山王山153m・まるまる山135m・松尾山137m 岐阜県関市 |
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2021年3月10日(水) 小瀬遊歩道隧道 (完全素掘り・人道サイズ・市街地至近のレアもの) ※2021.5.19.書込み頂きました。ご確認の上お出かけください。 「小瀬遊歩道歩きが4月から10月まで通行止めになっておりました」 |
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最近、嬉しいことがありました。「♪白影さんからお便りついた」 白影さんは十数年前、三谷幸喜的なユーモアのあるHPの管理人でした。 残念なことに2007年9月に閉鎖。でも登山をしたり、オフ会でお会いしたりしていました。その後、10年間ほど交流が絶えます。 お久しぶりのお便りで、山行のお誘いを頂いきました。関市下有知(シモウチ)の低山三山周回で、まるまる山という山名に好奇心がうずきます。 山王山遊歩道整備計画準備会さんが、2014年10月から登山道整備を開始。看板設置・山頂の眺望等を改善し、2017年11月に登山道は完成。 教科書は公式HP「しもうちコミュニティ」(マップ有)です。 |
<駐車場> ドラッグスクロールで移動 大きい地図 |
国道156号線小瀬六番町交差点から東海北陸道を潜り、下有知椙ヶ洞交差点前の道を北へ。 |
小瀬遊歩道→向山神社→しもうち登山口駐車場 ※赤線はGPS軌跡 青線は車走行 ●は主な分岐点 ◎隧道 ■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江南発:午前7時50分 晴れ/10℃ 駐車地:午前8時45分 晴れ/12℃ 標高差:(50m→153m)103m |
往:1時間05分(松尾山頂上まで、小休止含) 還:0時間55分(ランチタイム除く) 時間:2時間00分 |
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山王山駐車場で白影さんと合流。登山地図・ヤマガラの餌1袋をポストBOXで頂き「一番石仏からの登山道」へ。 (9:00) |
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88体の石仏群は、1845年江戸時代に下有知の人々により建立されました。村名・氏名の彫字があります。 |
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1体1体確認して辿りました。ルートには誘導ロープが引かれ、小学生でも迷わず登山ができます。また道には‥ |
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防腐処理された数々のケヤキ案内看板。「伐採した木々は、持帰り可」、右奥「お花摘みできます。女性専用」 |
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山頂を右から回り込むと、展望が一気に拡がりました。そして「しもうち全景展望地」を過ぎれば‥ |
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第一山山王山153m山頂です。以前は三王山でしたが、山の王様に出世しました。 美濃市では、この山を美濃富士と呼んでいます。 4年前は、展望無しでした。今は、御嶽山・恵那山・伊吹山・小津権現山‥ エサ台にヤマガラの餌、ひまわりの種を入れたら山頂を離れます。 そういえば、岐阜市金華山で会う人懐っこいヤマガラは有名ですね。 (9:20) |
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縦走する三山は独立峰です。固いチャートの地層で所々露岩が見られます。まるまる山分岐を左折すれば‥ |
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ナイス・ネーミング、まるまる山135mです。10分前に踏破した山王山153mが東に見えます。 (9:30) |
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まるまる山分岐に戻り、北西に行くと崖の先端に長良川展望地です。 北の眺望、清流長良川、中央奥に天王山538m・誕生山501mが並びます。 右の東海北陸自動車道のカーブ左は長良川SAです。 (9:40) |
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展望地から南西に降ると鞍部に掘切。山城があったようです。右は小瀬遊歩道登山口ですが、直登します。 |
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そして松尾山137.mです。眼下に山に囲まれた弥勒寺史跡公園。幹になぜか平等院鳳凰堂の写真が架かります。 (9:55) |
