御殿山 559m/岐阜県美濃加茂市 |
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2020年9月5日(土) 山頂の展望岩 |
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御殿山は、美濃加茂市と七宗町の市境にあります。登山を始めた頃、その名を知ったのですが、教科書にはなく登山口・ルートが不明でした。 最近、山友の野良人さんから御殿山の名を聞き、ネットで調べてみます。白山神社から登頂し、東1kmの平木山へ辿るコースが一般的です。 変化系のコースは無いかと探せば‥「ひとり山歩き倶楽部」さんが、バリルートで登降されていたので参考にさせて頂きました。 美濃加茂市北部の御殿山キャンプ場まで北上してT字交差点を右折。2km林道を上れば、白山神社鳥居前です。 参考書は、「可児からの山歩き」さんと「ひとり山歩き倶楽部」さんのお世話になりました。 |
<駐車地> ドラッグスクロールで移動 大きい地図 |
※赤線はGPS軌跡 ●は主な分岐点 ■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江南発:午前7時10分 晴れ/25℃ 駐車地:午前8時30分 晴れ/24℃ 標高差:(240m→559m)319m |
往:1時間10分(山頂まで、小休止含) 還:3時間20分(ランチタイム除く) 時間:4時間30分 |
白山神社鳥居前のスペースに先着車1台。私も置車し、いざ行かん。鳥居を潜って石段を上がります。 (8:55) |
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石段がブロック階段に変わり、登り切ると‥ |
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「十一面観音石碑」の説明板。石碑と石仏が祀られ、文久三年五月(1863年)の掘字。『160年前!』 |
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平木山544m(直進)分岐を左折して登ります。道に少し露岩が現れるとその先で‥ |
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南東への展望地。(9:10) 右奥が伊吹山1377m、中央左の形がいいのは百々ヶ峰418m、左奥は養老山地です。 展望地の上に「涼み壇」の説明板。そこに平らなちょっとした踊り場があります 御殿山頂上からお姫様が涼風を求め降りて来たそうです。山頂で何しとったの? |
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間もなく主尾根に着き、「御殿山0.1km」の道標。左折すると、すぐ山腹道と尾根道の分岐で尾根を取りました。 |
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休憩舎の説明板、「昔、白山からお姫様が白雲に乗り、2匹の大蛇をお供に飛来し、館を造り住んでおられた」 |
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休憩舎から石段が祠へ向かっています。 登った所に白山神社が祀られていました。後ろが一段高いので、回り込めば‥ |
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山名板「御殿山559m」 ここが山頂ですが、樹林で眺望はありません。西へ進むと、声が聞えました。 (9:40) |
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見晴岩(TOP写真)でアマチュア無線で交信する人。樹木で狭い眺望で、西南西に中央奥百々ヶ峰418m。 (9:45) |
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見晴岩の右から降り、西北尾根を辿ります。岩尾根ですが、問題なく歩けました。 |
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やがて554m峰。樹林に囲まれています。南の岩場からお隣の地蔵山509mがありました。尾根に戻り先へ。 (10:05) |
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標高500m辺りの岩場が、好展望です。西方向に‥ 左遠くに:伊吹山1377m、右奥は天王山538m&誕生山502m。 その左手前のツイン・ピー久スは、大仏山435mと本城山423m、中央の丸い峰は松鞍山316m。 |
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そして標高518mの四等三角点「宮洞」。ここも樹林に囲まれています。少し西南へ降り‥ (10:50) |
