夕立岩 660m/愛知県東栄町 |
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2021年4月27日(火) 夕立岩660m |
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新城市鳳来湖北には、愛知のいい山・明神山がそびえます。明神山1016m山系には、一般ルート・バリルートが数多く引かれています。 山頂の南東に夕立岩660mの岩頭があり、詩的な名の惹かれました。主峰に比べればマイナーですが、5ルートあり周回コースを辿ってみます。 往きは、夕立岩の最短ルートです。しかし、裏から登るので全景が見えません。そこで登山前に深谷川上流に走り、夕立岩を南から展望します。 それが上の写真です。(15分で登山口前の駐車地) 教科書は、東三河山ぽ会編・2009年発行の「わたしたちの明神山/改訂版」です。 三遠南信自動車道鳳来寺ICから国道151号線で北東へ。東栄ICの100m先の河内橋前を左折し、林道を西方へ3kmを走れば‥ |
<駐車地> ドラッグスクロールで移動 大きい地図 |
※赤線はGPS軌跡 ●は主な分岐点 ◎は巨岩 🔳は岩壁 ■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江南発:午前6時45分 晴/10℃ 駐車地:午前9時20分 晴/14℃ 標高差:(320m→710m)390m |
往:1時間40分(夕立岩まで、小休止含) 還:3時間15分(ランチタイム除く) 時間:4時間55分 |
河内川の橋たもとの駐車地です。左の尾根端から取付きます。すると若い郵便配達員がカブで林道奥へ走りました。 (9:45) |
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『山深いけど住む人いるの?』 すぐ岩混じりの尾根に乗ります。急登ですが、岩や根が足がかりです。 |
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しばらく明確な尾根を辿ると右側が伐採されて、北西に尾根越の明神山頭頂部が覗きます。(右上) すると「淳子の山」の標識板。『ひょっとして桜田さん?』 強烈、由来を知りたいですね。(10:30) |
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一旦、降登すると20mの岩壁です。足場はりますが、ルート・マーカーはありません。 3点支持で慎重に登ります。ここは楽しいところです。 (10:50) |
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岩壁から30分ほど尾根を詰めると夕立岩登山道に当たります。左へ歩くと、空中に飛び出る岩が見えます。そこが‥ (11:25) |
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夕立岩で意外に狭くなく、下段には年季の入った石祠。素晴らしい展望でランチにしましょう。 ~(12:00) |
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東方面、浜松の山々で中央:白倉山1027m 右:箒木山841m 左端:橿山1059m(カシヤマ)。 左の谷は、登山前に夕立岩を見に行った深谷川沿いの深谷地。下は北東の赤石岳3120mです。 眼も腹も満足したら西へ尾根を行きます。コブを迂回して尾根に戻ると‥ |
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三等三角点700m「点名:奈根」 ここで方向を北に変え、三角点の右から降りると、一般ルートで時々のテープ。 (12:10) |
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黄色のプラ杭を追い15分で尾根分岐。東に折れミス道。戻って北西へ行き、突端を左へ迂回します。 (12:30) |
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すると10mほどの巨岩が、尾根に立ち塞がる。右か左か? よく見ると左の木にテープ発見。 (12:35) |
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赤テープを追って左から迂回しました。 |
下部で岩の間をよいしょっと上がります。 |
再び尾根道に戻るとホソバシャクナゲの蕾が、まもなくはじけそうです。 ここまでシャクナゲの木は沢山見ましたが、蕾は全くありません。ここだけです。 |
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程なく彫字も読めない古い石仏に出会いました。尾根の直進を試すと、右の迂回路かが正解でした。15分ロス。 (13:10) |
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巨岩を右へ迂回し、倒木を超え、尾根に戻り進みます。やがて尾根から離れ、右カーブして方向を東へ転換しました。 (13:50) |
