岳行ノート

茶臼山・古城山 235m・408m/山県市
2009年1月17日(土)

古城山のミニ大桑城(オオガ)
(高さ3.3m間口1.8m)築20年



 冬のような日が続き(当たり前田のクラッカー)ユニクロのヒートテックも売れ切れて1枚もありません。木曽川から岐阜の山を望むと1,000m級は雪で冷え冷えとした姿。

 私も冬と触れ合うため雪山を目指すことにしました。安全パイは?たぶん古城山なら大丈夫でしょう。でも歩行時間は、2時間ほどなので近くの茶臼山も登ることにしました。



 教科書は、風媒社刊「こんなに楽しい岐阜の山旅100コース・上」です。参考書は、多くのHPにお世話になりました。
駐車地周辺図
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駐車地



大堰堤

鉄塔№464

△茶臼山

鉄塔№465



駐車地


※色線は実測ではありません

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)


江南:8時30分発  2℃
    曇りときどき晴、ところにより道に雪
往路:40分(鉄塔№464迄、小休止含む)
復路:35分
 1/16(木)の新聞で土日祝にETCで高速道路を走ると1,000円の乗り放題と載っていました。例えば名古屋から仙台までは現行だと1万4,250円だがこれが1,000円となる。甘い話です。ただ東京と大阪の大都市圏は対象外。また平日の大都市圏以外では、午前9時~午後5時を3割引となります。

 土曜の早朝に東北へ行き、日曜遅く帰る。これは厳しい日程なので金曜日の祝日に出発し、日曜日に帰宅する。これなら余裕があります。もし百名山踏破を挑戦するには、この期間にすればいいけれど2年間限定なので回りきれない。

山県市を走ると田園風景に雪が残っていました。鳥羽川もいかにも低水温という感じ。
まだこの辺りは標高200mクラスの山々ですが、奥深い山国へと続く入り口です。
写真を撮り、伊佐美・上の洞集落に向かいます。




 伊佐美不動前の路肩に車を停めました。集落入口の唐松神社の鳥居をくぐり、家々を抜けると‥
(9:55)

 村はずれにコンクリート橋があります。タイヤ跡を追って進む。(実は、橋の手前を左に入れとガイドブックには書かれていますが気がつきません)

 大堰堤の左岸側を通過。ここでコース取りの誤りに気が付きました。堰堤の向こう側に道が見えます。でもこちらの道でアドベンチャー。(10:00)



 イノシシの捕獲檻を見て、最後の堰堤を越えます。小橋から谷に踏みこむと踏み跡も登山道もあるのでどんどん行きましょう。

 道が終わる頃、左手斜面に山腹道が見えたのでそこから尾根へ登ります。





 左手のシダを踏み上がると、谷から1、2分で手入れの良い尾根道と合流しました。
(10:20)


 クリアな登山道を登ればあっという間に山頂です。展望はありませんが、堂々の三角点。ここから道は、北東と南に分かれます。
(10:30)

 北東の道は気になりますが、南道へ降登すると‥

鉄塔№464に着き、展望は東西に広がっていました。
写真中央の町民運動場より奇声が聞こえます。何か大勢でスポーツをやっているようです。
私は一人で静かにスポーツ。では下山。
(10:35)

 帰路は、もちろんガイドブック指示の手入れの良い道を降ります。途中鉄塔№465は、下をくぐり右に回り込むと山腹道です。(10:50) ※№466は展望無

 大堰堤の右岸側を越えれば、あのコンクリート橋迄は2,3分です。そして車に着き、即エンジンを始動して次の山へ向かいました。(11:10)





 次の古城山には、3kmほどの距離です。中央のピークが山頂に違いありません。
林道起点↓


P

馬ならし場跡

霧井戸入口

△古城山

林道出合

林道起点

P

※色線は実測ではありません
※青線は舗装林道

■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)


往路:1時間(小休止含む)
 復路:1時間15分       

 上の地図、林道起点の場所です。賑やかな看板の中に「注意熊出没」あり。ここは左の地道を進みます。廃墟の養蚕場を左手にゆっくり走れば‥

 駐車場です。2台の先客の間に停め、車中ランチで腹ごしらえをしたら出発します。(11:45)




