木曽川の土手には、春先になるとすごい量のつくしが生え「つくし林」 状態です。そしてそれを狙うハンターで大賑わいとなります。 つくし狩の子供達は、自分が見つけた場所に生えているのが一番カッコいい。ひっきりな しに 「お母さん!こっち、こっちの写真とって~」 「お母さん!そっちよりこっちの方がたくさんある!!こっちとって~」と大騒ぎ。 こうして春は、故郷をやさしく包んでいきます。 (写真:kero) |
|
さて県道58号線を北上し、関市と合併した武儀地域に入りました。そして津保川の支流、轡野川(クツワノ)を遡ります。 ちょっと寄り道をして大岸壁の中腹にある「乳岩神社」を訪れました。ご神体の岩が女性の乳房に似ていて、母乳の出ない人に霊験があるそうです。我が家の需要期は終了しています。 道が狭く坂を降りてきた対向車が、私たちを見つけ急ブレーキをかけ静けさを破りました。 |
|
再び轡野川を遡ります。この白山神社から1キロ進めば駐車地です。資材置場前の空き地の隅に置車させてもらいました。 | |
林道を出発するとすぐ「権現山」と「乙女滝」の分岐表示です。空は曇りですが、気配は春でアイゼンもスパッツももう要りません。 (8:40) |
|
林道沿いに炭焼き窯がありました。この場所なら作業効率がよさそうです。今は、火が入っていません。 | |
5分ほどで林道が終わり、荒れた地道を少し進みます。登山口は、明確な道標が教えくれました。小沢をわたり斜面に取り付きます。 (8:50) |
|
これが急坂で尾根まで10分間の辛抱登りです。 | |
尾根に出てしばらく行くと展望地があります。対面の大岸壁が眼に飛び込んできました。 この山は、岩塊の山だと知らされます。あの稜線を右に進むと目指す山頂です。 |
|
要所にこの彫字の道標があり、迷うことはありません。松が目立ち針葉樹、広葉樹、常緑樹の雑木林を登ります。 | |
頂上につながる稜線が近づきました。植林の急斜面をひと登り。 | |
峠の手前に『ここは井戸(雨乞池)』の案内板があります。単なる水溜りにしか見えませんが、昔はここで祀り事が、行われたのでしょうか。石積みが向うに見えます。 (9:25) |
|
主尾根の峠では、樹間に北側の集落が望めました。ここで急登は終わり、いくつかのピークを越えれば頂上です。 |
|
イワカガミの葉が見られました。楽勝の尾根道と思っていたら‥ | |
最後に頂上手前でV字谷があり30mほど急降しなければなりません。『やれやれと‥』 | |
そして頂上に到着。丸太のベンチセットが快適な大休止を約束してくれます。二等三角点にタッチしてから落書帳を見ました。 10時ではまだ早いけど[頂上=ランチ]の公式によりラーメンランチです。 (9:55)~(10:45) |
|
南側が切り開かれて眺望があります。 『9時以降晴れ』の予報でしたが曇りで「鳩吹山」「明王山」「金華山」などが、霞んで見えました。 |
|
ランチも終わり、彫刻刀で丁寧に彫られた手作りの道標通りに下山します。 | |
帰り道は、道筋がわかりにくいのですが、しっかり道標があるので迷うことはありません。この時点では、単調な降りが続くと思っていましたが‥。 | |
往きと違い帰路は、谷沿いの道です。轡野川の源流の表示を見て降りていきます。ひよこさんは、濡れたニュル橋がいやで沢渡りです。 | |
湿った環境なので苔も繁栄しています。 | |
右に左に大絶壁が現れ、こちらの登山道は中々ワイルドです。そして気が抜けません。 | |
突然、デッキがある人気の無い家の庭を抜けます。写真左に1,2分進むと‥。 (11:45) |
|
小滝「乙女滝」が、隠れるように流れを落としていました。先ほどの家に戻り、舗装道に出ます。 ※「山遊 LIGHT TREKKING CLUB」さんからメールをいただきました。あ5分ほど上流に「乙女滝」があるそうです。10mの滝と聞いていましたので2mでは小さくておかしいと思っていました。写真右手の沢入口に案内板があったので早とちりしました。(2/26) |
|
林道を歩くとホダ木が列をなしています。こんなにシイタケは食べられないなあ。 低山ですが、周回コースは変化があって楽しい山歩きができました。 手の入ったコースに温かみを感じながら駐車地まで歩きます。 (11:55) |
|
有志七人で登山道整備 頂上の落書帳に表題の新聞記事2004年2月17日(火)が貼ってありました。 この山には、年間約50人の登山者が訪れているそうです。そこで安全登山のため、地元武儀町の森さんを中心に有志の方が立ち上がったのです。 ヒノキの間伐材やクリの丸太で案内板を手作りし、それを12ケ所に設置しました。そして枝打ちをして登山道の整備もされたのです。ご苦労様でした。 森さんは現在65歳です。今も登山道の手入れを続けられています。ありがとうございました。お陰で私たちは、安心安全な登山ができました。 新聞に紹介されてこれからこの山は、沢山の人が訪れるようになるでしょう。 落書帳を読み終わり、いい山だとかどうだとか言うことはできないと思いました。どの山もその山を愛する方たちが、登山道を整備されているお陰で登山ができるのだから。 ※「山遊 LIGHT TREKKING CLUB」さんに中日新聞2005年2月26日(土)の記事を見せていただきました。有志七人の方は、昨年に続き別コース(谷コースと思います)に案内看板を設置され、周回コースが完成したのです。来年(2006年)以降は、山の地名や木の名前の看板を設置されると記事に書かれていました。 期待しています。 |