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すると林道に出会い、舗装道を右へ行きます。すぐ登り口が見つかり山道へ。 (14:00) |
尾根を15分ほど行くとで~ん大杉に出会います。そこを降りれば‥ |
馬頭観音峠です。峠道には頭部が補修された石仏、錫杖の技が見事。 右に「文化三年」の彫字は、1806年で215年前のことです。南へ降ります。 (14:25) |
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ルートは、杉の落ち葉でわかりにくい。回り込んできた林道に降ります。崖側の降り易い所から斜面を降りると‥ (14:35) |
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集落内の道に出ました。立派な石垣が点在します。10軒ほどの民家が移住し、昭和30年頃に廃村となりました。 |
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林道の法面が白いので行ってみるとシャガの大群落です。林道を降るとシャガ・シャガ・シャガ‥一生分のシャガを見ました。 (14:55) |
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途中、茶畑に民家が建ちます。郵便配達は、こちらに来たのか。偶然その夜、ニュースで配達員が紹介されました。 自然環境に引かれ、一家で移住されたそうです。廃村から65年、転入者が増え子供の声が聞こえるといいですね。 駐車地着(15:15) |
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東海岳行 |
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“テミル原則” | |
久しぶりに友人のトミさんからケイタイがかかってきました。たびたび二人で名古屋ランチをしていましたが、このご時世ではそれもできません。彼は近々、所属する会でスピーチをすることになり、東海岳行から引用したいとのことでした。 それは道草かなと思ったら、『テルミの△@#&‥』言われてもチンプンカンプン。トミさんは、その内容をコピーして持っています。郵送をお願いし、届くとそれは6年前の書込みです。東海岳行は、ヤフーで運営していましたがサービスが停止になりました。 別のサーバー会社に変更。その際、訪問者との掲示板が移行できず、内容が消えました。その一部を彼がコピーしていて、それは2015年山友の岳魚さんからの嬬恋村「愛妻家テルミ原則」の書込みでした。 スッカリ忘れていましたが、コピーを見て思い出しましました。群馬県嬬恋村(ツマゴイ)は、百名山浅間山の北に位置します。 村名の由来は‥ 日本書紀によると日本武尊(ヤマトタケル)が妻の訃報を旅先で聞き、鳥井峠に立ち『吾が妻恋し‥』と叫びました。その故事より、明治22年村名が嬬恋村。 そして2006年「妻というもっとも身近な赤の他人を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれない」という甘い理想を掲げ、愛妻家というライフスタイルを世界に広めようと「日本愛妻家協会」が発足。 県が愛妻の丘(標高1257m)を整備、広大なキャベツ畑から浅間山に向かい、今まで言えなかった愛と感謝の言葉を叫ぶイベントを開催しました。 イベントをニュースで見たことがあります。その「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ」は、今も続けられ毎年9月の開催です。残念なことに昨年はコロナ禍で中止されました。 愛妻の丘に掲げられた看板に‥ <愛妻家テミル原則> 第一の門 やっテミル 妻が喜ぶ家事ひとつ 第二の門 出しテミル 気づいた時の感謝の言葉 第三の門 聞いテミル 世間話と今日の出来事 第四の門 捨てテミル ミエ、テレ、タテマエ、セケンテー 第五の門 なっテミル 恋した頃のふれあう気持ち よく考えられていて‥つまり夫がやらなことは共通なのかと思いました。このとき私は胸にチクチクすることばかりと書込みに返信しています。 五つ全部は敷居が高いので、一つでも出来ればいいやと思いました。早速、私はできることから行動することにします。 一つづつ実行して現在、第一の門は、トイレ掃除。第二の門は、朝は『おはよう』、コーヒーを作ってもらったら『ありがとう』、第三の門は、話しかけられたら生返事せず、きちんと返事する。第四の門は、偉ぶらない。 第五の門は、あの頃の優しさを忘れないこと。「今さら」「面倒」など、第四の門が一番難しい。結局、自分が変わるかどうかは、心がけ次第です。 人は、優しくされるとうれしくなり、優しくしたくなります。他に気をつけることは、『網戸直して』頼まれごとはすぐ実行(自分のペースだと後回しになりがち) 買い物・食事・遊びなど行動は二人で(登山はできていません)、テレビは1台なのでチャンネル権(サッカーは例外)は渡しています。お互いの存在がストレスにならないように心がけています。考えれば、私が変わってもデメリットは、1ミリもありません。 しかし、愛妻・愛夫の丘にして「愛妻・愛夫テミル原則」にすれば、男女平等ですね。 |