秋葉山 885m/静岡県浜松市 |
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2018年1月10日(水) 秋葉神社境内より (南の展望は、残念賞) 日本古来の神社は訓読みで「アキバジンジャ」、お寺は音読みで「シュンヨウジ」が一般的です。 |
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我国は、山岳信仰が盛んで、今まで色々な地域で登山して体感しました。きっと48都道府県に霊山があるのではないでしょうか。 静岡は、当然富士山が霊山のトップスター。浜松の秋葉山山頂に建つ秋葉神社は、全国800社の総本宮で「秋葉山本宮秋葉神社」です。 創建は和銅2年(709年)奈良時代、1309年の古刹。火防(ヒブセ)・開運に御利益があり、大火の多い江戸から参詣者が列をなしました。 秋葉神社を訪ねピークハントします。まだ松の内、ご利益を祈願しましょう。教科書は、山と渓谷社刊「名古屋周辺の山200ベストコース」です。 |
<駐車場> ドラッグスクロールで移動 大きい地図 |
新東名高速浜松浜北ICで下り、国道125号線〜国道362号線で北上します。 |
秋葉山表参道駐車場 ↓ 九里橋 ↓ 鉄塔 ↓ 秋葉寺 ↓ 秋葉神社 ↓ ▲秋葉山 ↓ 境内の秋葉茶屋 (ランチ) ↓ 三等三角点 ↓ 秋葉山表参道駐車場 ※赤線はGPS軌跡 ●は主な分岐点 ■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江 南:午前6時35分 晴/0℃ 駐車場:午前9時10分 曇り時々晴/3℃ 標高差:(108m→885m)777m |
往:3時間分(885m最高点まで、小休止含) 還:2時間00分(ランチタイム除く) 所要時間:5時間25分 |
気田川の秋葉橋を渡り左折。500mほど北へ走り、左の広い秋葉神社表参道駐車場に置車します。車道を北へ。 (9:35) |
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200m先の分岐を右に取り、表参道の起点、赤い九里橋を渡ります。石畳の急勾配が厳しい。5分で登り切り‥ |
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東屋で左折すると東海自然歩道の道標が立つ海抜160mの5町目「三の鳥居跡」。60町目が秋葉寺710mです。 ここから石畳は消え、地道の参道になりました。 (9:50) |
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まず尾根を目指し、急斜面に切られた小石混じりのジグザグ道を登ります。滑り止めに木材が埋められ歩きやすい。 |
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尾根に出てミニ鳥居と立て札が示す、13丁目「もみじ茶屋跡」です。 名残の石積みと平地。参道には茶屋跡がいくつもあり、往時は参詣者で随分賑わったようです。 (10:20) |
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小豆坂、十八丁茶屋跡、賭場のあったチョボイチ平を過ぎると廃屋の富士見茶屋跡。昔は景勝地で人気の場所でした。 昭和18年の山火事で茶屋は全焼。家主は住居だけ再建しましたが、昭和62年高齢のため山を下りました。 (11:00) |
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やがて32町目、安産祈願の「子安地蔵尊」。大願成就すると底を抜いた杓を奉納します。すぐこの先には‥ |
送電鉄塔の展望地。このコースで唯一富士山を見られる場所です。北東に眺望が開けています。雲が多いのでどうかな‥ (11:15) |
期待の富士山は右端奥。雲でぼやっとしていますが、目では確認できました。ズームして画像補正すれば→、中央奥ピークが、2000本のアカヤシオが迎える岩岳山1369m。 |
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37町目信玄岩640m。信玄が、ここから6km南の光明山540mで陣を敷く家康に矢を射たという伝説があります。 この辺りは、武田家と徳川家が勢力を争った境界線です。 (11:35) |
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秋葉寺710mの寺門。江戸時代中期は,山頂に伽藍がありました。明治5年、神仏分離。 秋葉寺は堂宇を封印され荒廃。明治13年、地元の願いでに山頂に秋葉神社建立。 中腹にこの秋葉寺。奥の本堂まで進み、参道に戻ります。 (11:55) |
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木陰に雪が現れてきました。ここは江戸時代(1798年)、甲州の人々が寄進した銅鳥居「五の鳥居跡」です。 今は基礎部分と立て板右、朽ちた2本の柱が残るだけです。 |
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参道沿いには、杉の巨木が並ぶようになりました。境内の巨木は、500本と推定されています。 樹齢:220年〜400年、樹高:30m、幹周:6.5mの名木を見ると‥ |
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「火坊秋葉神社」の随身門と呼ばれる神門です。昭和18年の大火で類焼を逃れました。 秋葉山として栄えた江戸時代のおもかげを残す唯一の建造物です。 屋根下の周囲には、精巧な彫刻が施されています。 (12:25) |
