あららぎ湖に着きました。ここのキャンプ場に周辺案内板があります。近くから歩く「船山」への登山道が表示されていました。 お店の方に聞くと北東の林道に入口があるとのこと。『でも笹刈りしてないので相当苦労するよ。』 |
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一応、確認に行きました。少し登ってみると案の定、笹は腰まであり道がわかりにくい。地元の方の意見を尊重します。ここからの登山は中止です。 | ||||
ガイドブックにある位山峠まで走ります。先着のRAV4は、同じ尾張小牧ナンバー。 手前は、位山官道の石畳で奈良時代の古道です。都へ召し出された飛騨の匠が、この峠で家族と涙で別れました。‥たぶん。 |
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さて案内板で確認し、幅広の遊歩道で原生林に入ります。 (9:45) |
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『やった〜!』たちまち圧倒的な巨木、ブナの森です。 一帯は岐阜大学演習林で大きな木には、マークが付けられています。 ブナ540本、ミズナラ226本、ヒノキ86本と調査記録板に表示されてました。 |
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左:クロヒカゲ 中:キンミズヒキ 右:ヤマジノホトトギス |
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素晴らしい混合林なので秋になれば、彩り豊かな紅葉を楽しめます。 『こういう山は、秋に来なくちゃ‥』ひよこさんの小さな叱責。 「光と風の道」の道標が所々にあります。名の通り、いい風が励ましてくれます。 |
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中間地点の1285mまで8つの小ピークを登降しなければなりません。 |
しかし、階段の段差はとても低く優しい。思ったほど負担になりません。 |
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このヒノキもパワフルです。 サワラ、イチイ、ミズナラ、トチ、コナラ、ダケカンバなどなど多様な樹林帯が広がっています。 彦麻呂風に言えば『ここは、樹木の宝石箱や〜』 |
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蛇にひよこさんがビビっている。と、上からご夫婦が降りてこられます。隣町の扶桑の方で三角点の位置など教えていただきました。RAV4の人だ。 | ||||
登りきった所にタイミングよく休憩所です。椅子が無いのが難点。いくらでも水分が、身体に入ります。ここからは、花木園となり平坦な道です。 (11:50) |
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その花木園の管理棟は、自分の管理ができなく荒れ放題。かってTVでドン・キホーテ隊が、鉄階段を昇り屋上から眺望を愉しんでいました。 現在、階段に[立入禁止]の看板です。 |
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山頂は、船山無線中継所となってます。一基建設工事中でNHKアンテナはペンキ塗り中でした。ヘリポートもあります。 岐阜放送、名古屋テレビ、中京テレビ、CBC,NTT等の巨大アンテナ群。原生林の巨木に負けていません。 トミさんと登った「本宮山」を思い出しました。 |
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歩道右に三角点が、埋め込まれています。アンテナに囲まれ肩身が狭いのか、存在感が薄い。 テクノプラザでは、登山姿も場違いのよう。 (12:25) |
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5分ほど進めば船山神社です。小ぶりですが、灯篭、狛犬、鳥居と格式が有ります。もう少し先に降りましたが、樹間から東方面が少し見えるだけです。 (12:35) |
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左:ヘビイチゴ 中:ハクサンフウロ 右:ゲンノショウコ |
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来た道を戻り、木陰でランチにしましょう。この園地の北西、南東端に行くとまずまずの展望と風がありました。 (12:55)〜(13:35) |
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左:ツルリンドウ 中:ママハハコ 右:コガタツバメエダシャク |
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帰路は、まずあららぎ湖分岐まで降ります。ただ到達地点は、あららぎ湖はありません。 ここから遊歩道は一転、笹ヤブ道に突進します。 (14:20) |
