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2021年10月21日(木) -カメラに収まらない大パノラマ- (左上:蓼科山2531mから中央下:大門川まで標高差1300m) |
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本日はW登山しました。一座目は仏岩1336mのピストン。そしてポシェットをリュックに換え二座目に。車は、仏岩駐車場に置いたままです。 国道152号線を挟み東が仏岩、西が二座目の虫倉山です。教科書ではピ-クハンター向きですが、眺望が各所で得られます。 また脚注では、「変化があり、展望は良くなかなか楽しいルートである」との表記。完全周回コースではないけど、半分周回です。 教科書は、信毎書籍出版C刊「新版信州の山/中部下巻」です。中央道諏訪ICで下り、国道125号線で北上。更に白樺湖を過ぎ6km走り‥ |
<駐車場> ドラッグスクロールで移動 大きい地図 |
▲中峰/獅子岩→下山口→仏岩登山口駐車場 ※赤線はGPS軌跡 ●は主な分岐点 ■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江南発:午前5時45分 晴れ/10℃ 駐車地:午前9時00分 晴れ/8℃ 標高差:(1150m→1584m)434m |
往:2時間05分(獅子岩まで・小休止含む) 還:1時間45分(ランチタイム除く) 所要時間:3時間50分 |
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国道東側、仏岩登山口駐車場から出発します。西に150m歩き、Y字分岐を左折して仏岩橋を渡ります。 (10:55) |
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橋のすぐ左、擁壁の端が登山口。山斜面をトラバースして溝に出合ったら、左折して直登。右に建物が見え‥ |
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ヘンスに囲まれた小茂谷簡易水道施設。南側に行くと、赤テープが示す森への入口。テープを追うと‥ (11:05) |
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すぐ作業道に出合い左折すると網扉です。尾根の直登がルートですが、好奇心が勝り作業道を辿ってみます。 (11:15) |
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扉を開閉すると山腹の作業道、奥の谷に着くと道は終了。意を決して谷を登ります。 藪があったり、ザレ場だったり、バリルーは中々の急登です。 |
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谷ルートは谷底が道です。やがてネットに突き当たり、右尾根に逃げます。 (11:40) |
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ネットの抜け穴から尾根ルートに引っ越し。稜線まで谷ルートは、尾根ルートに比べ20分余分にかかりました (11:50) |
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稜線に乗るとシンプルな直登一本道の急登。蓼科山の展望がありました。やがて両側のネットに挟まれると‥ |
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東峰1481mです。石祠と奥に大きな石柱「八海山大頸羅神主」?の彫字。眺望も三角点もなく先へ。 (12:30) |
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東峰から登り返すと鉄塔№17です。ススキに囲まれ、写真左下に番号札。鉄塔下に行けば‥ |
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大展望。南東に蓼科山2531m、その右奥は南八ヶ岳ですが、雲さんどいて。 日が早いので虫倉山登頂は諦め、中峰/獅子岩までに変更。ランチします。 (12:50)~(13:10) |
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腹がふくれたら元気復活。ススキを抜けて北東尾根へ。大岩を右迂回し露岩帯を数分行くと南の崖縁に‥ |
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嬉しくなる展望地があります。高さと広さのスケールを体感できるスーパー展望です。 南東蓼科岳(TOP写真)右に雲が取れた南八ヶ岳の峰々をズーム(↑)。 左2座目:天狗岳2646m、右端:阿弥陀岳2805m、その左:盟主赤岳2899m。 そして南には、左:駒ヶ岳2966m、右:仙丈ヶ岳3033m。 (13:20) |
