一乗城山 473m/福井県福井市 |
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2017年10月8日(日) 一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並にて |
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昨年、新聞に福井市の一乗谷朝倉氏遺跡が紹介されてました。百年にわたり越前を支配した朝倉氏は、1573年の戦乱でついえます。 遺跡の発掘調査は50年前から始まり、今も続きます。武家屋敷や町屋の町並みが復原され、イベントがありますが、昨年は行き損ねました。 城下町背後にある一乗城山には、往時の遺構が残り、まず朝倉氏の山城跡を辿ります。今年はイベントに間に合いました。 昔のままの山の自然を楽しんだ後に、城下町のテーマパークを訪れます。教科書は山と渓谷社刊「新・分県登山ガイド゙/h芟ァの山」です。 参考書は、福井県公式HP「一乗城山登山口」をチェックしました。 |
<駐車場> ドラッグスクロールで移動 大きい地図 |
北陸自動車道福井ICで下り、足羽川を東へ遡り、、、 |
一乗谷史跡公園センターP ↓ 下城戸コース登山口 ↓ 三万谷(林道)分岐 ↓ ▲一乗城山 ↓ 三角点 ↓ 宿直跡(ランチ) ↓ 八幡神社 ↓ 一乗谷史跡公園センターP ※赤線はGPS軌跡 ●は主な分岐点 ■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江 南:午前7時00分 晴/18℃ 駐車地:午前9時20分 晴/22℃ 標高差:(30m→473m)443m |
往:1時間55分(山頂まで、小休止含) 還:1時間40分(ランチタイム除く) 所要時間:3時間35分 |
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JR一乗谷駅を過ぎ、県道18号線で右折。1km走れば一乗谷史跡公園センターです。そこの駐車場に置車します。 奥に行き、右折。一乗谷川の上殿橋を渡り、左折して右岸を歩きます。 (9:40) |
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二つ目の橋を渡ると県道に出会いました。県道の西側、遺跡の下城戸跡(シモキド:高さ5m、長さ20m)を見学します。 巨石で築かれた城門です。県道に戻り、川沿いを歩き、80m北の‥ |
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向山橋で右岸に渡り返し、左折。あぜ道を60mほど行くと右にアスファルトが延びています。その道を進むと‥ |
下城戸ルートの説明板と「熊出没注意」の看板。奥に行きイノシシ除けのネットを開閉して入山します。 (10:00) |
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樹林が覆う薄暗い登山道を5分ほど登ると‥ |
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明るい鉄塔の切り開きに出ました。送電線が延びる北のピークは、二等三角点「篠尾」522m。 中央下は、足羽川(アスワ)に国道158号線の高架橋が架かります。 |
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二つ目の鉄塔を右に見て雑木林の尾根筋を登ると、やがて三方谷林道分岐。「山城まで0.4km→」と示す南へ足を運びます。 (10:55) |
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千畳敷分岐を分けると眼前に小山が現れ、そこが一の丸と呼ばれる曲輪です。広さは330坪の楕円形。 周囲には、空堀、竪掘、堀切があります。上には何もないそうで登らず迂回すると‥ (11:15) |
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二の丸が続き、次の三の丸手前で堀切を見ました。曲輪への侵入を防ぐため、尾根を切り通しています。 |
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最後の曲輪跡、三の丸は南北110mに延び一番大きい。ここが標高473mの一乗城山頂上です。 信長が一乗谷に侵攻した時、当主朝倉義景は越前大野に逃れ、山城は使用されませんでした。 日本百名城に登録されています。ここは展望がなく、来た道を二の丸まで戻り‥ (11:30) |
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西150mにある三角点を探しに行きます。リュックをデポ。いきなりの急坂を降り、薄い踏み跡、若干の薮を辿れば‥ (11:45) |
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5分ほどで三等三角点「松尾」436m。いつからでしょう‥三角点があると探したくなる性分になってしまいました。 (11:50) |
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何もないのですが一応、二の丸に登ってみます。やはり樹々が茂るだけ。往きに確認した千畳敷分岐から西へ降ります。 (12:10) |
