岳行ノート

        かみのせんげんやま                    
上の浅間山 519m/愛知県新城市

2019年2月13日(水)


山頂に並んだ祠


 1月中旬、インフルエンザA型にかかり、1ヶ月後にようやく身体からウイルスがいなくなった感じになりました。その間全然歩いていません。

 3日間ウォーキングしたら、まず1時間半くらいの低山から。山友の2Q13さんに教えて頂いた新城市公式HPの登山マップを見ます。

 全10コースから昨年1月「獅子ヶ森〜文珠山」を歩きました。今回は上の浅間山を選択。観音橋登山口から登ろうと思っていたのですが、、、


 新城市本長篠駅から国道257号線を東へ。駐車予定の道路スペースにポールが建てられ停められません。道の駅鳳来三河三石へ向かいます。

 教科書は、新城市公式HP「新城市の登山マップ/上の浅間下の浅間コース(pdfファイル)」のお世話になりました。
<駐車場>
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大きい地図




道の駅:鳳来三河三石
駐車場


矢田橋登山口
(防獣網扉)

林道横断

牛馬安全石物

上の浅間山

山王バス停分岐

林道横断

道の駅:鳳来三河三石
駐車場


※赤線はGPS軌跡
●は主な分岐点


■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」


江  南:午前07時40分   晴れ/3℃
駐車地:午前10時15分   晴れ/8℃
標高差:(110m→519m)409m
往:2時間30分(山頂まで、小休止含む)
還:1時間35分(ランチタイム除く)
所要時間:4時間05分


 道の駅「鳳凰三河三石」に駐車させていただきます。前の国道257号線を右折。北西に500m歩き‥
(10:45)

 黄柳川樋橋手前で国道を左折します。右岸を300m弱行き‥

 水色の矢田橋を越えると防獣柵が森を囲んでいました。


 角にある防獣網扉は果樹園用です。その南隣に電柱が立ちます。下の網扉を開閉して森へ入りました。
(10:55)

植林地の古い道をゆっくり登っていきます。


 網扉から10分ほどで斜面に取り付き、尾根方向に左折。尾根に乗るかと思うと、道は右山の山腹を辿ります。


 丸太橋を渡ると登山道は尾根のツヅラ折り。標高を上げると道は広くなり、倒木は枝打ちされ整備されています。
(11:25)


 露岩が多く、シダを分け辿りました。数ヶ所二股の分岐に出会いますが、幅広の道を選択。すぐ上で合流します。

しばらくすると尾根を避けた山腹のはっきりした良い道です。
昔は、ここを牛馬が通ったように感じます。
(12:00)

 気分良く古道を行くと地図にない林道に出会いました。写真中央は造成中の林道で、頂上方向へ向かっています。

 林道歩きは退屈なのでここを横断して写真右端の尾根道へ入りました。
(12:15)


 2分後に再び造成中の林道を横断。5分ほど小休止して歩くとここで三度目の林道横断。尾根はずたずたですね。
(12:35)

尾根のコブに登ると教科書の地図にあった「牛馬安全石物」
四角い石積に囲まれた石祠です。やはり昔は牛馬が通った道でした。
何処から何処へ何を運んでいたのでしょう。
(12:50)


 石物から数分尾根を進むとヤブがひどくなりました。堪らず左下に見えた林道へ逃げます。そこを南東へ歩くと‥

 150m先、右にこの案内板。右折すると30mで尾根道に出合い左折します。
(12:55)


 勾配が増し辛くなる。2時間以上歩きました。「山頂まであと10分すぐそこ」の激励板。信じて10分登ると‥

広い(カミ)の浅間山山頂519m。右は「富士山の覗き穴」のパイプで北東を向いています
奥の山頂標に登頂記念帳ポストや富士山展望写真の掲示。
予定より長いコースだったのでリハビリ登山はきつかった。ここでランチします。
(13:15)〜(13:50)