 林道はすぐ終わり、ジグザグと登って尾根に出ます。道には間違えようのない案内板が豊富です。
 「馬ならし場跡入口」の看板できょろきょろ『どこどこ?』おっ、手前の道標に左の地図。ここから西に金鶏滝までのルートが明示され興味津津。
[現在地から杉坂峠迄は、アップ・ダウンの快適な稜線です。案内板並びに赤テープに従って行動して下さい。滝分岐から滝までは荒れていますので注意]



 すぐ隣に能郷白山眺望地があります。

 「能郷谷の一番奥でただ一人雪煙りを吹き上げている。ド迫力である」と八代竜也氏のガイドブックのとおりです。


 霧井戸入口を過ぎ、土岐頼芸の顕彰碑と祠がある広場に出ます。ここに遺構(一の曲輪)があったと新聞で以前見ました。
(尚、井戸までは100m近く降る)

 右にミニ城が見えて登るとミニ犬のチワワが吠えて向かってきた。




 しょうがないのでお城は後回しにして山頂に行きます。二等三角点と東に展望があり高賀山が見えました。
(12:45)
ミニ城に戻るとチワワにまた吠え立てられますが、ご夫婦が抱きあげ下山されました。
静けさが戻り大桑集落、茶臼山方面の展望を私的空間に変え楽しみます。

ここの大桑城は、昭和61年から2年がかりで建設。最後に城郭を力技のヘリコプターであげました。
私が2002年に登った時、ミニ城へ行くと南屋根に作られた大きな巣。
スズメバチが飛び回っていて震えあがりました。屋根にはその名残があります。




 下山は、ガイドブックの周回コースを辿りましょう。往きの時見つけた霧井戸入口の手前にある分岐を左に折れます。
(13:00)

 こちらの道も良く手が入っており、急な個所にはロープの手すりや

 プラ階段と親切です。ところが南の林道起点に向かわず東方向に向かっています。 




 どこへ着くかアドベンチャー気分で降りると椿野はじかみ線林道の峠に出ました。あ~ヤレヤレ林道起点までは長そう。
(13:20)

 左の白い場所あたりが林道起点です。何年もかけてできた林道ですが、一台の車ともすれ違いません。

 必要性があったから作られたのでしょうが誰が一番得したのでしょう。大周りの40分で駐車場に着きました。
(14:00)

 そのあと取矢神社金鶏の滝まで行き、登山道を確認しました。またこの山へ来る必要性ができた。


東海岳行
    “ワンチャンス” 

 私は、そこにそんな話があるとは知りませんでした。

 昨年秋、のどの薬一筋創業200年龍角散の新製品ダイレクトスティックのテレビCMが放映されたのですが、こんな内容です。

「36歳まで、携帯電話の販売員だった」
「一夜にして、世界的なオペラ歌手となる」
「神様がくれたノドが僕の人生を変えた」


 というフレーズに英国のポール・ポッツ氏(Paul Potts)が歌うオペラをかぶせた水なしで飲めるのど薬のCMです。それは記憶の底に沈むほどのわずかな印象でしかありませんでした。

 ところが先日1月13日(火)、中京テレビで「誰も知らない泣ける歌」を見ていたらそのフレーズの意味が分かったのです。番組を見てなかった方のため、そのストーリーを少し詳しく記します。



 ポールは幼い頃貧しく、小柄で歯並びが悪いいじめられっ子。16歳でオペラと出会い歌うことに夢中になります。それからはオペラのレッスンを受け、アマチュアのオペラ劇団に所属し、歌だけが彼の友達になりました。やがてネットで知り合った女性と結婚しますが、オペラの趣味にお金を使うので貧しさは変わりません。

 そんな折、ポールは交通事故にあい長期入院するのです。退院すると莫大な治療費を請求されました。彼はそのためオペラ歌手になることを諦め、携帯電話の店員になって一生懸命働いたのです。それから4年後の2007年、オーディション番組「Britain's Got Talent」の募集案内を見て気持ちが揺れました。

 番組は参加者を公募し、審査をして隠れた才能を発掘するというものです。ダンサー・ロック・ポップス音楽・大道芸など視聴者受けする派手な芸が主流でした。彼は出場を決意し、会場の大ホールで歌うことでオペラ歌手の夢にけじめを付けることにします。

