岳行ノート
知多半島七低山一日駆け  標高合計933m

2009.01.05(月)江南7時00分発    晴れ時々快晴   1℃


旧中埜家住宅
(半田市/国重文:明治44年築)

 愛知県は、両腕で三河湾を抱え込む形で2大半島があります。昨年駆け抜けた渥美半島は、大山が328mの最高峰ですが、知多半島は高峰山の128mが最高峰です。左手の方が筋肉質なので愛知県は左利きということがこれで分かります。そんなご託はともかく、今年の初登りは半島シリーズ第二弾です。

 標高100m以下が多く、山の選択には悩みました。3日間かけて根掘り葉掘り登りたい山を選択し、下調べを続けるとどの山も登っていないのに次第に親し味が沸いてきます。脇にあたる半田市から始め、南下して南知多町までの半島縦走です。

 初詣でおみくじを引いたら大吉!「旅行」は、利益あり行きて吉。では、今年も半島を駆け抜けましょう。どんな思い出が作れるか楽しみです。

 参考書は、愛知山の辞典、リンクいただいてる「愛知アルプス山行記」さんです。そのほか沢山のHPにお世話になりました。

@任坊山

A知多本宮山


B自然公園


C鍋山

D老眼山

×高峰山

E富士ケ峰

F
日和山


 ※青線は知多半島道路

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」



@任坊山 51m/半田市 <登降時間>25分(8:40〜9:05)  駐車地→

 

 TOP写真の中埜家住宅に寄り、半田運河のこの蔵の街へも行きました。両岸にあるのは、ミツカン酢の倉庫。

 雲ひとつない空、鏡のような水面、今年の登り初めは順調な出だしのようです。

 任坊山公園の駐車場に到着。多くの野外彫刻が展示され、芸術の難解さに触れられます。

 階段を121段上り、頂上台地外れにある展望台に着きました。朝の輝きを受けた‥

 半田の街、衣浦港、三河の山並み、仕事始めの皆さん。私たちは登り初めとご陽気です。

 下山して『忘れた!』四等三角点を探しにもう一度登る。頂上の歩道沿いにありました。

A知多本宮山 86m/常滑市 <登降時間>10分(10:10〜10:20) 駐車地→

 次は陶磁器会館に車を置き、やきもの散歩道を少し歩きます。

 ここは土管坂。明治の土管(右)と昭和初期の焼酎瓶(左)、地面は土管の廃材‥道の狭さといい、じっくり歩いてみたい。

 ここで時間を取り過ぎました。「こんなに楽しい愛知の130山」に紹介されている常滑市最高点へ向かいましょう。

 ほ〜本宮山が見えてきました。厳しいスケジュールと貧弱な体力を考慮し車道で山頂まで走ります。

 駐車地から1分も歩けば、賑やかさを街へ移し、静けさが戻った本宮神社社殿。参拝して西へ行くと‥

 千本のぼりが整然と並び、石段が降っています。正面にセントレア大橋、空にハンググライダー。

 駐車地へ帰る途中、左に二等三角点を見つけました。危うく見逃すところです。

B自然公園 83m/武豊町  <登降時間>35分(10:35〜11:10) 駐車地→

 三山目の武豊町自然公園は昭和48年開設。南門の駐車場に置車し、遊歩道を登ります。

 周囲の雑木林も豊かで、多くの野鳥がさえずっています。数分で最高点の大展望台に着き、登ると‥
 
伊勢湾方面の展望が素晴らしい。丁度、旅客機が滑るように空港へ向かっています。
大丈夫かと思うほどの遅い進入スピード。対岸に見える薄い鈴鹿の山は、入道ケ岳でしょうか?
小鳥広場まで足を伸ばし、周回コースをたどります。毎日歩いても飽きないそんな山と思いました。

