なえぎ |
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高森山/苗木城跡 432m/岐阜県中津川市 |
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2021年4月1日(木) 大矢倉跡 |
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苗木城跡は、中津川市市街地の高森山(通称:城山)に立つ山城です。20年前に訪れましたが、石垣と好展望の印象が残ります。 2017年「続・日本100名城」に選ばれ、翌年の専門誌ベストランキングでは、「山城」部門1位。お陰で駐車場が充実し城跡も整備。 戦国時代の1530年頃、東濃の豪族・遠山氏が築きました。一時落城後、 江戸時代再び遠山氏が統治します。明治4年(1871年)に廃城。 2月、山友の野良人さんの案内で爺愛嬢さんと周回。その時、中腹にさくら公園があることを知り、満開時に再訪しよう思いました。 JR中津川駅北の玉蔵大橋で木曽川を渡り、右岸を西200m、Y字分岐を右へ‥教科書は、中津川市HP「苗木城跡探訪ウォーキングマップ」です。 |
<駐車場> ドラッグスクロールで移動 大きい地図 |
苗木遠山史料館→風穴→苗木さくら公園→ひだ街道入口→北恵那鉄道跡駐車地 ※赤線はGPS軌跡 ●は主な分岐点 ■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江南発:午前7時55分 晴/14℃ 駐車地:午前9時40分 晴/17℃ 標高差:(260m→432m)172m |
往:2時間00分(さくら公園まで、小休止含) 還:0時間35分(史料館見学・ランチタイム除く) 山行時間:2時間35分 合計時間:3時間50分 |
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舗装終点の路肩に駐車。1978年(S53年)に廃線された北恵那鉄道の線路跡です。野良人さんと奥へ100数十m歩きます。(9:55) |
そこから、「立入禁止」。向こう側は鉄橋で、レールは取り除かれています。右の獣防柵を開閉し、線路跡を離脱。斜面を降り、見上げれば‥ |
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山の田川に架かる北恵那鉄道の橋。ガッチリ造られた橋脚が見事です。橋を渡った突き当たりを左折します。 |
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舗装された中部北陸自然歩道を80m南下。そこが、城坂四十八曲り道登り口です。つづら折で高度を上げます。 (10:05) |
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道は広く、驚くことに擁壁は立派な石垣です。昔はこちらが正面入口で、お殿様の参勤交代等で利用されました。 |
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高度を150m上げ、竹門跡・駆門跡を入ると大規模なこの大矢倉跡。 城で一番大きな建物は、三階建てで一階は倉庫でした。 (10:20) |
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そして本丸は、でっかい自然石の上でそびえています。では天守展望台へ。 |
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天守は、巨岩に跨がる形で作られ、三層でした。懸造りで設置された展望台に登ります。(清水の舞台も懸造り) (10:30) |
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絶景の360°大パノラマ! 中央奥富士見台1739m、右上恵那山2191m、 比高差170mの眼下に木曽川が迫ります。 左下展望図絵の上に停めた車が見えます。本丸から降りたら、周辺の遺跡を見学しました。 城跡全景を見られる超絶景ビューポイント足軽長屋跡へ。そこにはCGの‥ |
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「かっての苗木城」看板で現在の城跡と比較できます。復元されたら人気スポット間違いない。 |
ビューポイント足軽長屋跡(右上)から下の分岐に降り、高森神社へ進みます。(11:10) |
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足軽長屋跡からの超絶景写真が無いのは、高森神社の眺望が良いからです。 |
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高森神社着。素晴らしい、これは城跡核心部の絶景です。右奥にはかすむ恵那山。 緑の少ない季節だから遺跡がよく見えます。 苗木城跡は、往時の城の全域が保存されている日本でも数少ない城跡です。 (11:15) |
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西への道を降りると龍王院(足軽長屋跡隣)の住職の墓碑です。初代は1625年没の彫字。 |
B1駐車場に降ります。車道を右折し、この「遠山家と家臣の墓地」 更に進めば‥ |
