m分岐に出ると白標識の背中が見えました。表側を確かめ写真左の赤テープへ急降下します。
(11:20)

※写真正面の尾根道は、仏坂峠からの道です。私が登って来た尾根ルートは支尾根もなく迷う箇所もありませんでした。

 では仏坂峠ルートと比べどちらが短時間か?私だとほぼ同タイムでしょう。



 植林の結構ワイルドな尾根道を行きます。20分ほどでピークを避けた左の山腹道です。

 それを回り切ると鞍部にこのモミの大木とスギの異種格闘木に驚きます。
(11:50)



 アセビ林を急登で喘ぎ、110mほど高度を上げると展望地888m最高点です。絶対ランチタイム、眺望があり嬉しい。

 座ると山並みが消え、岩場尾根から着いて来た、こわもての黄色い蜂も消えました。
(12:15)〜(12:45)
 
写真左の高畑762mは、千枚田と接していますが樹林で棚田は見えないそうです。
右下に少し見えるのは、千枚田のある四谷地区ではなく、もっと南方向の身平橋地区です。
この鞍掛山から千枚田全景が見えれば最高ですなんが、その場所をご存じの方はご教示ください。

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 展望地888m最高点を過ぎれば、あとは降るだけ。南北に長い山頂を歩くと馬桶岩(バトウイワ)の標識があります。

 左に少し入れば、3mほどの岩に50cmのへこみがあり、水が溜ってました。飲めません。
(12:55)
 





 山頂広場の東屋は、東海自然歩道歩きの団体さんが来ても大丈夫。奥に山頂標識があります。




 周囲に大岩が鎮座する山頂には、頑丈なテーブルと椅子。でもこのウエルカム・セットを、今日は誰も利用していません。
(13:10)



 戻って道標の仏坂峠方面に降ります。この近くに三角点があるはずですが、探すのを忘れタッチできませんでした。

 『思い出した!車のロックをし忘れた』忘れたことを忘れるようになりました。このごろ進化が早い。
(13:15)

木の階段が、下山者に優しい傾斜をくれます。
『さすが東海自然歩道、この階段は進化する人向け』

やがて展望休憩地に着きますが、木が伸びて展望が危機です。
(13:25)

そして平らな地では、何千本もあると思える杉林。
こんなまっすぐな性格で細身になりたいけどもう遅いかな?



 この地区では、明治37年に20日間も雨が降り続き、山津波で11名が亡くなりました。

 そこから時間を掛け、今の千枚田に復興したのです。その犠牲者の方が、かしゃげ峠に祀られています。

 昔はここから村を一望できたのでここに決めたのでしょう。
(14:10)
 
 

 そして東海自然歩道の道標が案内してくれます。堀道、山腹道、水場、民家下を通過すれば千枚田展望所に帰着です。

 車の中は42度。やはりロックはされてませんでしたが、車内は無事でした。『今度から気をつけましょう』
(14:20)

再び、四谷千枚田の撮影ポイントに行きます。田も山も朝より、ずっといい光を浴びている。
右の丸いピークが、771m分岐で、今日はその左下方から登ったのです。
その左隣奥のピークは、避けて山腹道を歩きました。

そして正面の三角錐を鞍掛山山頂と思っていましたが、ランチをした展望地888m最高点です。
山頂は、このとんがりから左に下がった奥にあり見えません。
なお稲刈りは、来週末から始まるようです。


帰りに作手村の県指定天然記念物 長ノ山湿原に寄り道しました。
泥炭湿原で東海地方最大の面積を擁する中間湿原です。

何年か前の9月6日にテレビで貴重なトンボが紹介されていました。
その日と同日なのでトンボを期待して来たのですが、一匹も見つけられません。

車のロックは忘れても、昔見たテレビのことは忘れないわけだ。

                        (左:ノリウツギ  右:サワギキョウ)


東海岳行
  “途切れない飲み物”
      