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ランチしました。食後、参考書の西南尾根で下山します。バリルートです。 (10:50)~(11:05) |
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歩きやすい所を選ぶと左谷へ降りてしまいました。よし、登山口に近い林道へ下山しよう。予定変更します。 |
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目標は、林道がヘアピンカーブする標高300mの辺りに下山したい。 ところが思惑とは違い巨岩尾根がそそり立つので、谷から尾根を越えるのは不可能です。 予定変更、小さな沢沿いに辿って行きます。 |
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沢は綺麗な清水が流れ、3段滝もありました。写真を撮りましたが、落水がハレーションを起こしてボツです。 |
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堰堤の右岸に罠が仕掛けられた巨大な檻。これで何をどれだけ捕獲するのでしょう。ここからすぐに‥ |
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林道に下山。日差しが強く傘を差します。林道を急斜面でショートカットしたら15分もかかり、体力消耗! (12:40) 駐車地に着くとリュックに入れた傘がない、ガックリ。魔のショーットカット。 (13:20) |
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東海岳行 |
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“若大将” | |
8月末、若大将こと加山雄三が、水を誤嚥し病院に救急搬送されました。大事には至らず、本当に良かった。本人が語るには、『自宅でトレーニングた後、水をがぶ飲みしたら誤嚥し、嘔吐してしまった』 私が驚いたのは、彼は83歳でもトレーニングをしているというところです。 1965年12月、「♪君といつまでも」をラジオで始めて聴いたとき、この曲は違うと感じました。ビートルズの「♪抱きしめたい」を聴いたときと同じです。好きになる曲は、何回か繰り返し聴き好きになって行くのですが、「♪君といつまでも」は、1回で好きになりました。 加山雄三は、この曲が出来、妹に聴かせ、『どう?』と尋ねると『いいね!』と好感触。歌を録音したとき、素晴らしい編曲に感動して彼は、『幸せだなァ~』とつぶやき、それが間奏の台詞として挿入されました。 サビの所、「♪君の瞳は星と輝き‥」で歌とバイオリンが掛け合いドンドン盛り上がるところが秀逸です。エンディングもスケールが大きく『あ~終ちゃったな。もう一回聴こう』となります。 350万枚のメガ・ヒットなので1966年レコード大賞は、間違いないと思ったのですが、橋幸夫「♪霧氷」が受賞。失望しました。1961年から自作曲のシングル盤を出していますが、我が国のシンガーソングライターの草分け的存在です。 「♪君といつまでも」は5枚目のシングルです。4ヶ月後、「♪夕陽は赤く/♪青い星くず」を発表し、これもヒット。私は彼の新曲をが楽しみでした。岩谷時子さんが作詞を担当し、難しい言葉は使われず分り易い詩です。 <シングルの発表> 1965年12月(4ヶ月後↓)「♪君といつまでも」 神曲、日本のスタンダード・ナンバー。 1966年4月(2ヶ月後↓)「♪夕陽は赤く/♪青い星くず」 エレキのイントロが、かっこよすぎる。 1966年6月(3ヶ月後↓)「♪お嫁においで」 エレキでなくハワイアンの曲に驚いた。 1966年9月(1ヶ月後↓)「♪霧雨の歩道」 あまり印象に残っていません。 1966年10月(1ヶ月後↓)「♪夜空を仰いで/旅人よ」 印象的なメロディですぐ覚えられました。 1966年11月(3ヶ月後↓)「♪ジングル・ベル」 知りません。 1966年12月(1ヶ月後↓)「♪まだ見ぬ恋人」 「夕暮れの浜辺を貝殻踏みながら~」 美しいバラード 1967年2月(4ヶ月後↓)「♪二人だけの海」 「君のために渚で独り奏でる~」 美しいバラード 1967年5月(4ヶ月後↓)「♪君のために」 「蒼き海に向かい君のために誓う」 美しいバラード 1966年は、加山雄三ブームで1年間に6曲もシングルを発表しています。翌年さすがに創作の泉も枯れるかと思いきや、「♪二人だけの海」「♪君のために」をスマッシュヒットさせました。次の「♪別れたあの人」は、歌謡曲路線で私は興味を無くし、彼から離れました。 1992年の「♪サライ」は、日本テレビ制作「24時間テレビ」のテーマソングとして感動ソングです。加山雄三コンサートを一度は見たい。何といっても83歳で現役ということが国宝級です。 昨年、コンサートのDMが届いたのですが、タイミングが遅く、もう良い席はないと思い断念しました。今となっては、このときの躊躇が悔やまれます。もし次があるなら何としても行こうと決意しました。 |