2014年2月24日(月) 木枯らしを追う竹林の里 |
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特別な登山に野良人さんから誘われました。山友の博士が東北へ帰郷されます。そこで贈る登山に参加することになりました。 全7人のパーティ。どこに登るか知らされないミステリー登山。当日『楽田山だ』と言われたのですが、そこは吉野山と呼ばれている山でした。 ある日、野良人さんと画伯が古い登山道を見つけました。登山道、巡視路、峠道などをつないだ周回ルートをお披露目してくれるそうです。 「里山獣周回道」 マニアックなルートで里山と言えど山慣れた人向きとのこと。博士を含めた5人は、案内についていくことになります。 登山口が標高50m、山頂は222mで170mの小高い丘ですが、行程は3時間。『え~低山でそんなに時間かかるの?』にわかに信じられません。 |
<駐車地> [+]詳細図、[-]広域図、ドラッグスクロールで移動 大きい地図 |
入鹿池より来た五条川、その富士橋交差点から左岸を南へ走ります。100mで右折、突き当りの空き地が駐車地です。 |
駐車地 ↓ №15鉄塔 ↓ ▲楽田山 ↓ 本宮山展望地 (ランチ好適地) ↓ 竹林入口 ↓ 駐車地 ※赤線はGPS軌跡 ●主な分岐 ■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江 南:午前8時40分発 晴れ/1℃ 駐車地:午前9時45分着 晴れ |
往:35分(山頂まで、小休止含) 還:2時間25分(ランチタイム除く) ◆所要時間:3時間00分 |
(P:土日停められるかは?) では、冬の里山散策に出発。フェンス沿いの道を南へ100m歩けば登山口です。 (10:00) |
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黄色の鉄塔標識を確認して中電の№15を目指します。巡視路のプラ階段を登ると‥ |
№15鉄塔。潜って南東の登山道に入りました。5分歩いて南にプラ階段を登ると‥ |
№14鉄塔。南に展望があり小牧山86mが町並みで浮かんでいます。尾根道を南へ10分登ると‥ (10:15) |
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楽田山222m山頂。標高を170m上げました。眺望はありません。『周回3時間かかるの?』 山名板は「楽田山226m」「高根山222m」とバラバラ。ネットでは吉野山、調べましょう。(下段道草参照下さい) (10:35) |
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山名の謎をポケットに入れ、山頂から南尾根のシダ分けの登山道へ入ります。 |
2分で№12・№13鉄塔から来た道と合流。ここは直進し、南へ少し登ると‥ |
2、3分で要注意点の箇所。登山道は南西へ続くのですが、思い切って左へ降り、南尾根の踏み跡を辿ります。 |
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鞍部に着き、道なりに登ると方向は東向きになりました。 明るい台地状の尾根道に出ると周囲の樹木が焼け焦げています。思い出した。 2年前、吉野山で見た「山火事のおそれがあるので焚き火をしないで下さい」の注意看板。 注意看板が立てられる何年か前にこの辺りで焚き火から連続山火事が起きているそうです。 1回目も2回目も同じお爺さんが、焚き火をしたのが原因と聞きました。そんなことあるの? |
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尾根ピークから裸木の間に名古屋駅の高層ビル群が望めました。休憩後、尾根の先へ降りていくと‥ (11:00) |
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竹林を過ぎて峠に出ます。池野・楽田分岐。ここはどちらにも行かず峠道を横切り、南の高みを目指します。 |
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斜面には、はっきりした登山道はありません。木立の間を登っていくと数分で前が開け、シダを踏むと‥ |
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『お~!』 非日常の光景が眼前に広がります。 採石場でシャベルカーや大型ダンプが働くのを見ながらランチをとりました。 (11:25)~(12:25) 上の写真には映ってませんが、左方向800m先に←本宮山293m。 大休止後、2コマ前の池野・楽田分岐へ戻ります。 峠を右折して池野方向へ幅広の道を辿りました。 |
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以前から使われた道のようです。常緑樹に広葉樹が交じった雑木林で足元は快適なフカフカ街道です。 |
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左斜面に岩盤があり、先端が不思議な縦縞模様。岩石に詳しい博士に尋ねると『砂岩の堆積岩だよ』と即答。 もうこんなやり取りもできなくなります。やがて竹林になり、北方向に踏み跡を辿ると‥ |
