岳行ノート

青葉山 693m/福井県高浜町

2015年4月24日(金)


高浜町・濱見神社より休火山の青葉山



 福井県西で京都府と接する高浜町若狭富士と呼ばれる青葉山が海からそそり立っています。4月上旬のミスミソウ(雪割草)が有名です。

 花を目当てに登ろうと思ってたのですが、今年も時期を逃しました。良く考えたら青葉山という名前から想像すると新緑も良いのでしょう。

 ガイドブックでは、山頂付近にブナ林があります。400余種の花咲く植物の宝庫で4月下旬でも何か咲いているでしょう。ここは修験道の山。


 東峰と西峰間にスリル満点の吊り尾根があります。野良人さんと画伯を誘いました。昨年7月全線開通した舞鶴若狭自動車道を走ります。

 教科書は、山と渓谷社刊「改訂版 関西周辺の山250」です。
<駐車地>
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  大飯高浜ICで下り、県道16号線を北上してまず若狭湾城山公園へ行きました。濱見神社まで歩きTOP写真を撮影後、国道27号線で西進‥


高野駐車地→高野登山口→▲青葉山(東峰)→▲西峰→松尾寺→高野駐車地


※赤線はGPS軌跡 ●は主な分岐点

■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」


江  南:午前7時25分発   晴れ/16℃
駐車場:午前10時15分着   晴れのち曇り/22℃
往:1時間50分(山頂まで、小休止含)
還:2時間35分(ランチタイム除く)
所要時間:4時間25分

 国道の関屋交差点を右折、1km北上し高屋集落内の路肩に置車。スタートは、右の青葉1号橋を見送り直進します。
(10:20)

 奥左が青葉山、右のピークにTV中継所「青葉山 高野登山口→」の標識が、順路を教えてくれました。


 民家のブロック塀横から入ると登山口です。いささか汚れた絵図でコース全体が確認できます。
(10:30)


 竹林、植林地を登ると青少年旅行村から来た登山道と合流。左折し、丸太階段の道を行くと‥
(10:45)

 テレビ中継所に出ました。高浜テレビNHKの施設があり、若狭湾の展望も得られます。
(11:05)

 尾根をもう少し登れば、あずま屋の展望台。ここの眺望の方が、すっきりと東に広がります。
(11:20)

 右が高浜町の町並みです。中央に小さな島が陸につながっています。そこが朝、TOP写真を撮った濱見神社です。
 
 その左後ろの半島が大飯町で、左端に4月地裁で運転差し止め仮処分が出た関電の大飯原発があります。

今日は、道脇に春の花が咲いて歩くのが楽しい。
本日のビッグスターは左:トキワイカリソウ、右:オオイワカガミです。
林家パー子
が、頭に浮かびました。さすが花の山と感心するほど競って咲いています。


 緩やかになった傾斜の花道を登れば、金毘羅大権現の広場。


 ブナ林となりました。フレッシュな青葉がイルミネーションのように輝やく。これぞ青葉山

「馬の背→」と「迂回登山道→」の分岐に出ました。馬の背へ向かうと、、、
断崖絶壁で落ちたら逝ってしまう。幅があるので大丈夫。長さは十数mくらい。
南を中心に開け、関屋川と国道27号線が、高浜町の田園と集落内を通っています。

 東峰に近づくと恋の季節、ギフチョウが飛翔デート中です。何匹も飛んでいるのですが、落ち着きがない。ようやく止まってパチリ。

 693m青葉山東峰最高点です。バスツアーの20名が出発したのでイカリソウの横でランチ。(12:10)〜(12:50)

 山頂には青葉神社前宮の祠。太平洋戦争中は地元の生徒たちが、山頂に泊まり込みで歩哨に立ちました。

 腹が膨れたら、いよいよこの山の核心部東峰西峰の吊り尾根へ向かいます。

 古来より修験道が行われ女人禁制でした。尾根道は、くぐり岩や岩コブが現れます。『ここってヤバクねえ』

 心細い足場、ロープがあるのでいいのですが、600mの高度感は、『ハンパねえ!』

 梯子を登ったり降ったり、しっかりした作りなので安心です。

←岩壁に取りついた綺麗な植物。コケ?