 番組の審査委員長は『芸じゃない』『何しにきた』と辛辣なコメントが人気のプロデューサーと気鋭のジャーナリスト、辛口のドラマ女優の3名。ポールは、冴えない容姿と安物スーツで一番最後に登場しました。ステージ中央に進むと2千人の観客に圧倒されます。



 マイクの前に自信の無い顔で立つ。女優が、上から目線で『何を見せてくれるの』と聞きくと『オペラを歌います』と答える。オペラは彼ただ一人、審査員たちは、あからさまにヤレヤレといった表情をします。オペラはジャンル的に大衆受けしないからしょうがありません。

 曲は、荒川静香がトリノ・オリンピックで金を獲得したプッチーニ作曲「トゥーランドット」、その第3幕「誰も寝てはならぬ」のアリアです。鎮まる場内、イントロが流れ彼が歌い始めると‥誰も想像もしていなかった美しい声と抜群の歌唱力。

 ほんの2小節も行かないうちにペンをくわえたプロデューサーの顔つきが変わり、隣席の女優の顔が引き締まる。そして主旋律が流れるとその澄んだ歌声が、ホール全体に伝わり全観客の心は圧倒的な感動で包まれます。

 誰もが奇跡の歌声を聞きました。あの女優も涙をぬぐいます。テレビを見ていた私もひよ子さんも言葉がわからなくても胸がきゅんとして涙がこぼれて来たのです。やがてメロディは最後のクライマックスに登り詰め、ポールは小さな身体の両手を広げ、すざましいハイ・トーンで感動の終章を歌い上げました。



 すべての観客が長いスタンディング・オベーション。結果はもちろん合格で男性の審査員は『期待してなかった』『君はきっと最後まで勝ち抜く』と感想を言う。女優は『ダイヤの原石を見つけ鳥肌が立った』と語る。

 私もテレビの小さなスピーカーから流れる歌声で、これほどの感銘を受けるとは思いませんでした。その07年6月9日の予選後、ポールは6月14日のセミファイナルも通過します。ファイナルは6月17日。

 参加者5万人から選ばれた決勝進出者は、ポップス、腹話術、ダンスチームなど全6組です。そして審査員が言ったとおり彼は見事優勝し、賞金2,000万円を獲得したのです。プロディーサーが、その場で彼に来週からのレコーディングを確約しました。

 1ケ月後に録音されたCDタイトル「ワンチャンス」(14曲入)は、7月23日全英初登場1位と旋風を起こし、全世界で300万枚以上のセールスをします。翌08年1月の全英ツアーを皮切りに世界ツアーをしました。08年4月には東京公演が行われ2日間とも満席です。



 そして6月、フジテレビ「奇跡体験アンビリバボー」でその特異な経歴と成功が放映。残念ながら私は公演もその番組も見ていません。スターになった彼に各国からCMオファーがありました。しかしどれもブサイクをネタにしたものばかり。

 その中で龍角散だけが「ノドだけを頼りに一夜にして大きなチャンスをつかんだポール・ポッツさんの半生は弊社の思いと重なり、新ブランドのキャラクターに最もふさわしい人物です」という申し出でした。その姿勢に共感しあのCM出演したのです。

 この感動的なサクセス・ストーリーは、ハリウッドで映画化されることが決まっています。そのタイトルは、デビューアルバムと同じ「ワンチャンス」です。今回、この道草作るため何十回もYouTubeを見ましたが、ポールさんの熱唱は何度見ても涙がこぼれます。歌ってすごい。






■YouTube[ポールポッツ主演/龍角散CM] 0:45
  この道草を作った時点でも放映されていました。
  http://jp.youtube.com/watch?v=ZysupYcp18Q


■YouTube[ポールポッツ/冴えない男の才能(短縮版)] 4:10
  VTRのカメラワーク、編集が素晴らしく感動できます。
  http://jp.youtube.com/watch?v=0HYHKlcDsZI


  フルバージョンをご希望の場合は、次の①②をクリックしてください。

■YouTube[ONE CHANCE~奇跡の大逆転/奇跡体験アンビリバボ]その① 9:10
  http://jp.youtube.com/watch?v=KCe_qoTtwMU&feature=related

その② 9:00
  http://jp.youtube.com/watch?v=5c1flQ1p6tI&feature=related

2009.1.19(月)14:10