岳行ノート

廃村八丁(品谷山881m)/京都市右京区 

2014年4月24日(木)


八丁八幡宮への参道

(鳥居の上の階段に謎の石碑が転がる)


 廃村と聞くと、哀愁が漂い歴史ロマンを感じます。都の奥深い山地にある「廃村八丁」を知ったのは「ヒルがイル」の情報からです。

 ヒルがいるのは品谷山、廃村八丁、ダンノ峠? 調べて場所がわかりました。京都市右京区の北端です。我が家からは実に遠い。

 廃村八丁は、昭和8年〜9年にかけ大雪に見舞われました。陸の孤島となり凍死者が出て村人は、次々と村を離れます。昭和16年に全戸離村。


 「いそん・っちょー」って響きが良く、一度聴いたら忘れません。廃村跡を辿る山旅は、遠い。野良人さんを誘います。

 教科書は、草川啓三著・ナカニシヤ出版刊「極上の山歩き」です。参考書として「okaokaclub」さんのお世話になりました。
<駐車地>
[+]詳細図、[-]広域図、ドラッグスクロールで移動

大きい地図
  北陸自動車道木之本ICで下り、琵琶湖西の国道367号線を走ります。国道367号線梅ノ木バス停で右折し県道783号線に。


佐々里峠駐車地→▲品谷山→トラゴシ峠→八丁小屋→佐々里峠駐車地

※赤線はGPS軌跡  ●は主な分岐点

■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」


江  南:午前6時30分発  晴れ/10℃
駐車地:午前9時15分着  晴れ/12℃
往:2時間40分(八丁小屋まで、小休止含)
還:2時間20分(ランチタイム除く)
◆所要時間:5時間00分


 西へ走ること23q、佐々里峠です。石作りの祠前に駐車スペース。東へ来た道を50m戻れば登山口です。
(9:30)
急登すると防災無線中継所があり、「美山トレイル」のテープが巻かれています。

この品谷山(シナタニヤマ)へ続く尾根道は、昭和63年の京都国体に開かれた道です。
芦生杉の巨樹がいくつも現れ、それはそれは迫力があります。


 佐々里峠(ササリ)からアップダウンすればダンノ峠分岐です。往きは、右の「品谷山から廃村八丁へ」に進みます。
(10:05)


 尾根の斜面に真っ白なコブシ、ときどきイワウチワ。里は新緑ですが、ここはまだ裸木で見通しが良く開放的です。


 清々しい風を受けて品谷山山頂。二等三角点で樹林に囲まれ展望はありません。ピークハントできたので‥
(10:30)

山頂から7,8分、降るとブナの巨樹が陣取る鞍部です。
地形図では、ここが品谷峠なんですが、、ここから廃村八丁へ降ると難渋するそうです。
(10:40)

 もう一度コブを登降すると残雪がまだありました。今年は積雪が多かったようです。この先が‥

 品谷峠で道標が示しています。村の西端に出たいので西進しました。(10:50)


 年配の方が腰にナタをぶら下げ、道の整備中『後でお会いしましょう』『??』 尾根分岐で左へ曲折して降ります。
(11:10)


 「スモモ谷学校跡→」からの巨樹を見るとトラゴシ峠です。「廃村八丁(15分)→」の板標が木にあります。
(11:35)


 谷に移り、八丁川の流れ。左岸が廃村跡の西端です。左の潰れた小屋の村道を辿りました。
(11:50) 


 路傍でイワウチワが、歓迎の花びらを広げています。八丁八幡宮等を巡り、3度目の渡渉で左岸へ渡ると‥
レポでよく見るピラミッド型の山小屋が立っていました。
廃村八丁で建物はこれだけ。中から1時間前、尾根ですれ違った元気に出てこられました。
「廃村八丁の会」の村長さんと言われ、4/中〜5/中までこの八丁小屋に一人で滞在されます。

写真右の人は、右から品谷峠から着いた単独さん、野良人さん、村長さん。
ランチします。村長さんから興味深いお話を沢山伺い楽しかった! (道草に)
(12:10)〜(13:05)


 村長さんとお別れし、八丁川を遡って下山します。水は清らかですが、川床の苔で見た目は茶色です。

 川沿いを行くと形の良い落水の小滝に出合いました。落差8m程で左側の巻道を登ります。
(13:30)

 滝上には、ボロボロの木橋とゆるい補助ロープ。以前は、もっと壊れていたのですが、最近、村長さんが整備されました。
登りきると落差15m程の刑部滝(ギョウブ)が待ち構えています。
写真右方に黄色のテープがあり、登山道はそちらに続いているようです。ところが、、、
野良人さんが『こっち登れそうだ』と言い刑部滝の左斜面をホイホイ登る。え〜!私も続きました。

階段滝の3段目でギブ。左岸の壁を10m木の根をつかみ必死で‥

 登ると尾根端に着きました。
(13:55)

