岳行ノート
        オガワジ
小川路峠 1642m/長野県飯田市

2017年10月30日(月)


透過光満ちる秋葉街道


 教科書のガイド本を見るまで小川路峠を全く知りませんでした。飯田市東部上村をつなぐ峠道で室町時代からありました。
 
 江戸時代、秋葉信仰が盛んになり、遠州秋葉山に詣でる多くの人が通ります。馬や人の背で生活物資を運ぶ物流道路でもありました。

 明治に秋葉街道と呼ばれるようになり、牛馬が1日100頭通行するほど。昭和に新しい道や電車が開通し、峠道は寂れていきました。


 ヤフーの地図ではこの道は、まさかの国道256号線? 地形図では標高1160mの金比羅様から先、点線国道として記されています。???

 レポが少なく実態が分かりません。紅葉見頃も不明で山勘で山行することにしました。教科書は、「東海・北陸の200秀山/下」です。
<駐車地>
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大きい地図
  中央自動車道飯田ICで下ります。国道256号線で南東の上久堅越久保(カミヒサカタ・エツクボ)へ。一番観音観世音堂を過ぎ‥


駐車地→金比羅様→汗馬沢→堂屋敷→火いる場→姫の隠れ岩→||■|→堂屋敷(ランチ)→駐車地


※赤線はGPS軌跡  ●は主な分岐点

■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」


江  南:午前6時40分   晴/14℃
駐車地:午前9時30分   晴/9℃
標高差:(1180m→1630m)450m
往:3時間45分(29番地蔵辺りまで、小休止含)
還:2時間00分(ランチタイム除く)
所要時間:5時間45分

 一番観音の立派なお堂から10分ほど砂利道を上ると金網の防護柵に出会いました。ゲートに鍵はかかっていません。開閉して車で進みます。

 1.5km走るとアンテナが立つ広地に出ました。まだ走れそうですが、ここに停車して出発します。
(9:45)


 林道分岐の簡易トイレや街道唯一の水場を過ぎます。水場近くに駐車地。そこなら往復20分ほど行程が短縮可能です。


 前述の一番観音に1759年、石仏が造立されました。小川路峠まで33番の観音様が道しるべ、ここは10番観音です。


 こんな痩せ尾根もありますが、轍はまだ続いています。11番観音を過ぎると‥
 南斜面に伐採地があり ↑恵那山が望めます。作業車は、この辺りまで来れたのでしょう。地形図の国道256号線は、ここからが点線国道です。山腹道で伐採地を行くと松の下に金比羅山の石碑。
道は細くなり、車の通行は困難です。 (10:25)
 
街道は物流道路なので尾根を辿らず、起伏のない斜面を刻んでいます。歩くのは楽チン。
道は日当たりの良い南斜面にずーっと続き、紅葉は透過光を通し、まるでステンドグラスです。
全山紅葉の情景はダイナミックですが、間近に見る透過光の紅葉は1本でも美しいと思います。

 山腹から時々勾配のない尾根に出ます。ここは汗馬沢。最盛期、4,5軒の茶店が建ち、昭和20年代まで人家がありました。

 周囲に石積、窯跡や畑の名残を見ることができます。この先で17番観音を過ぎると‥
(10:45)

 さらに道が細くなり突然、枝で組まれた通行止のバリケード。直進不能ですが、左後ろに造られた迂回路が登っています。

 下を覗くと登山道は崩落していました。迂回路の階段は、木の切り口が新しい。最近の台風で損壊して手早く修復したのでしょう。さすが国道!?


 沢音が聞こえました。長さ5mの小滝があります。降りるか迷いましたが、今まで撮影に時間を取られているのでカット。 

ジグザグと斜面を登る道になり、上にヤマナシの古木が頑張っています。
ヤマナシは、果実として栽培される和ナシの野生種です。


 どんな実だろうと、足下を探すと3cm位の小粒な実が結構転がっていました。かじるとナシの味はしますが、超渋い!


 20番観音を見て尾根の堂屋敷に登り着きます。平坦地が点在し、昭和初期までここで水田の肥料の石灰を焼いていました。
(12:00)


 尾根の堀道を登ると「木地師の墓→」の指標があり寄ってみます。2分で小ピークに登り、寛政・安永と刻字のある墓石列。
(12:35)

戻って尾根に出れば、そこは「火いる場」又は「火ぶり場」 その地名の由来は定かではなく‥
@ヤマヒルが多くいる所、A道中の人がお昼を食べた場所、B合図の火を振って知らせた所、
と諸説有り! 再び尾根のジグザグ堀道となり、26番観音に会えば‥
(12:40)


