岳行ノート
白草山 1641m/岐阜県下呂市

2006.9.24(日)江南6時35分発 
     曇り時々晴れ  21℃ 
往路:2時間30分(小休止含)
復路:1時間45分(小休止含)箱岩山往復除く

 9月2日に「御嶽山」に初登頂しました。苦しかった剣ケ峰の階段、爽快な展望など思い出が一杯。今、既に懐かしさを抱くあの頂上を見てみたい。

 角度的に適した山は「白草山」でしょうか。以前、黒谷林道から歩きましたので今回は御厩野(ミマヤノ)から登りましょう。

 台風が過ぎた日曜日にお出かけです。

 参考書は「山歩記」さんにお世話になりました。
駐車場周辺図


※2009年6月7日(日)
白草山山頂で登山者からお聞きした情報です。
この御厩野ルートを登ってこられた方が2組見えましたが
登山道は、全行程の半分くらいが笹で覆われ難渋されたようです。


※2009年11月15日(日)
リンク頂いてる山歩記さんが
鞍掛峠
(50分)白草山(60分)御厩野ルート(20分)〜鞍掛峠
と周回されました。



箱岩山へ笹海を分ける登山道





白草山
(ランチ)

箱岩山

白草山



※色線は実測ではありません。
■「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第98号)」

 


 朝、くちなしの花に芋虫が10匹以上取り付いていたので写真に撮っておきました。
 

 帰宅するとひよこさんが『全部食べられた。』と嘆く。食うだけ食ってどこかへ消え、1匹だけ残っています。我が家で羽化すればスクープ写真が撮れるのに‥。

さて台風もそれ天気予報は一日中晴れ印。木曽街道(257号線)から北を見ます。
左の「湯ケ峰」には朝雲がかかってますが、右の「白草山」方面は退いていく様子です。
御岳眺望日和にワクワク。双眼鏡の携帯OK。
 鞍掛峠方面へ荒れ気味林道を慎重に走ります。その途中、標高1000mのヘアピンカーブが登山口です。標識が山頂まで3.1kmとしんせつ君。
(9:25)
 陽光から植林の暗さに変わり、しばし戸惑います。飛騨では熊が出ているので私たちもクマベルをストックにセット。急登の山腹道をもくもくと登ります。
 いい頃合いに明るい切り開きへ出ました。給水休憩をとります。真新しい地籍図根三角点が埋め込まれてました。
(9:50)

道中の標識が、具体的に激励をしてくれます。

広葉樹林になり、空にフライング気味紅葉

四等三角点のあるカーブに着きました。
切り開きからは御厩野集落が見え、黄金色の田が秋模様です。
(10:30)

登山道は、これからきのこ王国。たくさん撮ったけどピンボケばかり‥。
 突然、正面に現われた大岩を見上げても登るすべはなさそうです。
(11:10)

両側の笹塀に飽きた頃、「水」の表示に誘われて

少し降りれば沢があります。
 そこにはトチノキの巨木がそびえてました。周りを見るとドングリがあるある。トトロの映画が大好きなオムツ星人へのお土産が出来ました。
 長い樹林帯を抜け出ると開放された尾根道です。でも雲が多い空を見て期待が少し縮む。
 すぐに県境の分岐点です。扉を開けるには勇気の簡易トイレがあります。プレハブの小屋を左折して山頂へ向かいました。もうすぐです。
(11:40)
 『ah〜』頂上標識の向うに見える御岳は想像力を働かさなければなりません。
 でも広々とした静かな山頂です。良い場所に陣取り、久しぶりコンロでランチにしましょう‥と
(11:55)〜

湧いてきた様にあっという間に賑わう。全員、黒谷林道から来られました。
バイク青年が私に地図を持ってきて『この山が好きで何度も黒谷から登りましたが、
御厩野登山口を教えてください。』と聞きます。得たりとばかり私は教えてあげました。

箱岩山の方が景色が良かった。』と言う声が聞こえます。
ひよこさんに『20分かかるけど行ってみる?』『いいよ』では、リュックをデポして出発進行。
 笹海の向うに頭髪をバリカンで刈ったような「箱岩山」山頂です。荷物が無いので軽快に歩けます。
(12:45) 
 黒谷道との分岐を右折し、樹林を少し登れば頂上です。狭いけど笹が刈られています。
(13:00)

確かにこちらは下呂の山々の眺望が利きました。

昔は木曽檜のお宝山も我が家の芋虫の様に切りつくせば笹の山。
もう一度、笹海にダイブして「白草山」に戻りましょう。
山の名前どおり笹が風に揺れ白く光っています。

頂上に置いてきたリュックを回収し下山開始。
(13:05)〜白草山発(13:25)
 県境の分岐点に着きました。直進すると鞍掛峠です。以前せきすいさんが、その峠からここへ向け登り激笹に断念されました。