 先月、高校の同窓会案内の往復ハガキがきました。同窓生は、500人ほどいたと思います。誰が来るかミステリーだけど出席に○を打ちました。当日、定刻にホテルで受付を済ませ、会場の入口で来場者100名を見渡します。壁際に座る白髪のおじいさんが私の方に手を振っている。全然知らない人なので無視します。

 いつまでも振っているので、私は自分で自分を指差すジェスチャー。『うんうん』とその人が頭を振るので近ずく。彼が『お前、入ってきたらすぐわかった』と嬉しそうに言うけど、私はわからない。『失礼ですがどなたでしょう?』と尋ねると『何言うとる、田光じゃ!』『え?どうしちゃったの田光』随分老けた。

 数十年ぶりに逢い、まじまじ上から下まで見ます。体はまだシュッとしているし、声や話し方は変わっていません。隣に座っている眼鏡の男が笑っている。『失礼ですが‥どなたでした?』『土田だよ』『え!何があったの?』変身している。


 彼が『お前、変わらんな〜』と言うので『化学の勝利だ。毛染めとヒアルロン酸注射のお陰さ』と私は冗談で返します。3人は、高校2年から卒業まで一緒に遊んだ悪友です。今日は来て良かった。本当に良かった。彼らに一番逢いたかったのです。

 私たちは、堰を切ったように当時の数々のエピソード‥知ってることを話し、忘れたことを聞き出しました。その思い出話しは、まさに道草の宝庫です。今回は、その時よみがえったお話しから‥



 田光君は、名古屋の山の手八事に住んでいました。高二の秋の中間テストが終わったとき、私は彼の家へ遊びに行く約束をしたのです。昼食を終え彼の描いた地図を持ち、名古屋市南区の自宅から自転車で走り出しました。10qほどなので30分もあれば着く距離です。

 最後に坂道が多く難儀しましたが、迷うこともなく玄関先に立つことができました。『田光く〜ん、あそぼ〜』と呼びかけると笑顔がドアからにゅっと出て『おう、入れや』と言います。(信じられない!玄関がドア。その頃私の住む集落は全軒、引き戸玄関)自転車を立てかけました。

 初めての友人宅に身も心も緊張する。彼の後を追い玄関横の6畳の洋室に入った。テーブルを挟み長椅子が2脚、向かい合って座る。『信じられん、応接間がある。さてはお前ち、金持ちだな』『何言うとる』と謙遜する彼。しばらく落ち着かず声を落して話をしているとノックがして母親が入ってきた。


 『こんにちは、遠くから大変でしたねえ‥』と彼とそっくりの顔で笑い、お盆をテーブルの上に置く。皿に乗ったショート・ケーキやカップ、砂糖などを並べている。彼が『え〜わ、やるから』と母親を追い出す。『ハイハイ、ごゆっくりして下さいね』私はぺこりと頭を下げる。

 (信じられんケーキだ!ケーキはクリスマスに食べるものなのに‥)彼がカップにお湯を注ぐと茶色い。『何これ?』『紅茶だ。砂糖いくつ入れる?』紅茶は我が家にないからそんなことはわからない。『田光と一緒でいいやとうまくさばく。彼はスプーンで3杯入れてくれた。

 甘い紅茶を飲み、ケーキをぺろりと平らげる。『これ美味いなあ。組み合わせがいい』またノックがした。母親がお盆を持って入ってきた。片付けると思ったら案の定、散らかした食器をお盆に乗せる。そして持ってきたお盆をテーブルに置き『ヒロくん、お願いね』といって退出した。


 そのお盆を見るとコーヒーとお菓子が乗っている。コーヒーなら知っている。『これ何というお菓子?』『クッキーだろ』『ふ〜ん』知らない。やがて私は、雰囲気にも馴染み、彼とアホ話しに興じる。大笑いしながらたちどころにコーヒー・セットは腹に消える。計ったようにノックの音がして母親が、またまた入ってきた。

