2016年6月18日(土) 段戸裏谷原生林のブナ |
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6月10日に段戸裏谷原生林(きららの森:愛知県設楽町)でスズタケ(笹)の一斉開花が確認され、新聞やテレビで報道されました。 通常、ササは120年周期で開花し、その後、一斉に枯れるうと言われてます。伊勢神宮の遷宮より遭遇する機会が、はるかに少ない。 段戸裏谷は、愛知でも奥で我が家からも遠い所。行くのを躊躇していたら岳魚さんから最新情報が載った新聞の切抜きをメールで頂きました。 120年に一度という貴重な現象を見ようと入山者が引きも切らず、段戸裏谷の駐車場は連日満車状態とのこと。行動力ある方が多いのですね。 躊躇している場合じゃない、私も行きます。そして段戸裏谷の西3kmにある出来山(デキヤマ)は、未踏なので山行をすれば一石二鳥です。 |
<駐車場> ドラッグスクロールで移動 大きい地図 |
教科書は、山と渓谷社刊「新・分県登山ガイド/愛知県の山」です。 |
※赤線はGPS軌跡 ●は主な分岐点 ■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江 南:午前6時45分 晴れ/21℃ 駐車場:午前8時40分 晴れのち曇り/19℃ |
往:3時間05分(山頂まで、撮影・小休止含) 還:2時間20分(ランチタイム除く、) 所要時間:5時間25分 |
段戸湖東の駐車場は賑やか。釣り、登山、撮鳥、行楽、スズタケの花見客など。写真左方が森入口です。 (9:00) |
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早速、笹が茂っています。観光客に尋ねると『こちらですよ』親切にその場所まで案内してくれます。 |
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ポツンと咲いた小さな花一輪。数ミリの大きさで苦労して撮影。 少し先でカメラマンが撮影されてます。終わるのを5,6分待ち、私も撮りました。 ↓花はこの二か所だけ。スズタケは、左上写真のように稲穂形が茶色く乾燥しています。 |
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カメラマンが『茶色はダメ、紫ぽいのがいい』と的確なアドバイス。 その後、花が見つからず、咲き始めて3週間、もう終期かもしれません。 |
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西へ歩けばきららの森入口。10分の距離を35分のスローペースです。散策路は東海自然歩道。 (9:35) |
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林床は2m超のズタケに覆われていますが、散策路は大丈夫。湿原へ寄りましたが、花はありません。 |
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原生林で森の巨人に『お元気ですか』とタッチ。笹の花はなく、このブナの門を潜るときららの森にお別れ。 |
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森の出口から林道の十字路に降りると五六橋の道標。橋を渡り、未舗装の林道で西へ向かいます。 (10:35) |
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200m行くと木造トイレが建ち、東海自然歩道とここで分かれ「寧比曽岳→」へ。私は西進します。 |
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夏日の予報が当たり暑い。日陰を選び沢音に涼を求め歩きます。 今まで出来山へ来なかったのは、長い林道のアプローチが一因です。 スズタケのお陰で「こんなに楽しい愛知の130山」の未踏峰に来られました。 |
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道で吸水する黒いアゲハチョウ。名前を憶えてましたカラスアゲハです。 |
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森を出てから一時間、T字型三叉路の突き当りを左折。右端の指標「←出来山900m」 ここから舗装道です。 (1140) |
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林道が右カーブ、山頂間近まで延び、終点広地の国交省無線中継所。写真左端手前左に山道があります。 |
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待望の登山道をちょこっと歩けば出来山1052m頂上。堂々の一等三角点です。 展望はありません。無線中継局の北に回り込むと地形図の破線の道があるようです。 (12:05) |
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赤テープがあるので行ってみました。これは振り返ったところで右上が無線中継局です。 |
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赤テープは1本西の尾根でした。破線の尾根に着くと笹薮。スズタケは量が少なかく進むことができました。 |
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藪は消え鞍部に出て右し、踏み跡を行くと三叉路手前に出ました。25分の挑戦で林道歩きのストレスを発散。 (12;45) |