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暫く岩尾根を登ると平坦地に出ました。ススキの向こうは 南西に車山1925mです。再び‥ |
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岩の散らばる尾根となります。大岩の背は高くなく、視野を妨げません。 広葉樹に囲まれた森、紅葉が華やかで歩くのが楽しい。 |
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中峰ピークにひときわ目立つ巨岩獅子岩1584m。高さ3m、心細いロープが下がります。ここで下山します。 (13:35) |
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鉄塔№17まで戻り、番号札№18を指す南東尾根へ。ススキのヤブを10m抜ければ、歩きやすい尾根です。 (14:05) |
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岩峰が現れたら左に右に迂回。この突端の左斜面を斜行すれば、鉄塔№18です。私は直進して行き過ぎました。 (14:20) |
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ドンドン降り、左の美岩群下を進めば、鉄塔№19です。伐採地になると道は不明確で方向を定め下降。 (14:40) |
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下に鉄塔№20(左)、変電所(右)が見えたら鉄塔左が下山口です。私はもう少し踏み跡を北へ辿りました。 (15:00) 国道に出て北上すれば、駐車場です。仏岩・虫倉山のW登山は、予想以上の面白い山行が出来ました。 (15:20) |
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東海岳行 |
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“最大の謎” | ||||||||
10年以上前、TV番組で東洲斎写楽の特集があり、彼は誰なのか解明されてないという結論でした。ただ「写楽」という名から「楽屋を写す」と考えれば、演劇界の関係者ではないかという解釈が示されました。今も私の心に残る謎です。 するとNHK「歴史探偵」が、写楽をテーマに浮世絵界最大のミステリーを解き明かしてくれました。彼は彗星のように現れ、江戸のアートに革命をもたらした天才です。躍動感あふれるポース、個性を強烈に打ち出した表情、一瞬の動きを切り取っています。 しかし、本名はおろか年齢・出身地・経歴不明の謎の絵師です。そしてデビュー後、わずか10ヶ月、145点余りの作品を残し突然姿を消しました。北斎は90歳まで描き続けたのに早すぎます。何があったのでしょう?
<1>衝撃デビューの謎 当時江戸の浮世絵は美人画がメイン。版元の蔦谷重三郎が役者絵も広げようと目論み、才能のある写楽に目をつけ、一か八か彼の作品を1ヶ月で28枚を発売しました。新人歌手がいきなり2枚組アルバムを発売するということはあり得ません。 見たこともない斬新な浮世絵は、人々の度肝を抜きました。一躍江戸の人気絵師になります。さて新人には、再生紙を使います。写楽は特別、上質和紙に高額な雲母の色材を使い背景をキラキラさせました。(上右) 上半身像の歌舞伎役者を描き、大首絵と呼ばれます。代表作といえば、やはり三代目大谷鬼次の江戸兵衛(上左)ですね。顔の大きさに比べ手が小さく、ヘタウマなんかと思いました描かれたのは、悪役でお金を取ろうと迫っていく姿です。
それには40の説があります。北斎や歌麿が名前を変えて描いたというのがありました。2008年、ギリシャで写楽の肉筆画を発見。線のタッチが北斎や歌麿とは一致しません。写楽デビューの50年後発刊の浮世絵類考(人物辞典)が発見されました。 そこに写楽は斉藤十郎兵衛で阿波徳島藩の能役者、身分は武士です。武士は副業を慎まなければなりません。「斉・藤・十」を並び替ると「藤・十・斎」つまり「東・洲・斎」 文字を入れ替る言葉遊びアナグラムです。そして楽屋を写す「写楽」の名。 <3>消えた謎 ヒットしたので半年経つと同じ題材を描くライバルが出現しました。彼らは、顔を特徴的に描かず美男子にします。今でいう「盛る」ですね。写楽は顔の特徴を誇張します。年齢を感じさせる皺も描く。役者達は嫌い、ファンからも反感をかいました。(下左)
作品が売れなくなると版元から誇張をしない絵を描くよう求められます。そうすると精彩を欠き、すごみのない絵になりました。自分の思った絵を描けないからか、武士の副業をとがめられたからか、筆を置き能役者に戻ったのでしょう。 100年後、明治にドイツ人が「SHARAKU」の本を出版し「役者の個性まで描き込まれ、レンブラント・ベラスケスと並ぶ世界三大肖像画家のひとり」と賞賛しました。それが逆輸入され再評価されるに至ったのです。 10年前と比べると色々なことが解明されました。謎が解けて気分がすっきりします。写楽の時代は、早すぎたのですね。 |