岳行ノート
駒山 855m/愛知県豊田市
 
2021年6月20日(日)


庇岩  役行者は 梅雨ごもり

(中央下左に石像)


 最近、愛知県で唯一雲海の見える押山773mが、TVで紹介されました。「愛知の130山」では「山頂は木が生い茂り展望はあまり良くない」

 本は2003年の調査です。しかし、TVは山頂は大展望で、しかも最速10分で往復できます。大変貌です。でも短時間過ぎます。

 その近くで山を探すと、押山から車で30分の駒山を見つけました。この時期、雲海は無理ですが130山をW登山できます。まずは駒山から。


 2003年調査山行の周回では、「荒れている」と記載。山頂の荒廃した廃寺・ブナの巨木が見所ですが、眺望はないようです。

 教科書は、風媒社「「愛知の130山」です。参考書に多くのHPのお世話になりました。奥矢作湖左岸道路をを走り、奥矢作第二発電所から‥
<駐車地>
ドラッグスクロールで移動

大きい地図



奥矢作第2発電所東
駐車地

ダム上流黄札

展望地

廃・小馬寺

▲駒山

反射板

下山口

相走橋南の駐車地

奥矢作第2発電所東
駐車地



※赤線はGPS軌跡
●は主な分岐点
□はお地蔵様




■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」


江南発:午前05時20分 曇り/19℃
駐車地:午前10時30分 曇り時々晴れ/20℃
標高差:(300m→855m)555m
往:2時間40分(山頂まで、小休止含む)
還:1時間45分(ランチタイム除)
所要時間:4時間25分


 東100mのスペースに置車。対面では、ロータスエリーゼ等のオープン・カーが集います。電柱の所が登山口です。
(10:30)


 参道が登山道で苔る石仏が、道中に点在します。10分ほどで右にダムが見え、迂回すると‥

 すぐ岩ゴロの沢道に中電の黄札。右折して鉄塔№26方向へ。2連の渡渉で左岸に渡ります。ところが、トホホ‥
(10:40)

※この先の写真を誤って削除。以下文章で/少し登り御嶽神社の石碑を見て、つづら折りの広い参道で高度を上げます。


 やがて伐採地になり、上に鉄塔3号がそびえる。程なく参道は、ここで右曲折。鉄塔に寄り、給水休憩します。
(11:15)


 再び伐採地となり、異形のひさし岩(TOP写真)に驚嘆。伐採地の最高点は‥

素晴らしい展望台です。右:対岸の高戸山795m、左:奥矢作湖に架かる赤い旭大橋
眺望は伐採のおかげですが、植林地は手が良く入っています。やがて‥
(11:50)

 森から出ると(左端)、林道終点です。後ろに鉄塔4号が立ちます。右の林道で南へ。そして林道のヘアピンカーブに着くと6名の‥  (12:00)

 登山者がランチ中。右看板、「入山禁止見つけ次第100万円罪金」 インパクト目的の誤字ですね。左端の踏み跡から入ります。(12:20)


 谷に延びる荒れた参道に石仏地蔵が点在します。


 やがて斜面に大杉。その上に工事用のフェンスが、崩壊寸前の建築物を囲みます。それが‥
(12:40)

「忘れ去られた山岳寺院」小馬廃寺楼門でした。
栄枯盛衰、諸行無常、危機一髪、、、かろうじて建っている状態です。

威厳があった頃の姿を見てみたい。時の流れを噛み締め、一周して上に行くと‥



 本堂前で3m近い圧倒的な切株。大杉は樹齢600年、1973年に落雷を受け、鳳来寺本堂再建に使われたそうです。


小馬寺(廃寺)の本堂は、見る影もなくペシャンコです。
右に鉄柱が残っています。更に進むと‥



 駒山855m山頂。眺望・三角点はありません。ここまで道標等は全くなく、ここで初めて山名の私標を見ました。
(13:10)