 手に持つお盆には、オレンジジュースとお菓子だ。(信じられない!ストローがある)我が家にはもちろんない。コップに口をつけてごくごく飲めばいい。母親が部屋を出た途端、親には絶対聞かせられない超アホ話しで大笑いする。ストローでちょびちょび飲みながら話しをするのは、うっとおしいが仕方無い。

 いつか私は、心の片隅で母親のノックを待っている。飲み干したタイミングで必ず次のノックが来るのだ。部屋のどこかに秘密の覗き穴でもあるのかと勘ぐる。やはりドンピシャで、カルピスとお菓子が届られた。『初恋の味がする』とおやじギャグを言いつつ飲み干す。


 『田光家では、いつも家に飲み物やお菓子があるのか?』『いや、お前が来るというので母が用意したようだ』再びノックがして氷を泳がしたコカコーラ・セットが登場した。一体何種類の飲み物が用意されているのだろうか?しかも各々にその飲み物に合うお菓子がセットされている。恐るべし母の愛。

 時間はすでに一時間以上過ぎていた。そして次の飲み物は‥お茶だった。豊富だったドリンク群も『とうとうアイデアが切れたな』と感じた。しかし、お菓子ではなく果汁たっぷりの梨。それも食べ終わり『そろそろ帰るわ』と彼に伝えた。実は私には、帰らなければいけない急用ができたのだ。

 ところが、だめ押しノックで運ばれたのは、ちょっと小ぶりの湯飲み。母親がいなくなってから彼に聞く。『何これ?』『ああ、口直しのこぶ茶だ』『???』『さっぱりするよ』飲むとしょっぱい。我が家では『出されたものは全部平らげる』という家訓がある。私は今日出た飲み物、食べ物を一口たりと残していない。


 しかし、このこぶ茶はつらい。我慢して飲み干し『じゃあ、帰るわ』『ああ、また来いや』『‥お邪魔しました』と玄関から奥のお母さんに挨拶をして外へ出る。自転車に乗り見送る彼にバイバイをした。漕ぎ出してすぐ私は公園を探す。必死の公園トイレ。

 私の膀胱は、きっと金魚鉢のように膨れ中が透けて見えるだろう。暴発までカウントダウンが始まっている。若き美少年が、立ち●●はできない。しかしさすが大ナゴヤ・シティ。公園はすぐ見つかり、カウント停止。自転車を捨てる。白い陶器に全ての願いと望みを集中させると、我慢と苦渋から解放された。



 ホテルの会場で『あの時、金魚鉢が空になるのに5分はかかった』私からこの昔話を聞いた田光君は、腹を抱えて笑い転げています。『お前の話しは面白い。最後にちゃんとオチがある。昔と変わらんなあ』トイレを借りなかったのは‥友人宅では恥ずかしかったからです。

 しかし、これは高校2年17歳の視点での話しでした。息子から南区の友人が来ると言われたお母さんのことを思います。まず買い物に行かねばなりません。段取りを考えながら色々取り揃える。当日、私が来たらお湯を沸かし、飲み物・お菓子を持って行き、片付けや次の準備をすることになります。

 私がいた2時間近く台所で二人のためにタイミングを計り、一生懸命用意をしていたはずです。耳には終始、息子と私の笑い声が入ってきます。子供の笑い声は親にとって嬉しいものです。私が帰った後、彼はお母さんに感謝の言葉を言ったでしょうか。多分、言っていないと想像できます。高二の男子は親に気遣いしない。



 同窓会の後、神戸に住む田光君から電話が入りました。
『君のホームページ見たよ。お互いフリーになったら土田と3人で一緒に山登りしよう』
『勿論いいけど、二人とも山登りできるの?』
『土田は名古屋の山岳会に入っているほどだ。おれは時々だけど六甲に登っている。その時は、名古屋の実家に帰るからそちらの山でいいよ』


 と約束をしました。登山の時は、彼を八事の実家へ迎えに行こう。そしてあの日の素晴らしい持て成しのお礼をお母さんに言わなくては。
2008.9.7(日)22:15