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千畳敷跡は一番広い平坦地です。450坪あり、礎石が10数個露出しています。大規模な建物があったのでしょう。 (12:15) ※2023.9.11PM2h 千畳敷跡で21人中8人が、スズメバチに刺される。 |
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南隣の観音屋敷跡を過ぎ、宿直跡(トノイ)の広場に出れば好展望。一乗谷城下町、h苺ス野から日本海まで見通せます。 ここは見張り場でしょうか。展望ランチにしましょう。すると岐阜のソロの方が来られ、お話ししました (12:20)〜(12:35) |
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その展望ですが、、、右にh苺ス野が、黄金に色づいた田園風景を見せています。 左奥に先月登ったばかり、深田久弥の落書き探しが楽しかった文殊山366mです。 左下は、一乗谷の集落で一乗小学校が見えます。 |
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下山は千畳敷から西への降りです。丁度、団体さんが登ってきました。すぐ‥ |
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不動清水に出会います。左端にある不動明王の石仏の下から水が、湧き出ていました。ここが山城の水源です。 (12:40) |
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下山道は馬出ルート。こちらも道標はしっかりあります。 なお教科書紹介の下山道英林塚ルートは、2004年夏のh芻級Jにより崩落し現在は通行禁止です。 急な勾配を降ると岩に線刻された磨崖仏(マガイブツ)に出会います。 写真左端に地蔵菩薩。この後、小見放城跡を過ぎ、堰堤を迂回し、丸木橋を渡れば‥ (13:00) |
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馬出ルートの登山口です。馬出地区から登城する道で、大手道と言われてました。後ろの石垣は屋敷跡のようです。 林道に出て右折すると‥ (13:10) |
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八幡神社の鳥居が見えます。長い階段が抵抗となり、パス。 (13:15) 集落を抜ければ往きに歩いた舗装道に出合い、左折すれば駐車場です。体勢を整えたら遺跡巡り&復原町並へ行きます。 (13:25) |
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東海岳行 |
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“復原町並” | |||||||||
登山後は、一乗谷朝倉氏遺跡の見学。しかし朝倉氏って誰? その一族は、兵庫県養父市の豪族で応仁の乱(1467年)に武勲を上げ、一乗谷に本拠を移しました。以後、5代103年にわたり越前の中心として一乗谷は繁栄。しかし、1573年朝倉義景は、織田信長に攻められ大敗し自害しました。 放たれた火で城下町は、3日3晩燃え続け、武家屋敷、寺院、町屋は灰燼に帰したのです。一乗谷は、福井市の中心から東南10kmにあり、昭和42年から発掘調査が行われています。 お陰で400年間忘れられ土に埋もれていた中世の城下町はよみがえりました。日本のボンペイ! そして遺跡の四庭園は特別名勝指定され、出土品の2343点は重要文化財指定されました。 また7年前、ソフトバンクのCMがお父さん犬の故郷として紹介し、知名度が上がったようです。↑ 遺跡は一乗谷川沿いに全長3km。公式HPでは、じっくりコース(90分)、満足コース(60分)、らくらくコース(30分)。 全長300mのお手軽な満足コースを選択。春秋の土日祝には「戦国城下町再現」のイベントが行われます。今秋は、9/16〜10/15なので10/8(日)に来ました。 上の絵図で復原町並右Pは、週末は満車です。町並左に増設されたPは比較的空いています。(表示無し) 増設P→(唐門)朝倉館跡→湯殿跡庭園→諏訪館跡庭園→復原町並と満足コースを右回り。最初は遺跡のシンボル、唐門(下左)を潜ります
元は朝倉義景の菩提を弔うお寺の正門で江戸時代に設けられました。朝倉館跡は、広い敷地に十数棟の建物群が見られます。湯殿跡庭園は室町前期と古く、巨石の荒々しい石組は壮観です。諏訪館跡庭園を見学して車道を渡り復原町並へ行きます。入口に団子やアイスのお店があり休憩しました。 入場料は、安すぎの210円。堀に囲まれた武家屋敷、庶民の町屋などが建ち、四百数十年前にタイムスリップ。発掘された塀の石垣、建物の礎石をそのまま使い、往時をリアルに再現。イベントの「戦国城下町再現」は、中級武士と家来、商人、茶屋など様々な身分の人々が町並を彩ります。(下左右)
200mの幹線道路は、一見すると何の変哲も無い道です。敵が侵入して前方を見ると、道は先で突き当たり、左に曲がっている錯覚に陥り見通しできません。(下左) 守る側からは直線道路のように視界が開け、敵の動きが分かるのです。(下右) 摩訶不思議な道は、遠見遮断方式と言います。 今日はこれが確かめたかったのですが、秘密は復原された石垣の凹凸にあるそうです。当時の石垣を利用して高さ2mほどの塀を造り、初めて明らかになった景色。焼き討ちに遭った屋敷の石垣は黒ずんだままです。栄華を誇った一乗谷の歴史の一部ですが、一時間ほど触れることができました。
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