岳行ノート

御在所岳8 1212m/三重県菰野町 

2013年11月1日(金)


峠谷の錦秋 -峠道より-


 鈴鹿の盟主御在所岳に何度も登りました。魅かれる理由の一つに登山道の多さがあります。メジャーな裏道・一の谷新道・表道・峠道・中道

 バリエーションルートは、三重の本谷・藤内沢、滋賀の地獄谷を歩きました。今回は今年の4月に続き、滋賀からバリルーで登って見ます。

 4月に歩いたのは上水晶谷〜地獄谷。その左岸の北西尾根を野良人さんと辿ります。バリルーですが、ネットにレポがいくつもあり驚きました。


 山行当日、御在所岳の紅葉情報は、中腹が見頃。鈴鹿スカイライン(国道477号線)の三重・滋賀県境にある武平トンネルへ走ります。

 教科書は、「藪山独自ルートfloat cloudのブログ」さんです。
<駐車場>
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大きい地図


駐車場

(雨乞岳)登山口

クラ谷分岐

1155mピーク(ランチ)

御在所岳

望湖台

武平峠

駐車場

※赤線はGPS軌跡 ●主な分岐

■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」


江  南:午前6時25分発  晴れ/12℃
駐車地:午前8時00分着  晴れ
往:3時間45分(山頂まで、小休止含)
還:1時間00分(ランチタイム除く)
◆所要時間:4時間45分

 武平トンネル三重側の100m東にある駐車場に車を置きました。トンネルに向かって進むと‥
(8:10)

 ガードレールの切込みに「武平峠→」の案内板。登山道は朝日の透過光が清々しい空気。暫く登ると‥

 標高877mの武平峠交差点。ここで西に入り、雨乞岳の登山道に合流しようと進みました。

 崩壊地があり、道が不明です。峠道へ登り、そこで道迷いに気づき武平峠まで戻りました。ガックリの35分ロス。
(8:15)〜(8:50)

 武平峠から武平トンネルの滋賀側へ出て、100m西の雨乞岳登山口から仕切り直し。

 三重側からの登りにこだわらず、最初から滋賀側に置車すれば良かった。失敗からなかなか立ち直れない。
(9:00)

 植林の山腹道を登り、郡境で「レスキューポイント1」の注意板を見ます。谷沿いの道に変わり‥


 「レスキューポイント2」を過ぎると窯跡のクラ谷分岐。北の沢谷へ降り、流れを避け右岸左岸を選んで歩きます。
(9:45)


10分で滝上。野良人さんが待つ右岸へ渡らなければなりません。
危険なので数m上流へ戻ると「コクイ谷→」標識。渡渉して‥

 下へ流れの無い谷。この辺りは昭文社の登山地図にも(迷)印が付いている難路です。谷は左へカーブしていて、進むと‥

 コクイ谷に出合います。以前、野良人さんが雨乞岳の下山でこのルートを歩かれたので、迷わずに来れました。(10:00) 


 沢の道は、右岸か左岸のどちらか歩ける所が必ずあります。一番難度の高い個所。 『紐があって助かった』


 渡渉も何度かありますが、こんな感じでズボンを濡らすことはありません。

 待望のコクイ谷出合。右へ行き、岩道から土道になるので緊張が解かれます。
(10:45)

 木立の間を快適に登ると尾根稜線が、左下がりで見えました。

 尾根端が、北西尾根取付です。赤テープのマークが、きちんとあります。ここからバリエーションルートです。
(11:00)

 登山道はありませんが、林床はすっきりしてどこでも歩けます。
ただ、容赦のない急登です。高度が上がると紅葉が眩しくなります。
1066mピークを過ぎても急登は緩まない。
(11:50)

明るく開けた1155mピークに着くと、ようやく一息つけます。
西に雨乞岳1238mを眺め、気分のいいランチタイム。
(12:05)〜(12:55)


 充分休憩して出発。シロヤシオの紅葉が美しい尾根です。緩く降ると‥

 御在所岳最高点の望湖台1212mが見え、ズームアップ〜 平日ですが紅葉シーズンで観光客が多い。

 向こうからこちらが見えるから、あそこに登り北西尾根を見ましょう。

 尾根道は獣道のようになり、笹原を抜けると三重・滋賀の県境モニュメントの後ろに出ました。北東へ遊歩道を進めば‥ (13:20)

 三角点1209.4m。一等三角点にタッチしようと思っても柵で守られており、一度も触ったことはありません。西の望湖台へ‥ (13:25)

 望湖台に着くと、先ほどまで歩いた北西尾根だけ眼に入ります。中央が、ランチした1155mピークです。
(13:25)

 今までここに立った時、気にしなかった尾根ですが、今は愛情があります。


 遊歩道を南へ歩くと峠道の下山口です。標高300mを一気に降りる岩の道。
(13:45)

 名所の天指し岩。左から撮った方がその名のフォルムです。→

 ←でも鎌ヶ岳1161mを入れたかったので。
(13:55)

 日の当たる峠道は、紅葉パラダイス、右下の峠谷も紅葉パラダイス(TOP写真)。
御在所岳は、何度登っても飽きません。
駐車場(14:20)


東海岳行
  道草セレクション“山頂のレーザー光線” 


1.実験                            (以下名は仮称)

