2012年3月13日(火) 山頂西の展望岩より、北西に富加町加冶田集落 東海環状自動車道が津保川に架かり、右上奥は瓢ヶ岳1163m、その左が今淵ヶ岳1048m。 左下、春の女神が舞い降りた様な華やかさは、赤い実のタマミズキです。 |
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3月末で町内会役員の任期終了、今月は引継ぎもあり出動は8日間。好天の日を選び、山行予定を組むと低山彷徨派の野良人さんから連絡が入りました。 『城跡を巡り歴史探索しましょう』その山は梨割山(ナシワリヤマ)です。名前は知っていますが、ガイドブックには載っていません。 そのため中々、登山候補には挙がらず、いつしか忘れてしまった山です。お誘いがなければ登らなかったかもしれません。 調べると278mのスーパー低山で山腹を東海環状自動車道の川小牧トンネルに抜かれています。清水寺(キヨミズテラ)、加冶田城跡など見所もあります。 気温はまだ低いけど、冬の鋭角な厳しさから春の柔らかな優しさを感じる日に出かけました。 |
<駐車場> [-]広域図、[+]詳細図、ドラッグスクロールで移動 |
41号線美濃加茂バイパスで北上、東海環状自動車道美濃加茂IC手前で側道に降り左折します。上蜂屋東交差点で右折、 |
※赤線はGPS軌跡 ■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江 南:午前9時00分発 晴れ/3℃ 登 山 口:午前10時00分着 晴れ時々曇り/4℃ |
往:35分(山頂まで以下、小休止含) 還:1時間20分 ◆所要時間:1時間55分 |
宝泉坊トンネルを潜ると左前方に梨割山が見えました。鞍部から左ピークが山頂です。 |
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「修験信仰と開運の里清水寺→」看板に従い川沿いを走ります。太子堂の建つ清水谷川公園に駐車しました。 階段から参道を行きます。 (10:10) |
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早速、珍しい二階門。この二天門は県重要文化財です。石段を登ると‥ |
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清水寺(キヨミズテラ)本堂。京都清水寺と同じ平安時代初め808年創建、由緒が深いお寺です。 本堂は、江戸時代1673年に建立。その裏の格納庫に国重文の十一面観音坐像等が安置されています。 |
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石段を上がり秋葉堂横の丸太橋を渡るといよいよ登山道かと心弾みます。ところがすぐ林道、そこを左折。 (10:20) |
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堰堤で広い道は終わり、感じの良い落葉の登山道です。雑木林を緩く登る快適な道で湿地を抜けると‥ |
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道標は的確にあり、三差路の分岐標に出合います。右折し山頂へ。 (10:30) |
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鞍部に出て川小牧分岐を左折すると、山腹道歩きになりました。 楽ちんすると道標の右折指示で直登道に急変。ステップは歩きやすいけど傾斜は容赦ありません。 |
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急登が終わり、二等三角点山頂。10年前は眺望がありましたが、木が伸びました。西へ進みます。 (10:45) |
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右に尖岩。登れば北へ180度の大展望。美濃山が並びます。↓ 右から瓢ヶ岳1163m、覗く高賀山1224m、今淵ヶ岳1048m、左端矢坪ヶ岳873m。 |
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道なりに進み、南へ向きを変え急降。降りると、東へ曲折します。すると‥ |
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小沢に出合い、この三差路分岐を直進。二重山稜の沢道は、いい雰囲気で樹木は、すらりとした高木ばかり。 (11:10) |
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展望岩で南の大展望! 写真右ピークが明王山380m、左ピークが鳩吹山340m。 中央をよく見ると‥ (11:20) |
