2012年1月14日(土) 山頂稜線の魅惑的な常緑樹のトンネル |
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この時期は低山巡りが楽しみです。初めての低山で快心の登山ができると名山新発見の気持ちになります。見つけられない低山が私を待っているでしょう。 そんな山を探すことから楽しみが始まります。名山に出逢った時の充実感は、変えがたいものです。年初は岐阜低山でしたので今回は愛知低山にしました。 ガイドブックを読み直し桑谷山(クワガイサン)に決定。東名高速道路の岡崎ICで下り、南下して蒲郡市との市境に近い桑谷キャンプ場を目指します。 教科書は、山と渓谷社刊「新・分県登山ガイド 愛知県の山」です。参考者は、風媒社刊「新こんなに楽しい愛知の山130山」で確認しました。 |
<駐車場> [-]広域図、[+]詳細図、ドラッグスクロールで移動 |
駐車場 ↓ 桑谷山荘 ↓ ▲桑谷山 ↓ 小倉池 ↓ 駐車場 ※赤線はGPS軌跡 ※黄丸は分岐 ■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江 南:午前7時2分発 晴れ/1℃ 駐車地:午前8時55分着 晴れ/5℃ |
往:1時間45分(山頂以下、小休止含) 復:50分 ◆所要時間:2時間35分 |
県道324号線の桑谷町交差点から南へ走ると正面に桑谷山山頂のドームが見えます。 |
道路左に岡崎市営[←桑谷キャンプ場]案内標。左折して200mも行かないうちに‥ |
左側に10台以上停められる未舗装の駐車場があります。そこを出ると写真の変則四差路ですが、ここは直進。 (9:05) |
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坂口池を過ぎると舗装道がY字分岐します。左で桑谷山系遊歩道へ進まず、右道でキャンプ場へ寄り道。 |
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キャンプ場に入ると広場に案内図があります。場内から桑谷山系遊歩道に合流。(9:15) |
テントサイトを過ぎて写真右下から遊歩道に出ました。ここを右折し、先の二俣で右へ行きます。 |
せせらぎの小橋を渡ると石畳の道です。道標「桑谷山荘→」に従います。流れの音を後ろに残し、尾根へ登ると‥ |
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送電線鉄塔。北の岡崎や名古屋市街へ開けていますが、霞んで今日はさえません。ここまで出発して30分です。 (9:35) |
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趣のある石畳が続き、路傍二か所に野辺地蔵が祀られています。 由来書「この道は岡崎と蒲郡を結ぶ重要な往還道であった」 祠のお地蔵さんは、大切に守られ心が温まります。 林道を二度横断して道標[展望台・桑谷山荘→]方向へ登れば‥ |
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分岐へ出て案内杭が、左:桑谷山荘、右:山頂・展望台と知らせます。 (9:55) 桑谷山荘が気になるので左へ行くと林道に登り、そこを‥ |
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降ると岡崎市民休養施設桑谷山荘に着きました。日帰り入浴420円できますが、平成24年年末に閉館します。 (10:05) 舗装道を戻って登れば展望台ですが、水道タンク脇に登山口があったので樹林道を登ることにしました。 |
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結局、舗装道に出て大展望台。中電から昭和50年に贈呈されました。左は市の防災無線中継局アンテナです。 412mピークですが、階段で5mほど高さが上がり‥ (10:15) |
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海と山の大パノラマと言いたいのですが、真南の真逆光。 手前の蒲郡市街、光る三河湾、遠くは渥美半島。 防災無線アンテナ下から山頂への道を進みます。 出合うY字分岐は左です。→ |
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道は、革質の葉のヒサカキやツバキなど照葉樹のジャングルに一変しました。 這って延びる登山道は、森ネズミの道のようです。 |
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樹林の中に突然、フェンスが囲んだ航空路看視レーダーが現れます。 (10:40) |
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気分良く起伏の少ない道を歩きました。 再びレーダー施設。天辺はドームに覆われています。朝、集落から見た山頂ドームです。 |
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フェンスに沿って進むと北側に一等三角点山頂。黄色いICタグが埋め込まれています。展望は全く利きません。 (10:50) |
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常緑樹林の道が続きます。アオキ(青木)の真っ赤な実。『マイクロ・リンゴだ』 稜線沿いに三河湾スカイラインが通っていますが、樹林が雰囲気を守っています。 |
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三つ目のレーダー施設に出合うと間もなくT字分岐。左が稜線続きの遠望峰山443mへの道、右が下山道です。 (11:00) |
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山肌は植林となり、道に石が転がってますが、はっきりしています。さらに降り‥ |
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沢を小橋で渡れば、間もなく林道終点。未舗装路を歩くと‥ |
林道に合流して左折します。 (11:20) |
採石場を過ぎると、大きな溜池の小倉池。12時前に帰着できそうで、ランチなしで歩き続けます。 (11:30) 朝、車で走った道で駐車場へ向かいました。今日も充実した山歩きができました。 (11:45) |
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東海岳行 |
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“お餅” | |
子供の頃、お餅は季節品でした。お正月が近づくと母は米屋さんにお餅を注文します。年末、配達されたのし餅を切れ味の悪い包丁で私は手伝って懸命に切りました。高校生の時、引越する親戚から不要になった石臼・杵・蒸し器などの餅つきセットを貰ったのです。 町内でも餅つきをやる家はなく、我が家は誇らしげに餅つきイベントを開催し近所の人も見に来ました。蒸したもち米を石臼に入れて、すぐつくわけでなく最初米粒を杵で押しつぶすのですが結構、腰に来るきつい作業です。 さあつくぞと杵を下ろしても高校1年生の私は一臼をつくことができません。弟たちはさらにひどく数回杵を下ろすだけでヘロヘロ。やはり父がメインです。母親に返し方を教えてもらい爪を石臼にこすらせながらペロペロと小さく餅を返します。 2年生になり体力が増強され一臼が楽勝になりました。父に『若い者には勝てんなあ』とおだてられ私は頑張ります。当日の喜びは、つきたて餅を適当にちぎり、きな粉・あんこ・大根おろしを付け家族5人で食べることです。 これが本当に美味しくご馳走でした。何臼も餅つきが出来る力餅です。つきあがった餅を木板に乗せ、母と二人の弟がのし餅にしたり丸餅にします。当然、誰もが下手なので、のし餅は四角にならないし、丸餅はいびつなお椀形にしかなりません。 特に難しいのは、鏡餅でした。いつも歪んだ半球が玄関に置かれます。最後は特別なお餅です。もち米の中に普通のお米を少し混ぜて蒸します。青海苔を少々まぶし、それをつくと食感が独特なおこわ餅の出来ました。 焼餅にすると、歯ごたえがあり個性的な味で私の大好物。これは売ってなかったので我が家の味でした。正月が1週間過ぎる頃、次第にカビてきます。鏡餅はカチカチになり、カビを削り取って金槌で割って砕き、それで母がぜんざいを作ってくれました。 これが甘くて実に美味しく、たくわんを取りながら腹一杯になるまで食べます。我が家の餅つき大会は、手間がかかることと私が年末のアルバイトで忙しく帰省しないので5年で中止になりました。それ以来、つきたてのお餅やおこわ餅を食べていません。 25年前のことですが、ナショナルから画期的な電動餅つき機が発売されました。つきたてのお餅を家族で味わえるならと思い、電器屋へ実演を見に行きました。するとその機械はつくのではなく、くるくる回している。 試食するとつきたては美味しいのですが、水っぽく感じました。あの粘りやコシのある食感を口にする願いは叶いません。もう一度、あの味に会いたいなあ‥ |