 危ない遠回りを終え、尾根を進むと道は左へ降ります。そこが四郎五郎峠からの道との合流点です。

広地に建つ同志社大学の山小屋新心荘は「進入禁止」の注意看板があり見るだけ。
前にあるトウヒの枯れ木が巨大です。新緑や紅葉期は、雰囲気が良いでしょうね。
(14:05)


 細い沢を追って北東へ歩きます。清流には小魚。踏み跡を登ればダンノ峠。10分休み北斜面を斜行します。
(14:25)


 尾根を10分、登り切った所で左へ曲折。植林ネットに沿って歩けば、3コマ目のダンノ峠の分岐標に出合います。
(15:00)


 佐々里峠近くの展望地。中央やや左、蓬莱山1174m。佐々里峠駐車場着。峠北側は京都大学芦生研究林
(15:25)


東海岳行
  “村長さん” 

 廃村八丁の事前調査で素晴らしいHPを見つけました。それは「廃村八丁の土蔵の歴史」、大変な労作で大作です。その中の「廃村八丁の詳細図」(下図)は、『これが欲しかった!』と思う貴重なものでコピーして山行に持参しました。お蔭でもれなく、迷わず、的確に散策できました。

 この道草でもいくつか画像をコピペさせて頂いております。感謝です。

 左地図で左上にあるトラゴシ峠より黒太線の八丁川を渡渉しました。



 丸木橋はありません。地図の道上方の「コンクリート製物置」は下左写真。

 この地は林業が盛んで材木や炭を作りワイヤロープ(下中)で麓に運びました。

 大勢の外国人労働者がいてコンクリートは物置でなく彼らのトイレです。※1


<トイレ?>※1

<尾根にあったワイヤロープ>

<石工が積んだ石垣>※2

 村内には、きちんと積まれた石垣(上右)が沢山見られます。岐阜の石工が匠の技で造り、今も崩れず残っています。※2  北側斜面に朽ちる寸前の鳥居があり、石段を登りました。途中、石碑が転がっています。 5戸5人の土地所有権が認められた記念碑で明治45年に建立。※3

 台風でなぎ倒された木が石碑に当たり、このように台座から落ちました。参道を登ると八丁八幡宮※4が祀られ、横にイワウチワの群生。キチンと手入れされています。(下中) 京大高分子化学の山小屋は、ぺちゃんこに崩壊。※5 健在だった頃、積雪対策に屋根の傾斜を強くした形です。※6


 <参道に転がる記念碑>※3

<参道の上に八丁八幡宮>※4

<崩壊した山小屋>※5

 3度目の渡渉の時、左岸に石仏の石祠。※7 渡った広地に八丁小屋。※8 品谷山の尾根道ですれ違った方は、私たちよりも先に品谷峠から小屋に降りていました。「廃村八丁の会」(会員数80名)の方で皆さんから村長と呼ばれています。

 ※2014年9月24日(水)「ナニコレ珍百景」にて八丁小屋放映。小屋は電気・ガス・水道は当然、未設。村長さんは佐野康比古(ヤスヒコ)さんでサラリーマンを退職以来14年間ここに来られています。御歳74歳、自宅は京都ですが『一年で8か月はここにいる』 仙人のような暮らしに満足げでした。

 小屋は、神戸の大学の山岳部が、40数年前に建てました。メンテされているので崩壊しないのでしょう。村長さんに下山道の様子を訪ねると『小滝横の木橋と刑部滝斜面の道は直しました』それはありがたい。


<在りし日の京大の小屋>※6

<川岸にある石仏>※7

<八丁小屋正面>※8

 村長さんのお話『今冬、9時間かけて来たら積雪が3mもあった。それで芽吹きが遅いが、GWになったら桜も咲き、団体ツアーも来る。このエリアには4頭のクマがいる。餌のドングリが不作の時は、八丁の会で山に撒いた。以前、ここは林業が盛んで製材所もあった。

 その会社が30年前、八丁小屋の前の学校跡に植林した。その後、輸入材に押され会社は撤退した。ケイタイは通じないけどラジオは聞こえ、今のニュースは知っている。1週間に一度八丁の会の人が必要なものを持ってきてくれるので困らない』
 ただただ驚きです。


 <在りし日の土蔵>※9

<土蔵跡(正面)>※10

<色々な所のマーク>※11

 八丁小屋前には土蔵がありました。※9 今は基礎の石が残るだけです。※10 その白壁には、東京銀座の絵が描かれ、誰が、いつ、何のために描いたか謎でした。「廃村八丁の土蔵の歴史」さんが見事にその謎を解かれています。

 登山道で道標や倒木の切断面にカタカナの「サ」のようなマークをよく目にします。※11 村長さんや八丁の会の人たちが整備した印です。村長さんの名前の一文字をデザイン化した会のマーク。整備活動に感謝。野良人さん『流石、京都の北山。最小限の案内標識やテープも新鮮でした』
 
2014.04.27(日)23:50