山頂の先にブナの巨木が2本並んでいます。愛知でブナを見るのは珍しいことです。
左のお姉さんブナは、樹高21m・胸高囲2.8m(豊田市天然記念物)。

右の妹ブナは、樹高21.8m・胸高囲2.4m(同)。左のお姉さん横から尾根を降り‥


 200mほど進むと反射板に出会います。まずまずの北西展望、ランチ! さて‥
(13:25)~(14:00)

 遠回りでが、本堂へ戻り下山するか‥ いや右カーブの尾根でショートカットしてみましょう。踏み跡はないが足場はあります。10分で‥


 反射板から50m高度を落とし、ドンピシャ林道着地。GPSはありがたい。中央が降り口で、テープがあります。
(14:10)


 歩き出すと右に樹林の小窓が開き、恵那山2191m。この窓は、人為的なた感謝します。5分後、林道終点に着き‥


 森に入り、尾根道を調子よく降ると突然左折点。見逃して行き過ぎました。左上から降り、右下から斜面を降ります。
(14:30)


 大規模な間伐で地形図破線の登山道は実際はありません。ここも以前は、左の谷に登山道があったようです。


 コースは思ったほど荒れてなく相走橋(アイハシリ)下山口に到着。左折して湖岸道路を南西へ1.5km歩きます。
(15:10)

 駐車地着
(15:30)


東海岳行

  “駒山の小馬寺(コマ)” 

 駒山”忘れ去られた山岳寺院”小馬寺は、謎が多く好奇心がたまりません。創建は?名前は?なぜ廃寺に?謎を調べましょう。創建は飛鳥時代680年頃で、1340年前です。山名・寺名は、里の牛地町が馬の産地だったことから。馬を守る寺として繁栄します。

 馬は農耕・物流の中心です。小馬寺は馬の無病息災に霊験あらたかだと崇められ、大変賑わったそうです。700~800人の修行僧がいたと伝わります。また寺の大絵馬(1.8m×3.9m)には、馬が650頭が描かれていました。


<矢作ダム> 
 
<朽ちた本堂>

 駒山麓の矢作ダムは、8年間の工事を終え1971年の完成。(上左) 小馬寺の檀家の大半(177戸)が、湖底に水没しました。住職も離れて無住寺となります。昭和30年代前半に廃寺。”忘れ去られた山岳寺院”本堂は平成に入って倒壊しました。(上右)

 今は資材が散乱し、鉄製の支えだけが残る本堂。廃墟を目の当たりにすると諸行無常、人の世の儚さを感じざるを得ません。本堂隣の庫裏(クリ/寺を守る人の住まい)は、数年前まで荒れた状態ながら残っていました。今回の訪問では跡形もありません。


<立ち入り禁止の楼門>
 
<本堂近くの大杉>

 江戸末期~明治初めに建てられた高さ約15m、ケヤキ造り4層式2階建ての巨大な楼門は半分が残り、かろうじて建ちます。(上左) 周囲には石垣。石段、杉の巨木(上右)があり、探せば江戸以前の茶碗・壷のかけらが見つかるかもしれません。

 2018年10月24日、テレビ番組の「世界の何だコレ!?ミステリー」小馬寺が紹介されました。残念ながら私は視聴していません。さて今回登って感じたこと。登山口に駒山の案内標識はなく、全行程を通し道標・案内板もありません。

 
<本堂裏の高台に並ぶ墓石>
 
<奥矢作湖:左ピークが駒山>

 若干の古いテープ、林業用?のピンクテープは、付けられていました。廃墟マニアが歩くだけかと思っていましたが、そんなことはなくルートは確保されています。運がいいとカモシカに出会うかも。ところで鉄塔巡視路の管理は人手・時間・お金がかかります。

 電力会社は、ドローンに代替させる方向のようです。遠方から操作でき、わざわざ山道を歩く必要はなく、巡視路も必要なくなります。道は荒れるでしょうね。でも問題があれば、人が現場に行かけねばなりません。最低限の道は、何卒残しておいて下さい。

 
<本堂の一部:過去写真>
 
<本堂隣の庫裏:過去写真>

2021.06.27(日)23:30