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「瓢ケ岳」へは、5度来たけど登頂できたのは2回だけ。雪が多かったり、道に迷ったり、ヒルがいたりで退散しているからです。
今回は、登山を始めて間もないトミさんと二人で「奥瓢」までへ行き、帰路にガイドブックの「不動明王」を探し「不動岩」経由で降りる計画です。 トミさんは、今日で4度目の登山‥帰り道がちょっときついかも。
登山口→瓢ケ岳→奥瓢ケ岳→瓢ケ岳→不動明王→登山口
※本道から「不動明王」へ道は、私のイメージで実測ではありません。
※赤線は実測ではありません。
■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」 |
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紅葉狩りには遅い片知渓谷の「ふくべの森」駐車場に車を停めます。ここのトイレは、地元の人のお世話できれいです。ありがとうございます。
そこを少し下った左手に登山口があります。立派な林道から一歩中に入るとそこはワンダーランド‥ここの登山口の雰囲気は、お気に入りです。
(8:55) |
少し登って沢を渡り、丁寧に積まれた石段を汗ばみながら登っていきます。先導を任せたトミさんも調子は良いようです。 |
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表土が流されたのでしょうか、杉の植林の中を進みます。急登をこなし、1時間で「骨ケ平」と書かれた道標のある稜線に出ます。
(9:55)
そこまで来ると道は、なだらかになり足取りも軽くなります。頂上まであと1キロだ。 |
大展望の頂上です。人気ある山で今日も大勢の人がくつろいでます。でも遠くの峰々は、雲の中です。
ここにリュックをデポして「奥瓢」へ向かいます。
(10:35)
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50m(高度)ほど下って上り返すと「奥瓢ケ岳」、木の標識板を見過ごせば、通過してしまいそうな頂上です。「瓢ケ岳」とは、違った眺望が楽しめます。
(10:45) |
南側の眺望です。左から「誕生山」「天王山」「今淵ケ岳」と並ぶ美濃の山々。
トミさんが「虹だ」と言うので、北側を見たら虹が一瞬だけ出ていました。先ほど小雨が少し降ったから。 |
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さあ腹が減った。向こうにの「瓢ケ岳」に行かなければ食料がない。 |
戻ってきた頂上で、おでんとお握りのランチです。
隣の「高賀山」に傷のような林道のデザインが見えます。
(11:00)〜(11:50) |
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頂上から美並村方面です。
村の星宮神社より西に行った粥川谷からドンキ隊(名古屋テレビ放送終了)が、「瓢ケ岳」に登ったので私たちもチャレンジしたのですが、ヒルと沢の増水で逃げ帰ったことがあります。 |
帰りは「骨ケ平」から同じ道を戻り、20分ほどで往きに通った「不動明王」の分岐標識に出ます。
そこを標識どおり「不動明王」方向に進むとはしごを降りる箇所あり、この写真は降りた所です。前に進むと崖になり途方にくれますが、はしごを降りて、すぐ左後ろに下へ続く道があり、そこにも「不動明王」の分岐案内があります。
その分岐の近くにリュックをデポしました。 |
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細いけどはっきりした道を左に回り込むように進んで行くとこの突き当たりに出ます。写真の鞍部の右上にプレハブの小さな建物が見えます。あれが「不動明王」の本堂かな?
鞍部から紐が垂れています。「これで登るの?」よく見るとビニールホースです。頼るとえらいことになります。(えらい:名古屋弁で大変な)
後ろを振り返ると草の中、上の鞍部に行けそうな道があります。そこを登ります。
以前来たとき、茂った草でその道が見えずここで引き返しました。 |
鞍部に着くと見えていた小さな建物は、休憩所のようで振り返って山側を見ると奇跡のように岩壁に寄り添う小屋が見えました。
鉄階段を登り、鍵のない扉を開けると掃除の行き届いた部屋の中、岩に面した窓があり、そこに祭壇がありました。窓からすぐの崖のくぼみに不動さんが祭られていました。
静かで厳粛な気持ちになります。二人は、帰りの安全祈願をしました。 |
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先のデポした分岐まで戻り、大岩の転がる険しい道を慎重に降りていきます。 |
巨岩「不動岩」のそばに巨木がそびえる不思議の空間。以前来たときは、岩にしめ飾りがありましたが、今日はハーケンの跡が残るだけ。 |
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緊張の岩場下りが終わり、朝通った見覚えのある石積みの階段道に出ました。
残り紅葉の隣にトミさんの充実した顔「良かったなあ」でも疲労で震える足の筋肉は隠せない。
やがて登山口です。今日は30人ほどの人とすれ違いました。
(13:50) |
ホームページとガイドブック
4年ほど前、登山を始めて間もなくホームページで山の情報を得ることを覚えました。そのころお世話になったのが「よっせーの山彦通信」「せきすいの山遊録」「雲よりも高く」でした。お蔭様で岐阜の山々の知識が、吸収できました。
2001年3月、衝撃的なガイドブックに出会いました。新聞広告を見て新聞店から購入した西内正弘氏の「鈴鹿の山ハイキング」です。この本のおかげで初心者の私たちは、興味を持っていた鈴鹿に行くことが出来るようになりました。
現在は、つねろーさんの「ふみあとWEB」を欠かさず見ていますが、「山たまごの東海岳行」は、いつ「はてなアンテナ」に引っかかるのかな? |