岳行ノート

百里ヶ岳2 931m/福井県小浜市

2020年9月21日(月・祝)


山域は豊かなブナ林


 「新・分県登山ガイド/滋賀県の山」鯖街道は、縦走しようと思えど林道で車の回収が出来るか否か「不明DEATH!」で断念。

 2013年6月、百里ヶ岳百里新道鯖街道で周回。その時に街道の滋賀県側を踏破しています。ならば、残る福井県側を歩きましょう。

 小浜市で百里ヶ岳を周回します。登りは木地山峠経由、下山に鯖街道。この古道は、若狭の魚介類を人力で運んだ無理のない勾配です。


 舞鶴若狭道小浜ICで下り、県道35号線で南下最奥の上根来(カミネゴリ)集落へ。集落で登山口・下山口を確認後、駐車地を探します。

 教科書は、山と渓谷社「新・分県登山ガイド/滋賀県の山」です。参考書は、「若狭の山々by小浜山のカイ」のお世話になりました。
<駐車場>
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大きい地図







上根来集落南駐車地

木地山峠

百里ヶ岳

根来坂峠

鯖街道

登山口

上根来集落南駐車地


※赤線はGPS軌跡
●は主な分岐点
は渡渉地




■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」


江南発:午前6時35分   晴れ/20℃
駐車地:午前9時30分   晴れ/21℃
標高差:
(300m→931m)631m
往:3時間20分(山頂まで、小休止含)
還:2時55分(ランチタイム除く)
時間:6時間15分


 集落最奥の「鯖街道御休処/助太郎」から400m下り、小川手前のスペースに置車。集落に向かって歩きます。
(9:45)


 10分程で小屋を過ぎ、山側に芝道です。写真左端に小さな「木地山峠→」の私標があり、登山開始。左カーブし‥


 林道合流点を右折。林道分岐で右を取ると崩壊地です。『事故無く、おね‥しゃす』 終点で枝沢に降り対岸へ。


 再び沢に出合い、沢沿いの道を遡行。テープや私標の「木地山峠→」が有難い。次の渡渉を終え斜面道を登ります。
(10:20)

やがて堀道の古道が現れ、尾根に登り着き高度を上げました。
上根来分岐には道標があり、右折して山腹道へ。(11:10)


 広地で踏み跡が見えません。悩みますが、よく見て‥私標やテープが10m毎に付き、運良くミスしませんでした。
(11:25)


 木地山峠に登ると高島トレイルの標柱・お地蔵様などで賑やかです。ここから百里ヶ岳の主尾根を南へ辿ります。
(11:40)


 高島トレイルの尾根道は、左植林・右自然林。これはチシオハツ。「血潮」って不気味ですが食用可です。


 時々、展望地があり慰められます。広々とした地点にヌタ場、紅葉期は癒やされそうです。ブナ林を急登すれば‥
(12:50)


 開放的な百里ヶ岳山頂、一等三角点は左端奥です。風が気持ちいい、ランチします。
(13:05)~(13:30)
北東に若狭湾、中央は、美浜町市街地、右に西方ヶ岳764m。
距離は、40kmなので10里です。富士山でも70里ほど。

昔は、百里先まで展望があったのでしょうか。『どんだけ!』
実は山名の「百里」は中国単位で、半分くらいの距離になるそうです。『ほんならいいか』


 下山は、道標「根来坂峠→」から南へ降ます。尾根には、ブナの巨木。7年前辿りましたが記憶がありません。
山頂から1時間ほどで根来坂峠鯖街道の峠です。ここで記憶が蘇ります。
昔は、「♪京は遠ても十八里」と唄いながら、寝ずに歩き通しました。
何と、徳川家康が戦に負け、ここを越えて逃げたこともあります。

 祠が新しくなっています。以前、祠裏の石碑に寛政9年(1797年)と刻まれていました。
右の白い標柱横から北西の871m展望ピークへ寄り道します。
(14:35)