C鍋山 81m/美浜町 <登降時間>5分(11:50〜11:55) 駐車地→
次の山へ向かう前に鵜の池へ立ち寄ります。昭和9年国に天然記念物指定。
国内最大の川鵜繁殖地で周辺に日本の90%にあたる1万羽以上が生息しています。
そのため樹木は糞で真っ白。私の車にも落とされ、慌てて窓やボンネットを拭きました。これは堪りません。

また池には、飛来した数百羽のカモが浮かんでいる。鳥たちには大事なエリアでしょう。
そしてこの地を「美浜オレンジライン・ハイキングコース」が横切っています。


 そのコースは、河和口駅(三河湾)から知多奥田駅(伊勢湾)の11kmを結ぶ。

 特に鵜ノ池鍋山付近は核心部でさらに進むと桜並木があったり変化に富み楽しそうです。いつかこの道で半島を横断したい。
 
 とは言いうものの今日は、登山口近くの路肩に車を止めました。

 道は鍋山の横にあり、案内板から登るとすぐ切り開かれた山頂です。南知多道路、伊勢湾と眺望が利きます。

 スーパー低山ですが、知多半島では貴重な一等三角点もあり、なんと「分県登山ガイド」でこの山が紹介されています。

D老眼山 111m/美浜町 <登降時間>40分(12:40〜13:20)駐車地→



 愛知県美浜少年自然の家の敷地は広大です。車中でパンを食べて昼食をとりました。元気になったらスタート。

 野外炊飯施設を目指し、ハイキングコースを登って行きます。

 始めは感じのいい道ですが、尾根にあがる前の急登にあえぎました。二つ目のピークが山頂で25分かかるロングコース?

 ところが二等三角点が見つかりません。5分ほど二人で手分けして探し、付近の笹藪に埋もれているのを見つけました。



 帰りは同じ道を戻ります。少年自然の家から老眼山へと登ったのですが、人生の行方を示唆したような山名です。

 山頂では展望はありませんでしたが、満足感は充分満たされました。 

 次に向かったのは、閉園した内海フォレストパーク内の高峰山です。知多半島最高峰で三等三角点が128m山頂にあります。

 ところが車道はロックされ進入禁止。ゲートの左後ろに巻き道がありましたが、封鎖された青枠内の高峰山を見て降ります。

 こんなこともあろうかと低山は、余分に準備しました。

E富士ケ峰 125m/南知多町  <登降時間>5分(14:45〜14:50) 駐車地→



 この山も「こんなに楽しい愛知の130山」で知多アルプスとして紹介されています。でもその名を知る人は少ないと逆フォロー。

 車道を走る途中、地層がむき出しの師崎層群を通り過ぎます。

 ピークにある駐車場へ車を止めました。富士ケ根神社の石段を上がり‥

 祠の後ろに回ると二等三角点が、木々とフェンスに囲まれています。

下山して神社の反対側にある桜公園へ行きました。♪青い海原〜
左に渥美半島、右には神島が伊勢湾に浮かんでいる。
さあ登りたい山の最後はちょっとしたパラダイス。

F日和山 69m/南知多町  <登降時間>25分(15:05〜15:30) 駐車地→
 貝殻公園は、豊浜円増寺の裏にあり、この前に駐車。かなり痛んできたコンクリート道の急登を7分で‥
 パール色に輝く貝殻で埋められた鳥居に着きました。神社も閉鎖され、侘しさも埋まっています。

この山の所有者が夢でお告げを受け、親子二代で20年かけ自力で公園を作り、昭和40年に完成しました。
その息子さんも元気なら今年88歳、山頂には船形展望台・休憩所など貝殻づくしですがプチ廃墟。

「若人よ 明治につづけ ど根性」とある大砲が、豊浜港を見下ろしています。
人の夢や思いは、時間の大河に、はかなく流れ去っていくもの。あ〜諸行無常

さあ、七低山これにて終了。しかし総標高606mは、今までで最低数値じゃないかな。
 



 夕食はお待ち兼ね、アワビのバター焼き。パールに光る貝殻を見て‥『貝殻公園は、すべてアワビの殻だ!』

お泊りしたので翌朝は、鯛祭ひろば(えびせんべい)、魚太郎(市場)などを周遊。
市場では、昨夜食べた活アワビが100g、1,000円で販売されていました。
半島には、もう菜の花が咲いています。今日もいい天気『じゃあね』とナビを新舞子にセット。