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尾根南端のもみじ茶屋跡から緩い傾斜を辿りました。そしてとても広い秋葉神社に到着。 神社も山火事で焼失し、所和61年に現在の山上祭殿が再建されます。12月の火まつりは有名です。 境内では、巨大な火打ち石、清めの砂、金色のおみくじ、皿投げなどを体験できます。 この鳥居は「幸福の鳥居」と呼び、平成5年の皇太子殿下御成婚記念に建立されました。 場違いな色に思えますが、江戸時代、井伊家より金剛鳥居の寄進があったことに因みます。 山頂最高点は、本殿裏のピークにあるので‥ (12:35) |
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境内を時計回りで本殿裏に歩きました。車払所右から踏み跡を辿ります。最高点に赤い布が巻かれていました。 (13:00) |
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その後、整備された西の参道を行くと新しい神門です。平成21年御鎮座1300年を記念し建立されました。 400m降ると近道の駐車場。参拝者は、全国から消防・火力発電・調理師など火を扱う仕事の人達が来られます。 |
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本殿に戻る途中、秋葉茶屋でランチしました。各種お土産が試食でき、思わず「お茶のとも秋葉豆」500円を購入してしまいました。 |
名物、大しいたけそば&もみじ田楽1010円を『いただきます』 満タンになったら下山。 (13:15)〜(13:50) |
うっかりして秋葉寺の南にある三角点分岐を通り過ぎました。しょうがない力技で斜面を登り三等三角点を訪ねます。 (14:35) |
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信玄岩を過ぎると、バリバリ音。参道をオフロードバイクが走る?『マジ!』避けるとヤマハ製バギーカー。 ナンバープレーが付いてない。思い出した! 秋葉寺の車庫にあった。お寺で使う木ノ葉を鉄塔で採取しています。 |
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表参道の常夜灯は、江戸時代(1850)開帳時に奉納されました。 ←金原久右衛門さんが寄進されたので頭の字は「金」です。 駐車場着(15:45) |
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東海岳行 |
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“上り下り” | |
今回は、2Q13さんから書き込み頂いた「道草」です。 ラジオやTVの道路交通情報では『東名高速上り線、●●IC付近で3kmの渋滞』と放送されます。東名高速の場合、東京方面が上り線であることは分かります。では他の高速道路はどうでしょう。中央高速は東京行きが上り線であることは想像がつきます。 名神は? 東名阪は? 伊勢湾岸は? 東海縦貫道は? 北陸道は? YAHOO!の知恵袋には‥ 日本の国道は、「基本的に」東京日本橋の「日本国道路元標」を中心に、東京方面側が起点、東京から遠ざかる側が終点になっています。これは、高速道路も同じです。 東名高速道路の場合、東京ICが起点・小牧ICが終点で東京に向かうのが「上り」、小牧ICに向かうのが「下り」になります。「基本的に」と記述したように例外も少なくありません。 例えば、北陸自動車道は、起点が新潟中央IC(JCT)、終点が米原JCTですが、「上り」が米原方面、「下り」が新潟方面になっています。 これは福井・石川・富山の北陸3県にとって関西に向かうのが「上り」になっているからです。 長岡JCTでは関越道が本線なので「上り」「下り」にせず、起点・終点です。東京方面に向かうのが「下り」になって混乱を招くことが理由だと考えられます。 また、@東名阪道〜A名阪国道〜B西名阪道と続いてますが、A名阪道路の終点・天理ICを境に‥ A名阪国道は、名古屋方面が「上り」 B西名阪道は、大阪方面が「上り」になっています。 一般国道でも、国道122号線のように、東京都が終点になっている路線もあります。 国道122号線は混乱を避けるため、交通情報の案内では起点の日光市に向かう方を「下り」、東京方面を「上り」と呼んでいます。自分が住んでいる地域の道路すら「上り」「下り」がわからない。他の地域に行けばなおさら分からない。 『上り線、●●IC付近で3kmの渋滞』と放送されても全く意味を持たないと思いませんか。中には『名神高速の京都大阪方面の下り線、米原IC付近で‥』と丁寧に放送される場合があります。この表現なら理解できる。全国的な統一基準にして頂けますよう熱望します。 2Q13さん、ありがとうございました。さて山たまごが、登山を始めて知ったことは、川の右岸左岸が上流から見て右か左かで決められることです。ところで京都の右京区・左京区は地図で見ると左右が逆になっています。 北に天皇がおられるので天皇から見て左右が決められました。また都に行くことを上京、地方に行くことを下ると言ったりします。関西のお笑いを「上方漫才」「上方落語」と言いますが、昔は京都が首都だった名残ですね。 では、鉄道や地下鉄はどんなルールがあるのでしょう? 話しが長くなるのでこの辺りでお開きとさせて頂きます。 |