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笹の背が高く深く見通しが悪い。足元を見て、笹の無いところを確かめ進みます。 |
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まだまだ続く笹の海。小柄なひよこさんは、溺れて泣きが入ります。降りで良かった。 | ||||
20分でやっと開放され、沢沿いの踏み跡の薄い草道を歩きます。このルートは、まもなく廃道化するのでしょうか。 | ||||
コンクリート壁が見えたら、危なげな橋を渡り県道に上がります。 (15:05) |
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暑い舗装道を上って行けば、出発点の位山峠です。RAV4に替わり和歌山ナンバーが止まっていました。 (15:15) |
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帰路、県道から「船山」を見ました。頂上は、確かに船底のように平坦です。 中央のアンテナは、もう夏の思い出となりました。 さあ、居眠りしないようにチャゲ&アスを歌おう。 |
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眠るな! 社会人になりたての頃、スキーが流行していました。休日前、同年代の3人が、仕事を終え私の実家に集まります。そこから毎週、スキー場通いをしていました。4人とも初心者なので傾斜が緩やかでコブの無い船山のスキー場が好きです。 夜中まで話すのでいつも睡眠時間が足りない。朝5時に起き真っ暗な中、A君のカローラに乗り名古屋の南区を出発しました。走行距離130キロ、チェーン装着時間込みで4時間近くかかります。順番でチーフを決めました。チーフは色々な決定権を持っていますが、帰りの運転をしなくてはなりません。 その日は、私がチーフでした。9時頃スキー場に着き、リフト一日券を買います。さあ、滑ろう滑ろう。ゲレンデから見下ろすアルプスの雄大な景色は感動もの。昼食は、いつも家から持ってきたお握りを食堂で食べるだけ。余分なお金は使いません。毎週スキーのためには仕方ない。 3時前になると早めの昼食で腹をすかせ3人が懇願します。『チーフ、ぜんざいを食べてはいけないじゃろか?』『許可しよう。』喜色満面でお椀を舐めまわすまで食べます。その後、帰り支度をして車に乗りました。 当然、私がドライバー。彼らの役目は、私に居眠りをさせない見張り番です。最初、車中ではスキーの話で盛り上がります。チェーン外しもするので2時間は何事も無く過ぎました。 だが冬の日没は早く、暗闇に視界が単調になる。暖房の効いた車内は心地よい。潜んでいた眠りの天使が、まぶたに舞い降りる。3人の意識は落ちる。私は、何度も何度も天使を払いのけがんばる。しかしもうゲ・ン・カ・イ・これ以上は〜。 ゆっくり車を広い路肩に寄せ、車が止まる寸前、急ブレーキをかける。シートベルトの無かった頃で、みんな身体を前にぶつけ眼を覚ます。 『なんだ!』 『どうした?』 『事故か?』と全員、私と周りを交互に見る。 私が、みんなに向かってわざと大声で叫ぶ。 『いかん!眠って運転してた!』 『ほんとかあ?』 『ああ。どこをどう走っていたか記憶が無い。』 『おいおい冗談じゃない』そう言うが誰も運転を変わろうというやつはいない。 再び走り出す。夕食代などなく、家の夕食までには帰らないといけない。しばらくは、みんなで私に気を使い話しかける。しかし睡眠不足、単調な視界、心地よい暖気‥あっさり天使の誘惑に負けた彼らの寝息。私は再び気合を入れる、太ももをつねる。しかしだんだん落ちていく。あ〜だ・め・だ。。。 車を広い路肩に寄せ、静かに止まる。ジャケットを着て手袋をはめ、そーっと外に出る。ドアは開けたまま‥。残りの3つのドアもそーーーーーっと開ける。車の中は、幸せの楽園から一気に冷酷な環境に変貌する。しかし彼らの若い眠りは、頑強で眼は覚めない。私は、車を見ながら眠気覚ましにラジオ体操を始める。 やがて冷えは、彼らの体の芯まで侵食する。と、たいしたもので生への執着スイッチが入る。死からの生還。 『寒い!死にそうだ。 ガタガタガタ‥』 『なんでドアが開いとる? ガタガタガタ‥』 『どうした、事故か? ガタガタガタ‥』 彼らは、おかれた状況を理解するまで数秒かかる。ドアを開けたまま、ラジオ体操をする私を見つける。わかったようだ。そして声をそろえて叫ぶ。 『こら殺す気か!!!』 私が『諸君、お目覚めですか。ではおうちへ帰りましょう。』と言って運転席に座る。 『たのむ、暖房を入れてくれ。 ガタガタガタ‥』 『拒否。私が眠ったらみんな、とわの眠りにつくんだぞ。』 チーフの決定には逆らえない。急いで彼らは、ジャケットを着込む。芯まで冷えると中々体温は、回復しないもの。可哀想なので暖房スイッチを入れる。 『ありがたい。 ガタガタガタ‥』 『恩に着る。 ガタガタガタ‥』 『生き返る。 ガタガタガタ‥ 』 こうしてなんだかんだと私たちは、無事夕食前には帰宅したものです。 今では、カフェイン入りの飲料、ガム、菓子があり眠気防止には困りません。しかし、昔の若者はこんな風に眠気と戦っていたのです。 おしまい |