東海岳行
     “半島の夏”
 
 実家が名古屋市南区なので知多半島は子供のころから近い存在でした。中学生の時、自転車で友達と半島先端の師崎まで行ったことがあります。大人になってからの海水浴は、南知多町の内海へ良く行きましたが、初めての海水浴は、新舞子で小学生低学年までさかのぼります‥



 知多市新舞子の親戚から『夏休みに家族で遊びにおいで』と声を掛けられました。朝から元気過ぎる日差しを浴び、名鉄道徳駅に着く頃には一家5人は汗だく。運よく子供は席に座れた。当時は冷房などなく開け放たれた窓の風で汗を飛ばす。

 やがて赤い電車がガタンと揺れ、潮の香りが車内に入りざわめきが起きる。ぼくらは体をひねって走る景色を見た。風を受けた細い眼が、キラキラ光る初めての海を捉える。やがて新舞子駅に着き、駅前に出ると砂地の道が白く眩しい。

 父が『確かこっちの道だ』といって細い道を選ぶ。すぐ強烈な臭いに襲われ鼻が曲がる。道に面して豚小屋があり、でっかい三頭が『ブゴ、ブゴ』と餌か汚物か分からないようなものを食べていた。10分も歩けば、ぼくらの夏の家に着き、広い庭に野菜畑と井戸。一家は一休みして、わくわく海へ向かう。



 畑道を歩き電車の線路を渡ると名鉄の変電所が、ブ〜ンという大きな音でsin(サイン)波を放っていた。砂地の松林を抜けると潮騒が聞こえ、期待は膨らみ子供三人は走る。砂浜の草地でズックを並べて置き、その上に服を脱ぐ。

 広がる白浜に踏みこめば、飛び上がるほどの熱さ。足を海で早く冷やしたいけど引き潮で波うち際までは遠い。海の深さは、子どもにとっては脅威。膝下あたりで貝を拾ったりヤドカリを捕まえたり。突然、海に首だけ出した父が『ヒャー!』と叫び慌てて浜に戻る。

 何事かと思ったら『人糞が流れて来た』それは誰でも驚く。おばさんの家に帰り、日に焼けた身体を井戸水で洗っていると足の裏がひりひりする。見ると数え切れないほどのすっぱり切り傷。おばさんが『貝がらで切れた海の傷はそのままでも大丈夫』と笑い顔。


 そんな楽しい思い出が毎年続いたのですが、私が小学生を卒業すると新舞子には足が遠のきました。



 10数年後、アルバイトでトラックの助手として知多半島のあちこちへ荷物を運ぶことがあったのです。ある日最終の届け先が新舞子。駅前に着くと、あの頃の記憶が鮮やかに蘇ります。仕事が終わり、運転手に少し時間をくれるように頼みました。私は、かすかな記憶を頼りに路地を歩き松林に出ます。すると‥

 昔の眩しい砂浜はなく、白いコンクリート壁が続いていました。護岸堤防です。。きっと伊勢湾台風の高潮以後に作られたのでしょう。上ると驚きました。海と砂浜は消え、右方向が埋立地に変わっています。そこにガスタンクが臨海工業地帯のシンボルのように並んでいる。思い出が無残な形で消え、ショックでした。




 更に年月が過ぎ、今回の半島七低山の終わりに新舞子へ行ってみたのです。着いてまたびっくり。左半分に残っていた海も消え、新舞子マリンパークという人工島ができていました。そこへはファインブリッジが架かり、風力発電や人工海浜の施設が見えます。

 昔は、自然の美しい浜辺があったのに‥。もうあの夏の海は、遠い記憶の中でしか広がっていません。人の夢や思いは、時間の大河に、はかなく流れ去っていくものです。
2009.01.07/14:30