 これが富士山展望写真で右下に2011/.01/03の表示。確かに山頂から撮られたもので「富士山の覗き穴」から見た構図です。

 そして同じ方角で撮影しました。今日は快晴にもかかわらず、115km北東の富士山は望めず残念。山頂は愛知・静岡県境です。


 TOP写真のように12基の立派な祠が並びます。ここは地元には、古くから大切な場所だったと想像できます。

 樹間から南東に浜松市引佐町竜ヶ石山359m。奥は浜松市街。山頂から25km先の太平洋は見えるでしょうか。

 (シモ)の浅間山は往復40分。道中、愛知県側の展望があるのですが、リハビリなので峰探訪は止め下山します。


 いつもなら下の浅間山にも行きますが、少年老いやすく岳なりがたし。6コマ前の案内板から林道を歩きます。
(14:00)

 往きに、2時間くらい登り、身体が重くなりました。山頂で休憩したので下山は軽快。しばらくは低山俳諧ですね。

防獣網扉(15:10))
道の駅駐車場着(15:25)

 
東海岳行
  “貯古齢糖” 

 今年のバレンタインデーは、好評のうちに終ったようです。チョコレートを女性が男性にプレゼントする制度が定着したのはいつごろでしょう? 確か40年以上前、義理チョコを貰った記憶があります。

 チョコメーカーが、超絶的に力を入れるイベントです。そのため売上げは、年間の1/4も荒稼ぎます。私自身、チョコは甘過ぎ大人になった今は必需品とはいえません。

 話は変わりますが、子供の頃の風呂屋で飲んだコーヒー牛乳コーヒーとの出合です。20代になると、小さじ2杯の砂糖を入れ飲んでましたが、今はブラックでOK。多分、大人舌になりコーヒー豆も良いモノになり砂糖なしでも味わえるのでしょう。



 紅茶は、学生の頃日東紅茶ティーバッグで入れ、やはり砂糖を加えていました。今でも紅茶はブラックは飲めません。お茶は、当たり前のように飲んでいました。

 ペットボトルの緑茶が革命的です。冷たくても熱くても常温でも美味しいのは、他にはない飲み物です。また登山の常備品でもあります。横道にそれました。チョコレート220年前、江戸時代にオランダから伝わり今に至ります。

 本場はベルギーとかフランスとか欧州。原料のカカオ豆(上右)は、アフリカ・中米など熱帯雨林で出来ます。当時、産地をヨーロッパ諸国が植民地にしたので良質のカカオ豆が入手できました。良い原材料があれば美味しいチョコレートが出でき、カカオ豆そのものを味わうことが出来ます。



 フランスでは、カカオ豆の含有率が75%以上あるのが普通。昔、日本にはB級の原材料しか入らず、30〜40%程度で砂糖を混ぜ甘みの強いチョコレートを作りました。最近は日本でもよいカカオ豆が手に入るようです。

 その味わいを生かしたザ・チョコレート(左)が2014年明治から発売され、ヒットしました。含有率70%以上で甘くないので大人のチョコレートです。今年のバレンタイン商戦の目玉は、80年ぶりの新チョコ、ルビーチョコレートでした。

 欧州のメーカーが、10年以上かけ抽出・加工技術などを開発し、日本が世界初の商品発売国に選ばれました。理由は商品開発力に長けていること、新しい物好きだからです。ダーク(1847年) ミルク(1875年) ホワイト(1930年)に続く、第四の奇跡のチョコルビーチョコレート



 スーパーのバレンタインコーナーで5個500円を購。(右) 開封すると『イチゴチョコじゃん』。着色したのではなく天然のピンク色だそうです。女子に喜ばれそう。

 酸味の利いた爽やかな甘みが特徴でひよこさんと食べましたが『美味しいなあ』と感心。甘みが薄いので何個でも行けそう。美味しいお菓子を食べると,笑顔になりますね。

 菓子業界では、ポップコーンえびせんなど軽いモノが多く、空気を運ぶようなもので運搬コストが掛かります。その中で小さくて重いチョコガムは、ヒットすれば利益の出る商品です。我が家では、チョコと言えばグリコアーモンドチョコでしたが選択肢が増えました。


 ところで明治時代は、表題の「貯古齢糖」と表されていましたが、感じが出ていて味わいがありますね

2019.02.21(木)00:15