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苗木遠山史料館330円。苗木城復元模型、唯一残存する建築物「風吹門」、遠山家の武具など興味深い。 (11:35)~(12:05) |
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西進すると、鳥居と案内板「↑風穴」。野良人さん、ヘッデンを装備。中は奥行き10mで、ひやりとします。 (12:10) |
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道に戻り、大矢倉方面へ歩けば、風吹門跡です。史料館で見た門が、ここで構えていました。扉1枚は、縦2.3m・横1.12m・厚さ12cmのケヤキ製。門番所が併置され、昼夜を問わず人の通行を監視しました。左の石段を登り、「さくら公園→」へ。 (12:30) |
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苗木さくら公園は、ドンピシャの見頃です。 緩い斜面に約700本が植栽され、見上げたり展望台から見下ろしたり、お花見を満喫できます。 プラン通りここでランチ。コロナ禍で2021年の桜まつりは中止になりました。 (12:40)~(13:15) |
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公園出口を右折すると化粧岩。「狸が美人に化け、ここで化粧をして旅人に饅頭を食わせた。それは馬糞だった」 まるで落語のオチだ。 |
民宿じょうろく荘を北から回り込むとひだ街道入口です。正面は恵那山、歩道を降ります。 (13:25) |
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すると食パンを切ったような珍岩弁慶岩。弁慶が、なぎなたで切ったと伝えられています。進撃の弁慶! |
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ひだ街道は、雰囲気が良く気分上々です。やがて北恵那鉄道の踏切跡を渡り、鉄道橋を潜ると駐車地に戻ります。 (13:45) |
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帰路、木曽川から見ると苗木城跡は、川岸でコブのように突き出ています。守りの堅い地形です。あ~、面白かった。 |
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東海岳行 |
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“山城日本一” | |||||||||||||||
岳行ノートは、苗木城跡山行中心の内容ですが、今回、興味深い遺跡が多く、道草でご紹介します。ところで200年前、苗木領46村の人口は、約2万2000人でした。 1.天守周囲 本丸天守へ行くには、城内で一番大きかった大門跡から入り、坂を登っていきます。30mほどの高さの岩山に三段構造です。歩き始めると下に二の丸が見えます。
■二の丸 藩主の住居や家臣の集まる部屋がありました。家臣団は足軽以下も含め320人で、うち上級侍はわずか27人です。 ■千石井戸 二段目にあり、城内で一番高所の井戸で、水が涸れたことがありません。千人の用を達することから千石井戸と名付けられました。今でも水が湧き出ています。
■武器蔵 二段目にあり、鉄砲や弓などの蔵で16m×6mの土蔵でした。当時の礎石・縁石が、そのまま残されています。 ■天守展望台 展望台は、天守の柱穴を再利用して建てられました。天守から南に一段降りると‥
■馬洗岩 敵に水を絶たれた時、この岩上に馬を乗せ米で馬を洗い、水が豊富であるかのように欺いた。周囲45mの巨岩です。下に廻って見上げると全体の大きさに圧倒されます ■笠置矢倉 馬洗岩近く、西の笠置山1128m(右上奥)に向かって設置された物見矢倉。絶景が楽しめます。
■花の壇 武器蔵の一段下の広場。女子たちが太極拳の練習中です。行ってご挨拶。左に回り込むと‥ ■八大龍王 遠山家の守り神で、明治時代に現在の場所に据えられました。 2.苗木遠山史料館
■苗木城復元模型 史料館に展示され、建物の様子や縄張りがよく分かります。 ■天守CG 浅野孝司氏が制作し、アップしたり引いたりアングルを変えたり、数多く展示されています。CGなのでリアルです。 3.城下
■風穴内部 自然の岩穴で風呂谷門と呼ばれ、光り苔やコウモリが生息しています。江戸時代は、献上品の氷餅の貯蔵庫です。 ■おぢゅう桜 1722年藩主の後を追い、殉死した藩士がいました。その妻おぢゃうが、亡き夫を偲び墓地に植えた桜です。高さ20mの彼岸桜は、300年の風雪を耐え今も美しい花を咲かせます。(国道257号線沿いのしろやま歯科東)
■桑原寺 八角形の建物です。笠置矢倉から笠置山の下辺りに見えていました。住職さんのいない無住寺院で、マニアが噂する「開かずの珍寺」。管理人氏がいると入堂できるかも。本堂に驚愕の聖徳太子像8000体。行った時、管理人氏は不在でした。(苗木字那木) ■ふな岩 丸山神社境内南にふな岩と呼ばれる巨岩があります。長さ12m・高さ6mの花崗岩です。江戸時代は船岩、明治以降は鮒岩の認識でした。神社には巨岩が多く巡ると楽しい。ふな岩も裏側から見ると全然違う姿で『お~!』と声が出ました。(苗木3342) |