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名古屋駅高層ビル群。左は大平山291m、右は城山265mです。 |
当然野良人さんは天辺へ登る。 |
小ピークを一つ越えれば加冶田城跡270m。説明看板があり、戦国時代のすざましさが書かれています。 (11:30) |
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椿の花は、武士に嫌われました。理由は落花時、首ら落ちるから。映画『椿三十郎』は、凄みのある名前だ。 |
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城跡で時代背景を知り、山も風景も違った思いをはせます。東端の目立たない下山口から降り‥ |
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小さな祠を二つ過ぎると人気のない民家の裏に降りました。左に折れて路地を進むと車道に出て‥ (11:50) |
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『大正ロマンですよ』と野良人さん。完成し当時は、このデザインなら目を引きます。 二階のバルコニーがお洒落ですが、漆喰壁が剥がれているのが残念です。 入口に可茂保健所理容業の組合員章が掲げられています。 |
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昔の街道のような細い舗装道を東へ歩きました。川小牧トンネルを潜れば駐車地清水谷川公園は近い。 結局、リュックに入れたランチは、ベンチで頂きました。次の第二山も城跡です。 (12:05)〜〜13:00) |
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東海岳行 |
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“頻困対策” | |
長男から『ぼくが1歳半の時の写真を携帯メールで送って欲しい』というメールが届きました。長男の息子、菊千代(1歳半)が、父親似か母親似か確認したいという理由です。『めんどーくさいなー』と私が、あくびをするとひよこさんは、すぐ二階からアルバムを探してきました。 そういう所が、今でも子供たちに好かれている所以でしょう。ページをめくり、写真を選らびながら呟きました。『私達、随分変わったね〜』『どれ‥う〜ん、すざましい変わりようだ。けど今は渋くなったと言おう。ワビサビが利いた枯山水の身体と言っていいだろう』二人で笑う。 私の渋い身体に最近異変が起きました。10代の頃はいくらでも寝られ、朝方に膀胱が警告信号を出しても眠気の方が勝って寝続けたものです。大人になった私は‥或る日、テレビで医学博士が『そういう我慢から膀胱炎になり、痛い目に会う』 穏やかではありません。 『もよおしたら我慢しない』 博士の言葉を素直な心の私は呑み込み、それ以来現在もそのしきたりを守っています。今でも夜中に一度は起き、用を済ませているのです。今冬は寒さが厳しいようでいつの間にか一度が二度になりました。年齢のせいでキャパが減ったのでしょう。 と思っていたのですが、ある夜は四度も起きました。それだけ回数があると、わざわざ起きるほどの量ではありません。ま、たまにはそんなこともあるかと慰めモードでいたら次の夜も四度置きました。『いよいよ、頻尿倶楽部へ入部したのか』とガックリ。 夕食にはお茶や缶ビール、食後にコーヒーと水分をたっぷり取ったのでそのせいかもしれない。ビールとコーヒーを止めて見たのです。すると‥やっぱり3、4度は起きます。2時間ごとに目を覚ますと熟睡できません。『ぼちぼち、ノコギリヤシを飲もうか』と考えました。 お医者さんに診察してもらう前にそのデータを把握します。就寝前の水分量、何時に起きて1回ごとの量などを記録しようと眠りについたのです。寝てしばらくして尿意を感じ、時計を見るとまだ2時間しかたっていません。その時、身体が冷え切っているのに気付きました。 私は、掛け布団と掛け毛布の寝具で寝ています。手探りすると毛布しか私の身体に掛かっていません。掛け布団は横にすっ飛んでいます。寝返りをするときにずれたのでしょう。1時間半後再び起きると同じです。毛布しか私の上にはかかっていません。私は寒さで目覚めていたのです。 思い出すと冬に、こういうことが今までもありました。原因は判明しましたが、何とかしなければなりません。そこで掛け布団の四隅と掛け毛布の四隅をビニール紐で縛りつけて見たのです。これなら寝具が離れ離れにならない。早速、試すとOKでした。 しかし二日目、紐はほどけませんが、毛布は四隅を固められたまま軟体動物のように隅に偏ってしまうのです。その場合、掛け布団だけで寝ているので前よりはましですが、二度は起きなくてはなりません。 これを解決するには‥@私の寝相を直すか、A寝袋を出してきて寝るか、B1枚でも充分温い高級羽毛布団を購入するか?さあ、どうしよう!? |