 一枚の古い写真が右下にあります。登山ですが目的はピークハントではありません。でもこの先、頂上では世にも稀なる経験が待っています。(それにしてもピンボケが、けたたましい)

 大学4年の時、工学部でも出来の悪いは、友人の稲田君石丸教授の卒研ゼミに誘いました。高齢で頭髪が薄いけど優しい人柄です。教授が指示したの研究テーマは、レーザー光の拡散角の調査でした。当時レーザーは、最新テクノロジーです。

 その光は懐中電灯のように広がりません。理論的には、どこまでも点で到達します。しかし『
レーザーガンの性能や空気の影響で広がるはずだ』と教授が言われます。最初、片手で持てるほどの小さなレーザーガンを構内の外廊下に置き測定実験をしました。



 光を直接目に受けると網膜が焼けると言われ充分注意します。この機器の光源は、
ルビーだと聞き、良からぬ考えが浮かんでは消える。測ってみれば1mの距離でも20mの距離でも光点の大きさは3ミリで変りません。

 これではらちが明かない。『かなりの距離がないと測れません』と教授に相談すると『ちょっと考えてみる』と言われました。その後、教授の授業を受けていると突然『二週間後の定期テストは飯綱山で行います。

 その時
レーザー光の拡散測定実験も併せてするので山小屋に泊まる用意をしてくるように』みんな大騒ぎ。確かに学舎から飯綱山山頂は見え、直線距離で15kmはありそうです。スケールの大きなアイデアに舌を巻きました。



2.山へ

 そして当日、10名の学生はバスで登山口まで行き、3時間以上かけ1900mの山頂へ登ったのです。途中、雲海が下にあることに感激し稲田君に上の写真を撮ってもらいました。山は展望が抜群で街も眼下に広がります。頂上小屋に到着し、皆でカレーライスを作り、早めに夕食をとりました。

 日が沈む頃、学舎が見える展望地に行き、教授の指示どおり各自広がります。学舎で待機する助教授にトランシーバーでゴーサインを送りました。ここからが大変です。助教授は、セットした
レーザーガンの方向を調整します。教授がしきりに指示を送りますが、光は一向に届かない。

 何しろ15km先の一点に
レーザー光を当てなければなりません。周りはどんどん闇に包まれる。そのため山からは懐中電灯を点滅させます。一時間ぐらいたった頃、右手端から『見えました!』と大きな声。『おお〜』とみんなは笑顔になる。トランシーバーとのやり取りがせわしい。



 それから30分、やっとのことでセンター位置に光点が落ちつくと、期せずして全員で万歳をあげました。これくらい距離があると直視しても目は痛まないと教授が言われます。そこでみんなは、順番にその光を見ました。

 光点から少し離れた場所では、光源どころか光筋すら見えません。しかし、ちょっと左に寄ると突然、輝く赤い光が風のように全身を覆います。

 それは眼が記憶していないまったく新しい光です。暗闇に純粋な美しさが感動的です。外れれば、また何も見えない。いわゆるデジタル的で見えるか見え無いかのどちらかです。
   

(学舎の屋上から)



3.測定

 教授が『稲田君、見える範囲を測定しなさい。それが拡散距離ですから』と言います。本日の目的であり核心部分です。が光の見える右端に立ちました。もう一人が左端に立っています。しかしはいつまでも測定に来ません。見るとリュックをひっくり返している。

 そして『すみません教授、メジャーを忘れました』みんなこける。教授が『物差しを持っている人はいないか?』と聞くけど全員が首を振る。少し間があって『じゃ稲田君、歩幅で測りなさい』何という大雑把な実験!怒りもしない教授の優しさに助けられはバツが悪そうに歩きます。

 『教授7.5歩です』『重要な数字だからメモしてきなさい』が小声で『どうしてメジャー忘れたの?』と稲田君に聞くと『誰かが、持ってくると思ってた』とつぶやく。『お主の実験じゃ!』と突っ込む。頭を掻きながらは『歩幅忘れそうだ』『それだけは死んでもいかん!』



4.翌朝
 朝起きてレーザー光線をもう一度見に行くと、まだ学舎から光が届いていて日中でも鮮烈です。もう一度、改めて歩数を稲田君と慎重に確かめました。朝食の後、頂上広場でみんなが適当に座ります。

 教授がテスト用紙を配り『一時間でやってください。私は散歩してきます』みんなはしめしめ顔に輝く。輪になり仲良く相談したことは言うまでもありません。そして下山しました。



5.その後

 石丸教授は、十数年後にご逝去されました。助教授は、教授になられ数年前に退官されています。今でも年賀状のやり取りをさせていただいており、今回この山名が不明だったので電話をさせて頂きました。『どこの山かは忘れたが、あの時のことは良く覚えている。

 卒論原本を皆に送ったので稲田君に聞いたら? 電話くれてありがとう』とおっしゃられました。とは今でも年賀状のやり取りだけはしています。そこで何十年ぶり稲田君に電話したら『山は飯綱山に違いない。けど論文は行方不明だ』と結局その詳細はわかりませんでした。

 星の無い夜、遥かな街から忽然と山頂に現れた光‥今でも思い出せばあの澄んだ
赤色光は、心にまぶしく蘇ります。できるならもう一度あの山頂であの光を見てみたい。

2013.11.04(月)19:15