 試しに50mくらい行ってみます。新しい道標があるくらいだから『行けるのかな?』でも行かない。道標から来た道を戻ります。  
(13:35)

地籍図根三角点に戻ると沢山アキアカネが飛び回っていました。
 駐車場に無事帰着。本日こちらの道は、二人の独占専用道でした。
(15:10)

車の窓を開ければ爽やか。御厩野に始まった秋を通り抜けるだけでは惜しい。
世界3大作物の一つの稲。彼岸花もその収穫を知らせるよう畦で咲き出す。

ナビが往きとは違った道を指示しました。初めての道、257号線を加子母村(カシモ)に向かいます。
道の駅かしもでトマト・ソフトクリームを二人で食べました。お土産も買います。
257号線の両側に延々とお花が植えられ素晴らしいドライブ道です。
「明治座」の案内があったので寄ってみましょう。
 112年前の明治27年に地歌舞伎の舞台として立てられました。7月23日に中村勘三郎さんがここで演技した記事を切り抜きで持ってます。

 補修基金300円を払って地元の方にとても面白い説明を受けました。
廻り舞台、花道、裏の楽屋、奈落も見学させてもらえます。驚くことに112年前の幕も現役です。
20分くらいで終わるところ、私が色々聞くので得たりとばかりお話をいただき40分も長居‥

帰路の車中、岐阜の娘からメールが入る。『中津川の栗きんとんを入手、どうする?』
『かしもの名産トマトジュースとちびっちょのドングリ有り。どうする?』とお返しメール。

等高線の旅で御岳を見られなかったのは残念です。でも今日一日、楽しい旅でした。
幸福感が広がります。川沿いのカーブ道にハンドルを合わせることすら幸せだ。
この道の終着点は日常だけど、今はずーっと走り続けていたい。





 赤いアスタリスクのお話  (注)をアスタリスクと呼びます。


 一昔前のことでございます。勤務先の先輩が退院されてこられました。その方が語られた病のつらさ、手術の苦しみを他人事のように聞いていたのです。ところが私が先輩と同じ年齢になりましたとき、同じ苦しみを味わうことになったのでございます。

 あまりの痛みにオ■ナインにすがったのですが、お役に立つレベルではございません。とても耐えられない状態になり病院に駆け込んだのございます。お医者様の指示でベッドに上向きになり、両足を揃え頭の方にもっていき手で支えたのです。海老のような姿勢は、自尊心もへったくれもなく、つろうございます。

 お医者様は、ゴム手袋をはめ、何と  を触診し挿入なされるのです。『これはご無体な』と心で叫んでも無駄というもの。看護婦が、お医者様の肩越しから覗いていておられ恥ずかしゅうございます。そして『イボとキレのパーティだね。』とおっしゃられ病名が判明したのです。

 さすがに大病院のお薬は良く効きます。1週間で痛みは薄らぎ、2ケ月ほどで完治しました。ところが半年もしないうちに再発したのです。その良薬をもらうため、また耐え忍ぶ診察を受けたのでございます。何度も何度も再発し2年経ちました。

 これ以上あのような辱めを受けるのはこらえられなく、私は真剣に考えたのでございます。お大事は、血行が悪くなりやすい部位なので、それを改善する運動を行えば良いのではないのかと。丁度、水泳をたしなんでいた頃で、多少ストレッチの知識を存じておりました。それを基にある運動を思いついたのでございます。

 お風呂の中で、お大事の括約筋をおちょぼ口のように締めたりゆるめたりと10回繰り返しました。少しお休みをし同じことを5度いたします。    )・(  ×10回×5度
 次におちょぼ口にしたままグッとこらえ10数えました。そしてゆるめて10数えるのです。それを5度行ったのでございます。    )→(  ×10回×5度

 最初は括約筋の力が弱く苦しゅうございました。そのうちリズミカルに出来るようになったのでございます。毎晩、お風呂でそれを行いましたら3週間ほどでもう下血をしなくなりました。時々忘れて行わないと痛みが戻るときがあります。すぐその運動を繰り返せば  は治るのです。

 熱心に5度でなく10度も行った時期がございます。すると括約筋が夜中、つってしまいとても苦しゅうございました。「過ぎたるは及ばざるが如し」です。今は運動を終えたあと、会○部を揉むことを覚えました。そうして10年間、ありがたいことにお医者様いらずでございます。

 今週は、おしものお話でご無礼仕りました。『ケツが痛いんだよ〜、どうにかしてくれ〜』となる前に皆様、お大事につきましては、ご養生・ご自愛くださいませ。どうか末永く健康であられますようお祈り申し上げます。

 ◆追記:これからを見るたび、イメージが浮かぶようで‥ちと心配でございます。