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西へ100m進むと松尾山展望台140m。 山頂より3m高く、木陰があってランチ好適地です。 白影さんが見ているのは、2015年12月に認定された 世界農業遺産「清流長良川の鮎」の記念プレートです。 (10:05) |
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東へ下山します。雑木林が多いのが嬉しい。因みに地主さんは13名見みえます。整備の連絡は大変だ。 |
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下山口を右折すると大きな永昌寺です。『撮って下さい』 白影さんが、可愛い小坊主・珍念さんと記念撮影。 |
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鮎之瀬橋の手前左に小瀬鵜飼の鵜匠が営む「鮎の家足立」。鵜飼は、5/11~10/15で中央奥に鵜船が休憩中。 |
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1967年に架けられた鮎之瀬橋に戻りました。長良川左岸沿いの小瀬遊歩道に入ります。ワクワクしますね。 |
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進むと水神様の石碑。左奥は各務用水取水口です。用水は、水不足解消のため明治23年建造されました。 取水口は、昭和20年代に下流からここに移設。左奥の黒い穴は、ロックシェードの片洞門です。この先の‥ (10:25) |
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素掘りの隧道(TOP写真も)は、固いチャートを掘りました。40m長? 東口螺旋階段上に長良川展望台。 隧道は取水口用かと思いましたが、年代が合致しない。じゃあ何のために作られたのか‥謎です。 |
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素掘りで隧道を造ったのはえらい、良い状態の維持保存は素晴らしい。 ※隧道(スイドウ)=トンネル 洞門=落石・雪崩防止のため,擁壁を用いて設けたトンネル状の工作物 そして雨後に現れるまぼろしの滝は、今日はただの岩壁で通り過ぎます。。 美しい長良川の流れに癒やされ、約800mの遊歩道を満喫できました。 |
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梅満開の里を歩き駐車場へ戻ります。雰囲気のある向山神社に寄り、駐車場から車で‥(下段の道草へ) (11:00) |
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東海岳行 |
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“円空さん” | ||||||||||||
鮎之瀬橋を渡り、対岸の弥勒寺跡史跡公園へ走りました。弥勒寺西の駐車場に置車。公園には弥勒寺跡・円空館等があり、一帯を白影さんに案内して頂きます。史跡は、白鳳時代(670年)の寺院・役所跡などで昭和34年国指定史跡の指定を受けました。
まず現代の弥勒寺を訪れます。(下左/11:15) 本堂に上がると木彫りの円空仏がズラリと並ぶ。『すごいなあ』と思ったら一般の方達が彫ったものでした。『どおりで‥』 でもいい趣味です。もし私が、家で10体、作仏したら置く場所に困る。 西へ歩き、金堂跡・講堂跡・塔跡の弥勒寺跡広場を抜けます。竹林の分岐を右折(下左)。北へ登れば、円空さんのお墓。(下右) 江戸時代美濃国で生まれた修行僧(1632年生)です。でもここに円空さんは眠っておられないかも? 円空さんは北海道から近畿の諸国を遊行し、生涯に12万体の仏像を彫ったと推定されます。もし14歳から50年間、月に200体彫れば可能です。作風は独特で、荒削りな木彫りは素朴で親しみを感じます。お墓から西の円空館へ。(下左) 入館料/250円、休館日/月・祝翌日。アプローチにモノリスが建ち、展示棟が池に浮かぶ、おしゃれなミュージアムです。常設円空像は34体有り、最高144cm・最小11cmで撮影禁止。高賀山の円空記念館は30体、江南市でも音楽寺が16体所蔵しています。 観覧は15分程、その後円空館近くの観音山94mに登り、長良川眺望ランチ。(右上/11:55~13:00)) 懐かしのせきすいさんに電話したら金華山におられました。昔話・今の話し・これからの話しと、話しは尽きなくあっという間の1時間。 1689年59歳の円空さんは、廃寺になっていた弥勒寺を中興しました。5年後、64歳で死期を予覚、長良川河畔に行き里人に茂った藤を指し、『藤の花が咲く間は、土の下で生きていると思いなさい』と言い残し入定しました。(上左:藤棚下の円空入定塚) なお弥勒寺は、大正9年の火災で数百体の円空仏と共に焼失。私達は長良川右岸を遡り、弥勒寺官衛(役所)遺跡跡(上右)を散策して駐車場に戻りました。(13:25) 穴場ですが、山王山周回&弥勒寺跡史跡公園のセットは充実大満足の鉄板コースです。 |