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2022年9月21日(水) 中山道の石畳 |
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2年前、大湫宿神明神社の大杉が豪雨で倒れました。今年7月、復活した大杉を訪問。その際ガイドさんに大湫宿マップを頂きました。 マップで宿場北の本陣山知り、大湫宿や中山道と併せた周回を考えます。舗装道歩きがあるので、暑さ厳しい日は避けた方が無難です。 台風の最接近前、ようやく25度を下回る日が来て山行が可能となりました。中央自動車道瑞浪ICで下ります。 北のサイエンスワールド前の道で北東へ。大湫町で県道65号線に移り、消防センターを右折して… 参考書は、大湫宿めぐり です。 |
駐車場 ドラッグスクロールで移動 大きい地図 |
大湫宿西駐車場→登山口→▲本陣山→△鳥の寝→八瀬沢一里塚→大湫宿西駐車場 ※赤線はGPS軌跡 ●は主な分岐点 ■この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て同院発行の数値地図50000(地図画像)数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである(承認番号 平17総使、第98号)」 |
江南発:午前8時35分 晴れ/23℃ 駐車場:午前9時55分 晴れ時々曇り/21℃ 高低差:143m(490m→633m) |
往:1時間30分(琵琶峠展望台まで) 還:45分(小休止含、ランチ除く) 所要時間:2時間15分 |
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50m先の大湫宿西駐車場に置車。中央奥消防センターにWCがあります。右のお屋敷横の狭い道を登ると… (10:15) |
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中山道の高札場跡。平成10年復元されました。10枚の高札が掲示されてます。これより北が大湫宿です。15m北の斜面の道を登ると… |
1721年建立・1847年再建された観音堂。絵天井はガラス戸越しで良く見えません。裏の細い道を降ると… |
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新明神社です。2020年7月豪雨で倒れたご神木が新しい形で祀られています。 (樹齢670年 径3.2m) 風情がある町並みを行くと… |
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旅籠の門田屋、2階に防火用の虫籠窓の意匠がセレブの印です。 |
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JAを左折して中山道に分かれ、大湫小学校跡裏に登ると本陣山登山口です。コースは、2019年4月開通。 (10:35) |
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道標がポイントごとにあり、登山道は整備されています。10数分登ると… |
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水が枯れそうな氷餅池。解説板に「大湫氷餅とは駅の野田峰(本陣山)にて製し、将軍に献上す」 一投足で… |
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本陣山633m二等三角点山頂。展望はなし、続きふ百山のひとつです。西の「東屋・腰掛岩→」へ辿ります。 (10:55) |
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尾根道を行くと大岩に石祠。「改」の字があるので、祠は再び新しく造られたのでしょう。 保々家(ホボケ)が大湫村を開拓、大湫宿の本陣・脇本陣・宿場を代々経営しました。 |
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尾根道は起伏が少なく、時々笹わけ道ですが、問題ありません。 |
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木が伸びて残念な展望広場を左曲折すれば、「腰掛岩・琵琶峠→」分岐です。下山でそちらへ行きます。その前に奥の… |
「鳥の根」(東屋)607mピーク。パンフは「鳥の寝屋」です。以前は、好展望でしたが… (11:15) |
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木が伸び放題で、岩に上がると何とか。南西に猿投山629mと瑞浪市街地。上左コマの分岐から西へ歩くと… |
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「腰掛け岩」の鞍部です。右折すると林道、左折して登山道を降ります。 (11:20) |
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中山道の本陣山登山口に下山。昭和45年に発見された日本一長い石畳(730m)を歩きます。 (11:30) |
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石畳の最高点は琵琶峠です。馬頭観音に宝暦13年(1763年)の彫字、北斎3歳の時代。右のピークに登れば… |
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琵琶峠展望台557mです。南正面に屏風山794m 左手前のピークは稲荷山568m。 東屋でランチします。食後は、琵琶峠から石畳を降りると… (11:45)~(12:05) |
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ほぼ完全に残る八瀬山一里塚。中山道は、江戸から京都までは、135里(534km)です。 1里(4km)ごとに塚があり、全129塚中2つ揃ってるのは12塚だけ。中山道を戻ります。 |
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石畳の琵琶峠東上り口で古道は終了。中山道は、県道の舗装道になります。東へ遺跡を拾い歩きます。 (12:30) |
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弁慶が運んできた二つ岩のひとつ烏帽子岩(高さ6m・幅9m)。右に同じ大きさのこの母衣岩(ホロ)が並びます。 |
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歴史遺産を拾いながらの周回は充実したものでした。駐車場から (12:50) |
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東海岳行 |
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“大湫宿” | |||||||||||
大湫宿1843年頃、家屋66軒(うち本陣・脇本陣・旅籠30軒)人口338人でした。因みに2019年は、123世帯/342人であまり差がありません。岳行ノートで紹介できなかった見どころを道草に掲載してみました。 1721年建立の観音堂が、1824年の大火で焼失、1847年再建されました。175年前のことです。観音堂軒下にある松かさ蛇は(下左)、大正時代、信州から来た名人が作りました。参考写真の絵天井(下右)は全60枚の一部です。 中山道を北に進むと神明神社、そして脇本陣/19室(下左)です。本陣山の石祠に彫字されてた保々家が営んでいました。見学不可です。先にお休み処・トイレの丸森観光案内所ですが、マスクを忘れ入れません。庭を見学しました。(下右) 中山道の石畳は、琵琶峠を降り八瀬山一里塚(ヤセザワ)まで歩きました。そこに峠開削時のノミ跡を残す岩。(下左) なぜ残っているのか? 石畳の東入口へ戻ると身代わり観音が立ちます。(下右の右端) 「大店の娘が琵琶峠を通るとき山賊に襲われた。娘の身代わりで観音像が切られた。その話を聞き、大垣の父がもう一体寄進し、傷は補修した」 県道を東進すると二つ岩の横が、広重作画ポイント遊涌パークです。(下左) 「木曽海道六十九次大久手」(下右)は、ここから東方を描きました。 大湫宿内には、山之神の井戸(下左)など5ヶ所に井戸が設けられ、生活用水・旅人・人馬の飲用・防火用水池になっていました。山行が終わり、駐車場から車で南500mの稲荷山に行ってみました。標高500mのアンテナ近くまで車で上れます。 3分で稲荷山568m四等三角点、ピークハント出来ました。(下右) この左に展望台があり、西に鳩吹山314m眺望があります。 |