豆腐の常識を覆すネーミング。「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」「男前豆腐」がスーパーで売っていました。「こどもびいる」もユニークだったけど、豆腐の販売量は、桁違いでしょう。 これはスプーンですくって食べる柔らかいプリン風豆腐です。サーフボードのような形をした薄い容器に入ってます。醤油は不要、298円で名前だけでなく味もオリジナリティがあります。 「男前〜」の方は、容器が水切り用の2重底です。水分を抜くと濃い味になります。「水を切った豆腐」→「水もしたたる豆腐」→「水もしたたるいい男」そして「男前豆腐」バンザイ!と言うわけです。 |
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遠出の感覚がマヒ。3時間以上走り、山之村高原キャンプ場に着きました。バンガローの横を抜け、最奥まで行きます。 広いフリーサイトに車を止めさせて頂き、炊事場を通って出発。 (9:40) |
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すぐに高原ムード満点、白樺林に入ります。細身で色白‥まるでおしろいの様。沢音が涼感を演出しても気温は高めです。 | ||||
しばらく、沢沿いを歩きます。 |
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谷も細くなり最後の水場です。ここからジグザグして尾根を目指します。 (10:10) |
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オニヤンマが、飛び回る。日本最大のトンボで10cmの大きさ。緑の複眼と黄色の縞にインパクトがあります。 『眼がグリーンピースみたい』とひよこさんに一刀両断されました。 |
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尾根からは、長い急登です。心臓が音を立てだしたらストップ。 汗が滴り落ち、何度も給水休憩。足場は、木の根っ子階段。 |
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水場からこのミズナラの大木まで40分一心不乱の登攀! それは、しゃがみこみ休憩も含んだ時間です。あ〜、まだ続く。 |
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青空が見え、正面に目印のヒメコマツ。待望の「雀平」1382m展望台です。左の切り開きに行くと‥ (11:05) |
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黒部五郎岳、薬師岳、北ノ俣岳などの北アルプスが、望める‥そうです。本日は台風の影響か遠くには、雲がかかっています。 | ||||
山頂部が間近に見えてきました。そこへは、まだ150mの高さが必要です。 | ||||
[あと30分ガンバレ]の励ましを受けます。。 | ||||
ストックの先に急登が待っています。ブナも増えてきました。 ひよこさんが一歩進むと悲鳴をあげる。 喉元が異様に膨らんだ大蛇が横切った。『大きかった。1m以上あった!』 |
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◆このとき、小学生時代に聞いたアメリカンジョークを思い出します。 嘘つきが言いました。『昨日、山の中で長さ20m,太さが1mもある大蛇を見た!』 『20mもの蛇は、この世にはいない。』 『そうだな、でも10mはあったはずだ!』 『この付近でそんな大きいのは、聞いたことがない。』『見間違えたとしても5mはあったはず』 『今までそんな大きな蛇の目撃者がいないのは不自然過ぎる。』 『そうだな‥、でも確実に1mの長さはあったはずだ!』 『なんだって?すると長さ1m、太さが1mの丸蛇を見たのか?』 |
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さて頂上手前では、鞍部へのガッカリ下降があります。 ツルアジサイに巻きつかれた2本のブナの大木の出現です。 |
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♪夏空と広い頂上 日差しは、きついけど通る風が宝物。 蝶がその風に乗り、パートナーを選んでます。 |
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そのため、どの蝶も落ち着きが無く、なかなか写真を撮らせてくれません。 左:ツマグロヒョウモン 中:キアゲハ 右:ツマグロヒョウモン(オス) |
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ランチにしました。南方に朝通ってきた上宝村が見下ろせます。 (11:45)〜(12:45) |
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四周に眺望はありますが、雲がかかり返す返すも残念。 御岳、乗鞍岳、穂高、槍、立山、剱岳、大日岳を望む予定でした。 |
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帰り、道の花を探すのに精を出す。でも、ほとんどが盛期終了。 左:白花ニガナ 中:ミシン目のような虫食い穴の笹 右:オトギリ草 |
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休憩中、ひよこさんの汗ビショ登山パンツに蝶が止まります。 塩味が好みらしく、なかなか離れません。蝶名:イチモンジチョウ? |
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駐車場に戻りました。なんとキャンプ場周辺では昔、金を採掘していたそうです。『それならその頃、来ればよかった』 (14:15) 時間があるので「専勝寺」へ。 |
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ニュートリノ観測のカミオカンデで有名な神岡町に入りました。林道を降りると不思議な湖。水が無く白い液状のものが広がる。地図で廃滓(サイ)推積場となってます。 鉱山の選鉱後の処理場です。初めて眼にします。ちょっと不気味。そう言えばカミオカンデは、鉱山跡地の地中深くに作られたものでした。 |
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みねさんのお墓参り 「野麦峠の館」の館長に教えて頂いた政井みねさんのお墓に行きました。岐阜県旧河合村の小学校裏に「専勝寺」があります。本堂裏に行くと、案内板に映画『ああ野麦峠』主人公と表示されています。明治21年2月3日出生、同42年11月21日死亡(21才)。 みねさんを背負って帰った10才上の兄の辰次郎さんが、寄進した観音像がお墓の前にあります。みねさんの妹ふよさんも同じ糸引きで働きに行き、病気で帰省した後、同じ腹膜炎で亡くなられたそうです。現在、生家は残っていません。 手を合わせ帰ります。白川郷方面は、通行止め。高山経由で帰るしかありません。ここから30キロほどです、車ならあっというまでも当時は大変な距離だったでしょう。江南からとても遠い所ですが、来て良かった。 |