 展望地‥北に中央アルプス南駒ヶ岳2841mと空木岳2864mが、中央に集まっています。里は天竜川流れる松川町。
(12:55)


 そして「姫の隠れ岩」の岩場の崖道。案内板はあってもどちらのお姫様かの説明板がありません。
(13:10)


 そこから西に眺望が有り、右奥の丸いピークが恵那山2191m。麓は、名勝天竜峡です。

 時計は13時15分。ランチは、まだ。15時30分までに下山したい。コースタイムは5時間半でしたが、出発が遅かった。

 撮影やら寄り道もした。山頂は、中央・南アルプスの展望台とのこと、残念ですが戻ります。

しかし紅葉パラダイスは、想定外の美しさで充分に楽しめました。
35分頑張って歩き、堂屋敷でランチ。ピストンなので道ミスはありません。
(13:50)〜(14:10)


 紅葉のトンネルの向こうには、愛車がアンテナの脇で待っています。
(15:35)

 
東海岳行
  “たこ焼きマジック” 

 11月、ひよこさんと大阪に行きました。「粉物の聖地」食い倒れの町です。その食文化の代表格が、たこ焼きではないでしょうか。たこ焼きは、80年以上前に誕生し庶民に愛されています。私は子供の頃、お好み焼きが大好きでしたが、たこ焼きを食べた記憶がありません。20代の時は食べていました。

 昔、出張で大阪に行き、本場のたこ焼きを初めて口にしました。外カリカリ、中トロトロ。アチチ桃山時代! 融けた鉄かと思うほど熱かった。今も衝撃は鮮やかです。大阪府にたこ焼き・お好み焼き・焼きそばの粉物店は何と2850軒もあるそうです。こんにゃく、しそ入りなど具材も様々。


<道頓堀川>
 <道頓堀筋の浮世小路>
<強烈な行列>

  味の決め手、出汁も鶏ガラ・昆布・かつお等お店の数だけあります。3時間走り、お昼に道頓堀に到着。(上左) 今日は祭かと思うほどの人出。8割がアジア系のツアー客、若者中心の集団に圧倒されます。LCC便の増加で関西国際空港のアジアからの入国者数は、成田空港を上回ったそうです。

 ドンキマツキヨの袋を持つ人は、どんなお土産を購入したのでしょう。丁度ランチタイムでラーメン・貝焼きなど飲食店は彼らに占拠されています。私達も早く食べたいので、強烈に列のたこ焼き屋は諦めます。(上右)  「たこ焼き十八番」に並びましたが、5分ほどで購入できました。(下左) 


<たこ焼 十八番>
<天かすをまとわせる>
<カリカリ、サクサク>

 生地は牛乳を加えて粉っぽさを消し、クリーミーな食感。粉末の小エビ天かすを外側にまとわりつかせる焼き技が決め手です。天かすと相性の良いを頼みました。(10個500円:上右) たこ焼きに爪楊枝2本をさし安定させて食すると驚くほど外はカリカリ、小エビのエキスが口に広がります。

 2年前開店の「たこ焼き 踊りだこ」(下左) 店左端にある券売機で食券を購入するのが珍しい。小型のイイダコを丸ごと1匹使い、足が飛び出てインパクトがあります。(下右) 4個500円と高いのは仕方ない。甘めのソースで身は柔らか顎はくたびれません。大阪市はタコ消費量日本一を誇ります。


<たこ焼き 踊りだこ>

<4個500円!>

<イイダコが飛び出ている>

 道頓堀を離れ、車で少し離れたアメリカ村へ行きます。ミュシュランで紹介された「甲賀流」(下左) ブラックペッパーソルト&マヨネーズで10個450円。山椒からヒントを得て塩・胡椒レモンをかけます。個性的な味ですが、大阪は色々考えます。こういうスパイシーなたこ焼きも有りですね。

 明治時代に洋食文化が流行り、たこ焼きの原型ができました。昭和初期会津屋明石焼きをヒントにタコを入れたところ大人気。当時、ソースは一般的ではなくソースは塗らず出汁を入れた生地を味わうものでした。取材に来た芸能人の写真が掲示されていて浜ちゃんがここに来ています。(下右)


<たこ焼き 甲賀流>
 <ブラックペッパー・ソルト&マヨネーズ>
<小池徹平と浜ちゃんの写真>

 おなかにかなりの数のたこ焼きが入っていますが、折角なのでもう一軒寄ってみましょうか。たこ焼きマジックの発祥の会津屋に行きたかったのですが、中心街より少し外れています。ひよこさんが、拒絶顔なので割愛しました。

 お店のメニューは、日本語はもちろんですが、英語・中国語・韓国語も対応していて大阪は、すっかり国際都市です。
 2017.11.06(月)23:55