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20分歩くと牛渡橋。橋の日陰で清流を眺め、橋上ランチしました。 (13:05)〜13:30) |
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五六橋へ戻り、車止を超えるとスマホでスズタケを撮る女子。『ある、ある、ここにも』 スズタケ名人だ。 |
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段戸湖へ戻ると花見客は、まだ来ています。 岳魚さんからの書き込み、『120年に一度しか咲かない花なので当然見つけた人は、花と初対面、 どうしてスズタケの花と認識できたのでしょう』 まったく同感です、疑問が湧く。 スズタケは、珍しい笹ではなく各地で生育します。 群落が120か所あれば、毎年どこかでスズタケが開花する可能性がある。そういうことです。 駐車場着(14:50) |
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東海岳行 |
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“50年前の6月29日” | |
今年は、ビートルズの来日公演から50周年。彼らは半世紀前の1966年6月29日(水)、日本にたった一度、やってきました。東京オリンピックから2年経った高度経済成長真っ只中。公演先のハンブルグから飛んで来たのですが、台風で11時間遅れ羽田空港に午前3時44分着。 高校生の私は、7月3日(日)16:30から1時間、CBCテレビのモノクロ画面で見ていました。彼らを乗せた車が、暗闇の高速道路を白バイ先導で突っ走る。BGMの「♪ミスター・ムーンライト」を忘れません。この時、デビューして4年目でしたが、すでに世界的なスーパースター。 23歳(ジョージ)〜25歳(リンゴ)の若さ。記録では我が国のデビューは、1964年2月「♪抱きしめたい」、3月「♪プリーズ・プリーズ・ミー」となってますが、私がラジオで初めてビートルズを聴いたのは、確か後者の記憶です。それ以来、全ての曲を歌えるほど夢中でした。 翌日6月30日(木)から7月2日(土)の3日間5公演。当時、東京には、3000人キャパのホールしかなく、1万人収容可能な武道館が用意されました。不思議に思いましたが、武道の聖地でよく開催できたものです。 来日前年、ビートルズが英国王室からMBE勲章を授与され、彼らを英国の国家的音楽使節として位置づけたと特番で知りました。彼らの希望でチケットはLP一枚分の価格でS席2100円。私は公演を見に行こうとは、これぽっちも思いませんでした。 高校生が、新幹線で東京へ行くお金はありません。テレビを胸をときめかして待ち、ビデオなんて無い頃オープンリールのテープレコーダーをセットしてテレビにかじりつきました。前座のブルーコメッツの演奏やドリフターズのミニコントが終わり、彼らがギターを抱え登場します。 1)ロック・アンド・ロール・ミュージック 日本で人気でしたが、そのことを彼らは知っていたのかな。 2)シーズ・ア・ウーマン ポールにしては編曲が単調。もっといい曲あるのに。 3)恋をするなら ジョージは、この演奏スタイルが好きで「♪ヒア・カム・ザ・サン」でも聴けます。 4)デイ・トリッパー 楽器を重ねていく演奏ですが、この順序はスタンダードになりました。 5)ベイビー・イン・ブラック 地味な曲なのでどうして歌うのか謎でした。デビュー前に若くして亡くなったもう一人のビートルズの恋人を歌った内容で、その思いが強いのかもしれません。 6)アイ・フィール・ファイン ジョンのギターが聴かせる。 7)イエスタデイ ロックバンドですがバラードもいい。 8)彼氏になりたい リンゴも歌うぞ。 9)ひとりぼっちのあいつ 3声のアカペラが魅力。 10)ペーパー・バック・ライター 新曲、ベースの躍動感に驚愕。 11)アイム・ダウン ポールの高音シャウトが大迫力。 私はもちろん全曲知っていますが、大ヒットしたシングル曲が入ってない。「♪抱きしめたい」「♪プリーズ・プリーズ・ミー」「シー・ラブス・ユー」等です。レコードでは、演奏・歌・コーラスがめちゃうまいのですが、このライブでの技量はアマチュア並みです。 当時はわからなかったのですが、広い会場にもかかわらず小さなアンプとスピーカーでパワー不足。観客の声援が大きく彼らは自分の演奏や歌声が聴こえません。それでは勘で音の高さやリズムを取るしかない。またマイクの指向性が悪くハウリングを起こっていました。 おまけにアースが取れてないのかマイクに電流が流れ、ポールがビリッと感電して驚く。騒ぐだけの観客にうんざりし、手を抜いたのでしょうか。4人のほとばしるエネルギーが感じられません。1曲2分程度なので演奏は30分ほど、あっという間に終了。考えられない短かさ。 2100円のチケットならしょうがないか。そういえば昨年、ポールの49年ぶりの武道館ライブはS席8万円でした。38倍です。テレビ放映の翌日学校で友人とその話をしていると、、、 身長170p、クラスで2番目に背が高い彫りの深い女子が近づいてきました。私たちがビートルズを好きだということは知っています。彼女は学校に内緒で姉さんとビートルズの公演に行ったそうです。チケットは抽選でしたが2日分当たり、2公演とも見ました。 親がお医者さんなので可能でしょう。私たちにお土産の公演プログラムをくれました。『ありがとう』 いい娘です。今年9月22日(木・祝)映画「ザ・ビートルズ〜EIGHT DAYS A WEEK」が公開されます。1962年〜1966年の彼らを追った映像です。 キャバーン・クラブからキャンドルスティック・パークの映像が盛り込まれています。リンゴの名古屋公演10/25も発表されました。ベリベリ楽しみです。ビートルズの残した余韻は、今も私の心で永く響いています。 |