野良人さんが『後ろを見て』 岩コブにスミレの花咲く宝塚。
 他にヤマルリソウハルリンドウクサイチゴ、タムシバ、シャガ、マムシグサ等々。


 西峰が近くなり、泰澄が修行したと伝えらる大師洞を潜ります。気の抜けないルートでしたが、『実に面白い』


 西峰松尾寺奥ノ院と休憩小屋が建ちます。祠背後の岩コブに道があり、難なく登れました。そこから‥
(13:30)
リアス式の内浦湾が箱庭のようです。海を臨める山は久しぶりでテンションが上がりました。
西峰東峰より1m低い標高692m。海抜ゼロからの高度なのでカモメよりいい眺めでしょう。
←景色の中に隠れ気味の関電高浜原発が見えます。(右中央)
1,2号機は40年間運転しましたが、20年の運転延長を申請。
3,4号機は福井地裁が再稼働差し止めの仮処分を決定。

 今寺への分岐を右に選ぶと、集塊岩で作られた燈籠。ここから京都と福井の県境になり、ジグザグと降りてゆきます。(13:55)

 舞鶴市に入ったり、高浜町へ戻ったり、急降がしばらく続きました。植林になり勾配が緩みます。竹林を抜け車道に出ました。

 松尾寺へ寄り道。創建708年で1300年を経ています。何度も火災にあいました。現在の本堂は1730年修築。

 お掃除のお婆さんに『本堂におあがり下さい』と勧めらる。靴も服も汚れているのでお礼だけ言います。
(14:30) 
お寺から山裾の舗装道を歩きます。車は殆ど通りません。
野菜畑では、農作業の人達。猿の食害に悩まされています。
『青葉山はどうでした?』と尋ねられ、『海の展望が素晴しく、いい山ですね』

昔、が多く常緑だったので青葉山の名だとか。ブナの青葉もいいですね。
右が東峰、左が西峰です。ここからだと富士山形ではありません。
素晴しい田園風景から高野集落に入り、複雑な狭い道のパズルを解けば駐車地です。
(15:25)

 
東海岳行
  “心のシンボル” 

 ポールの公演で大阪に行くことになりました。11時に家を出て新世界には14時着、車をモータープールに入れました。16時開場なので近くで昼食を取ります。決めたのは大阪の繁華街の一つ新世界、ひよこさんも行ったことありません。串かつのお店が乱立し、通天閣が建っています。

 この時間なら串かつのお店は空いているでしょう。お腹はペコペコです。店々の看板には「本家」「元祖」「本場」とうたって紛らわしい。昭和4年創業の元祖「串かつだるま」へ行きます。場所は中央通から横に入った狭い通りにあり、店内はこじんまりしてカウンター12席だけ。

 運よく2人分の席が空いていました。14時でこのようなら12時では外で並ばされたでしょう。ビートたけし赤井秀和の古い写真が貼ってあります。串かつは32種類あって選ぶのが大変なので二人とも「総本店セット」1400円を注文しました。串かつ9本と大阪B級グルメどて焼きです。


<串かつ屋乱立>

<元祖 串かつだるま>

<どて焼き>

 最初にどて焼き、甘味ですごく柔らかくペロリと食べました。ボウルに入った生キャベツは、お変わり自由。キャベツを手で持ちソースに付けて食べます。注意書きに「ソースの二度付けはご遠慮願います」知ってる知ってる。串かつにソースが足りなかったらキャベツですくってかけます。

 大将が揚げたえび、ホタテ、ウィンナー、しょうが、レンコン、もち、キス、つくね、元祖串かつが2回に分け出てきます。『ソースで』『塩だけで、何もつけずに』と大将の説明がありました。ウーロン茶を飲みましたが、隣人のビールが裏山四囲。次も串かつを食べたいと思うほど美味かった。

 満足の満腹で近くの通天閣へ向かいます。正面に「安心と信頼の日立グループ」の広告。大阪は松下グループじゃないのかな?高さが103mと今ではのっぽではありません。でも歴史があります。明治45年建設の初代通天閣は、太平洋戦争中の昭和18年に火災にあい解体されました。


<生キャベツ>

<串かつの揚げたてが並ぶ>

<大阪人心のシンボル通天閣>

 現在の通天閣は二代目で昭和31年完成の59周年です。入場料700円を払いエレベータで最上階5階の展望台へ行きます。黄金のビリケン神殿、足の裏をなでなで。足をなでるとどのような御利益があるのか知りませんが、あと10年は登山できる丈夫な足をくださいとお願いしました。

 ビリケンさんは、1908年に米国の女流作家が作り出し、幸運のマスコットとして世界中で流行し通天閣にも伝わりました。現在のは3代目です。今日は晴れで展望がとてもいい。昨年8月に登ったあべのハルカスが南東に1kmと近い。あちらは300mと3倍も高い、新人が上から目線だ。

 北西3.3kmには、これから行く京セラドームが銀色に光っています。この時ちょうど15時、きっとポール・マッカートニーは、あそこでリハーサルしてるでしょう。16時半の開場なのでボチボチ「大阪人の心のシンボル」通天閣に別れドームへ走ります。


<通天閣の守り神ピリケンさん>

<日本一!あべのハルカス>

<京セラドーム>

2015.05.04(月)00:30