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広い道に出ました。左折して大竹林に入り、突き当りを右折します。(TOP写真) こんな大規模な竹林に出合うとは‥博士も驚いて思い出ビデオカメラを回しています。 (12:45) |
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直径20㎝近い切り竹には薄氷。夏は、ここにボウフラが、、、、、『やだ、やだ』 |
『ひざプロクテターか!』と軽く突っ込んで竹林奥から北斜面へ登ります。 |
小さな流れを渡り、斜面を登ると‥ (12:55) |
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トラバースの踏み跡を追っていきます。小さな流れに出合い渡渉があります。(13:15) そしてトラバースの道。 |
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道ははっきり、コース一番の大木に出合いました。二人分のウエスト。今は葉がなく同定できません。樹皮は右のように固くサメ肌。『何ちゅう木かのう?』博士は、木は詳しくないようだ。 |
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大木の先に渡渉個所。渡るととてもいい道になります。 (13:40) |
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幹がY字に別れ、先でくっついた不思議な木。カメラを向けると『ほら』画伯が、御茶目に軍手を入れる。 |
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『え~コースやったのう』 夜は成田山近くで博士の送別会の宴があり、ビンゴ大会も楽しみです。 駐車地着(14:00) |
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右から野良人さん、Qちゃん、博士、大師(最高齢80歳)、画伯、山たまご、作家。私を除く6人の侍の平均年齢は75歳。夢はお達者俱楽部の仲間入り!! |
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東海岳行 |
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“山名三択” | |
今回登った低山の三つの山名を私は知っています。それは①吉野山、②高根山、③楽田山です。(右写真は、山頂で見た私製山名標) ①吉野山:この山を知ったのは10年前、「雲よりも高く」さんがこの山を登られHPで紹介されました。低山山行が中心でしたが、現在は札所巡りをされておられます。古い吉野山の山行は確認できませんでした。 私の記憶ですが‥「雲よりも高く」さんは、山名を御存じなくお調べになったか、尋ねられたかで吉野山という山名を記載されたと思います。間違っていたらごめんなさい。それ以来、、ネットでは吉野山で通っていました。私も2年前の岳行ノートでは吉野山と記しています。 山頂でこのことを話していたら歴史に詳しい博士が語りだしました。『昔、源氏が平家に追われた時、家臣に吉野氏がいてこの地へ辿りつきここを治めた。この辺りでは吉野姓が多く、吉野山になったのではないかのう』 ②高根山:今回、山頂にあった私製山名標で初めて知りました。裏にNanjyaMonjyaと記されていたので帰宅してネットで確認。ヒットしたのはヤマレコ2011年3月の記録です。下山後、集落の方に山名を尋ねると『よくわからんけど、昔から高根って呼んでいる』と現されています。 地元の方の言葉を尊重して高根山にされました。確かに山頂西方には高根洞の地名があります。山行でご一緒した犬山在住の画伯は『古い地形図では、楽田山になっていたのう』と仰る。その地図があれが解決ですが、昔所属していた山岳会ものなのか、今は手元にないようです。 ③楽田山:愛知山ならと「愛知アルプス山行記」さんのHPを訪ねました。『吉野山は「雲よりも高く」さんのサイトで教えていただいた』と記されています。注意書で「入鹿大池の図」に楽田山と記されているとあります。「尾張名所図会」という本にその図が載っているようです。 現在、潤光堂から復刻版が販売され、価格12,600円。これは買えへんと思いましたが、クールダウンした翌日にいい考えが浮かびました。『図書館だ!』 ところが犬山市と江南市には有りません。『尾張の大都市は一宮市だ』 一宮の駅ビルにある中央図書館にそれは有りました。 図書館で尋ねるとバックヤードから「尾張名所図会」の各巻を抱えて持ってきてくれました。和紙の本で糸綴じされ(上左)、最終頁に明治13年9月刻成(上中)、134年前で尾張の宝じゃないですか。「入鹿大池の図」は、後編第六巻で発見。入鹿池南東岸からの鳥瞰図です。(上右) ページ右上に入鹿大池と書かれています。核心部をアップすると‥(下) 写真では字が見にくいのですが、左が本宮山、右が尾張富士、本宮山寄りに楽田山と記されています。カシミールで確認すると位置関係は間違っていません。意外なのは尾張富士は、その頃からその名だったんですね。 山名は一つとは限らないので吉野山も高根山と呼ばれることもあったでしょう。今回は、この調査の結果で楽田山とさせていただきました。ところでこの道草最上の写真「楽田山226m」の標高が気になります。今の地形図では、222mで古い地形図の測定なんでしょうか。謎は残ります。 |