 ピークから、中央:小浜湾。右奥は、小浜湾半島の久須夜ヶ岳619m。昨年10月登頂して若狭蘇洞門を訪ねました。
(14:45)


 根来坂峠に戻り、鯖街道で下山します。白い標柱横から山腹道を歩くと、ブナ林が山に谷に見事です。


 尾根道で鯖街道は深い堀道になりました。左端は「鯖街道」の定形道標。なくても辿っていけます。


 標高700mに池の地蔵。祠が新しい。昔の台座には、宝暦10年(1760年)とありました。祠の手前が古井戸です。
(15:25)

 お地蔵の先に林道出合。降りて1km北進して‥
(15:25)

 林道と別れ、再び山の鯖街道に入ります。
(15:40)

変わらず古道は魅力的です。
10分ほど歩くと植林地になり、道が少しわかりにくくなりました。
でもテープや道標がしっかりあります。そして‥

 立派な「鯖街道」の石碑、林道登山口です。ここから舗装道を降ります。周回路は、殆ど地形図通りの道でした。
(16:10)

 畜産団地跡を見て駐車地着(16:25)
 
 
東海岳行
  “驚愕のゴトビキ岩” 

 紀伊半島の熊野灘には、奇岩・巨岩の名所が多くありますね。楯ヶ崎鬼ヶ城・世界遺産獅子巌花の窟等々。観光や熊野古道を歩いたときなどに訪れています。ところが、新宮市の世界遺産神倉神社は未訪です。テレビで何度も見て行きたい思いが募りました。

 神倉神社は、全国に数千社ある熊野神社のご祭神熊野権現が降臨した場所です。西暦128年、1km北の「熊野三山」速玉大社(ハヤタマ)に遷座されました。降臨地神倉神社「旧宮」、新しい熊野速玉大社「新宮」と呼びます。『それでここは新宮市か!』 一つ賢くなった気分です。

 
<熊野速玉大社>
 
<神倉神社へ>

 熊野速玉大社境内の無料駐車場から歩いたのですが、記憶がありません。本殿に出合い何十年前の記憶が蘇りました。(上左) ここから神倉神社まで1km徒歩15分ですが、先を急ぐので車を走らせます。無料駐車場に車を入れ、あちらとこちらの世界を分ける橋(上右)を渡って左折すると‥

   

 荒い形の石積みが、538階段。(上左) 源頼朝が1993年寄進。パワースポットへは、高低差100mの急勾配を登らなくてはなりません。登り始めると前にお父さんと男の子(上右)。幼子には不規則な段差は登りにくく、両手を使って全身で登っています。『ありえないな~』と嘆く。(笑)

 

 石段には、崩れた箇所がなく、よほど基礎がしっかり造られているのでしょう。(上左) 主階段が終り鳥居を潜るとあと少し。(上右) 毎年2月、ここで1800年の歴史を持つ「お燈祭」(オトウマツリ)が行われます。2千人の男達が松明を手に石段を駆け下りる日本最古の火祭りです。右の石段が見物席。

 

 でっかい一枚岩を回り込むとしめ縄のゴトビキ岩を背中に本殿がヤバイ。(上) この場所を発見し、神社を作ろうと考えた昔の人のセンスと行動力に驚きます。ところでゴトビキとはヒキガエルを表すこの地方の方言です。「琴引岩」とも表されます。思っていたより早く15分で到達できました。

   

 私がヒキガエルにタッチしていると、ご夫婦の奥さんがお参りした後、突然、『あ~あ!』と嬌声を上げました。本殿から熊野灘と新宮市街が一望出来たからです。(上左) 思ってもみなかった出来事だったのでしょう。さて下山は10分ほどです。先に降りた5歳の子が、段差に苦戦していました。

 私が『お先に』と抜かすと、彼は頑張って抜かし返しす。それで体力を使いスピードダウン。私が先に降りると、お父さんにおんぶされて来ました。(上右) この後、鳥居前でおんぶを止め、自分の足で踏破したのです。あっぱれ。

2020.09.28(月)21:10